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映画『象は静かに座っている』:29歳で世を去ったフー・ボー監督のデビュー作にして遺作

Cinema

昨年のベルリン国際映画祭フォーラム部門で国際批評家連盟賞に輝いた『象は静かに座っている』。しかし授賞式にフー・ボー監督の姿はなかった。その4カ月前に自ら命を絶っていたのだ…。中国の若き俊英が魂を込めて作り上げた234分の衝撃作がついに日本で公開された。

長すぎる映画? 天才を苦しめた再編集の要求

1988年に中国の山東省に生まれ、北京電影学院で映画作りを学んだフー・ボー(胡波)。在学中に4本の短編を監督し、うち1本はオーストラリアの中国映画祭で最優秀監督賞を受賞した。小説家としてもデビューしており、こちらも才能を高く評価されていた。『象は静かに座っている』も、自身の短編集『大裂』に所収の小説を映画化したもので、2016年から丸1年かけて完成させた。

映画『象は静かに座っている』の監督、フー・ボー(1988-2017)
映画『象は静かに座っている』の監督、フー・ボー(1988-2017)© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

しかしクランクアップからわずか7カ月後の2017年10月12日、フー・ボーは自ら命を絶ってしまう。その原因をめぐってはさまざまな憶測があるが、4時間近い作品をそのまま公開することに当時の製作側から反対の声が上がり、再編集を求められたことに思い悩んだという話が取り沙汰されている。もちろん人が自ら死を選ぶ理由を1つに言うことはできるはずがない。しかし間違いなく言えるのは、フー・ボーが自身の長編デビュー作に命を懸け、短い人生の最期の日々をそれに燃やしたということだ。

『象は静かに座っている』教室シーンの撮影現場にて。座ってメガネをかけた男性がフー・ボー監督 © Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
『象は静かに座っている』教室シーンの撮影現場にて。座ってメガネをかけた男性がフー・ボー監督 © Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

フー・ボーの死後、本人が完成版としたままの形で作品が世に出ることとなり、2018年2月のベルリン国際映画祭でワールドプレミアを迎えた。作品は喝采を浴び、フォーラム部門で国際批評家連盟賞、長編初監督作品賞スペシャルメンションを受賞した。さらに同年11月、中華圏を代表する台湾の映画賞「金馬奨」で作品賞、脚色賞、観客賞の3冠に輝いた。

『象は静かに座っている』の舞台は、中国の北部、河北省石家荘市の井陘(せいけい)県。北京からおよそ400キロというから、直線で東京と大阪くらいの距離だ。省都・石家荘市の都市圏には350万人が住むが、井陘はそこから50キロ離れ、近くに炭鉱がある。現代中国の裏の顔ともいえる、荒涼とした地方都市だ。

© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
舞台は河北省石家荘市の井陘(せいけい)県 © Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

暗い町で交差する4人の運命

物語は4人の男女を文字通りカメラが追う形で進行する。ある1日の間に、彼らにさまざまな出来事が訪れ、それぞれが交差し、淡い人間模様が描かれていく。

4人の中心は、高校生のブーだ。父親は身体が不自由になって職を失い、朝から酒を飲んでいる。一家の生計は、母親が炭鉱区で服を売って立てている。父から部屋が臭いとどやされ、母から割引クーポンをくすねたと難癖をつけられるブー。学校へ出ると、友人のいざこざに巻き込まれ、いじめグループのリーダーにからまれてしまう。

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16歳のブー(ポン・ユーチャン=右)と同級生のリン(ワン・ユーウェン)© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

いじめグループのリーダーには、街で不良グループを率いるチェンという兄がいた。親に溺愛される弟と違い、兄は愛想をつかされている。好きな女にも冷たくされ、虚無的になっているようすが見てとれる。その日、チェンが朝を迎えたのは親友の妻のベッドの中だ。

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思いを寄せる女性から冷たくされるチェン(チャン・ユー)© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

ブーが暮らす集合住宅には、いつも犬を連れて散歩するジンという老人がいた。娘夫婦と孫娘の3人と同居し、手狭になった居住空間の外にある室内ベランダで寝起きしている。朝起きてすぐ、老人ホームへの入居を受け入れてほしいと娘婿に泣きつかれる。

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愛犬との散歩が唯一の安らぎだったジン(リー・ツォンシー)だが... © Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

4人の中の紅一点がブーの同級生リン。離婚して家事と子育てを放棄した母親と2人で暮らす。朝起きるとトイレが水浸しだったが、ソファで寝ていた母親は不機嫌なまま起き上がろうとしない。朝食は、母親が深夜に酔って買って帰ってきたらしい、つぶれたバースデーケーキだ。

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リン(ワン・ユーウェン)には誰にも言えない秘密があった © Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

4人は一様に目を伏せ、喜怒哀楽のうち「哀」しか感じさせない。彼らを取り巻く暗く殺伐とした世界では、人々はみな自分は悪くない、悪いのはお前だと言い、罵り合って生活している。やがて、4人それぞれに転落が訪れる。どこの誰にでも起こり得る、ありふれた出来事をきっかけに、意外なほどあっという間に、「もうおしまいだ」というところまで追いつめられてしまうのだ。

そこから逃げを打ち、旅立つ自由だけが、この暗い物語の唯一の小さな光だ。ほぼ全編を通して、闇に沈む前の薄暮のような暗さで描かれている。1日が終わって、あたりが闇に包まれるとき、行く手を照らすほのかな明かりが救いになる。目指す先は、はるか北の満州里(内モンゴル)。その動物園に、一日中ただ座っている一頭の象がいるという。その象を見たからどうなるのか、その先に何が待ち受けているのか、誰も分からない…。

© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

234分が長いか、長くないかといったら、長くない。フー・ボーは生前、敬愛するタル・ベーラ監督から才能を買われ、トレーニング・キャンプで短編の指導を受けたこともあったという。『ニーチェの馬』(2011年)で引退した、このハンガリーの巨匠の代表作『サタンタンゴ』(1994年)は、実に438分の超長編である。

『サタンタンゴ』のように長回しを多用し、人物を背後から追うカメラは、4人がある1日の同じ時間に、さまざまな場所から接近し、また遠ざかっていくのを余すことなく捉えていく。そして観客もまた、彼らと同じ時間を生き、印象的なラストシーンに向かって、仄暗い中を手探りしながら、闇へと進んでいけるのだ。234分をともに生きたからこそ、ラストの余韻はより強く残る。その時間を濃密に生きた人々にとって、残響はこれからも長く続くに違いない。

© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

作品情報

  • 監督・脚本・編集:フー・ボー
  • 出演:チャン・ユー、ポン・ユーチャン、ワン・ユーウェン、リー・ツォンシー
  • 撮影:ファン・チャオ
  • 録音:バイ・ルイチョウ 
  • 音楽:ホァ・ルン 
  • 美術:シェ・リージャ
  • サウンドデザイン:ロウ・クン  
  • 製作年:2018年
  • 製作国:中国
  • 上映時間:234分
  • 配給:ビターズ・エンド
  • 公式サイト:bitters.co.jp/elephant
  • シアター・イメージフォーラム他にて公開中

予告編

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