映画『読まれなかった小説』:トルコの名匠ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督にインタビュー
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映画のなかには、好き嫌いを超えて否応なく観る者の心を揺さぶり、その奥底に深く残り続ける強度に満ちた作品がある。現代のトルコ映画を代表する巨匠、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督が生み出す作品は、まさにそんな類いのものだ。『冬の街』(2002)、『うつろいの季節』(06)、『スリー・モンキーズ』(08)、『昔々、アナトリアで』(11)と一作ごとにカンヌ国際映画祭への出品を重ねて常連となり、『雪の轍』(14)でパルム・ドールを受賞した。
彼の映画は、大抵長尺で、ゆったりとし、哲学的である。ひとたびその独特のリズムに身を浸したならば、トルコの四季折々を捉えた映像美、ギリシア悲劇を思わせるような重厚な物語、運命に絡めとられる人間たちが織り成すタペストリーによって、他では味わえないような映画体験をもたらされることだろう。
カンヌ映画祭でインタビューに応じてくれたジェイラン監督は、まるで彼の作品のリズムを彷彿とさせるかのように、ゆっくりと言葉を選びながら、本作について、またこの主人公がいかに自身にとっても共鳴する存在であったかを語ってくれた。
——あなたの作品ではしばしば田舎が舞台となりますが、それは自然の風景美を収めたいからでしょうか、それとも村社会の人間関係を描きたいという意図なのでしょうか。
「田舎に惹かれるのは、都会とはまったく異なる、良くも悪くも人間的な面があると思うからです。都会では人々は仮面を被っていて、近づくのも理解するのも難しい。でも田舎に行くと、人間の性(サガ)に驚かされ、人間とは何たるかを思い出します。わたし自身も田舎に住んだことがありますし、撮影するのも都会より容易です」
——雪の降り積もる冬景色など、自然を収めた映像が絵画のように印象的です。絵画からも影響を受けていらっしゃいますか。
「いえ、自分では意識したことはありません。撮影をするときはもっと直感的に構図を決めます。経験的に、シナリオから映像を考えても現場でその通りにはいかないことが多いので、絵コンテを用意したりすることはしません」
新作『読まれなかった小説』は、学校教師を務めるインテリでありながら、ギャンブルで身をもち崩した父親イドリスと、そんな父を軽蔑し、小説家を目指す息子シナンの物語。ぎくしゃくとした家族のドラマと、それを取り巻く村社会の人間関係が濃密に詰まった189分の大作だ。
主人公のモデルはジェイラン監督の甥であり、彼の物語を発端に企画が始まったという。その人物が本作の共同脚本に名を連ねているアキン・アクス。彼が書いた草稿を基にしながら、監督自身の心境も反映されている。
——あなたの作品では父と息子の関係がよく取り上げられていますが、本作はあなたの甥と彼の父親の話が基になっているそうですね。どんな経緯で映画化しようと思ったのでしょうか。
「トロイ遺跡の近くに休暇で滞在していたとき、甥であるアキンの父親に会いました。彼はギャンブル好きの変わった人で、友達もなく、村の人は彼に話しかけようとしませんでした。わたしの父親とも少し似ています。父はよくアレクサンダー大王や歴史的な人物のことを話していましたが、みんなはあまり彼の話に耳を傾けませんでした」
「そんなことから、アキンの父親に興味を持ち、映画にしたいと思うようになりました。甥が新聞社に務めている文筆家だということを覚えていたので、それから甥に会って、父親についての思い出を書いてほしいと頼んだのです。その後、彼は自分と父親のことを80ページほどの文章にまとめてくれて、わたしはそれを読んでとても感銘を受けました。それで甥を主人公にしてその話を語りたいと思ったのです」
主人公シナンは小説家になるという強い信念を持ちながらも、周囲の無知や無理解に囲まれ、鬱屈を膨らませる。自身の小説を出版しようとするものの、出版社も見つからない。そんな彼の焦燥は、他人に対する刺々しさとなって表れ、一層自分を孤立させていくのだった。
——小説を誰にも読んでもらえないシナンの幻滅には、アーティストとしての普遍的なジレンマや不安が反映されているのでしょうか。
「そうですね。この映画のシチュエーションは、伝統的な社会の因習や価値観が残る田舎として強調されていますが、どこの国においても普遍的だと思います。伝統に属さないアウトサイダーは、そのせいで周りに何らかのリアクションを引き起こしてしまうものでしょう。文学を志す者には孤独がつきものですしね。自分がやっていることを理解してくれる他人を探すのは困難だと思います。ただわたし個人は幸い、彼ほど苦労したことはありませんが」
ジェイラン監督自身は、1993年に34歳で撮った初短編作『Koza』が、2年後のカンヌ国際映画祭で上映されてからの道のりは順調だった。だがそれ以前には苦労があり、その時代の悶々とした心境は、本作の主人公のそれに近かったという。
——あなたは監督になる以前、ネパールを放浪していた時期があると聞きましたが、その時代について教えていただけますか。
「大学を卒業後、まずロンドンに行きました。というのも、エンジニアになる勉強をしたものの、その道には行きたくないと思ったからです。そうはいっても何をやるべきかわからず、自問していました。そんなある日、ロンドンの本屋でネパールの本を見つけ、ネパールに行けば何か目的が見つけられるのではないかと思ったのです。そしてネパールに行き、街を歩いたり、エベレストに登ったりしましたが、結局何も見つけられませんでした(笑)」
——では、この映画の主人公の心情と共通するところがありましたか。
「はい。街と田舎という違いはありましたが。わたしの場合は、自分の人生に意味を見つけることが難しかった。まずそれを見つけなければならなかったのです。ネパールで椅子に座り山を見上げながら、わたしの心は空っぽの状態でした。それで突然、軍隊に入ることを決めました。わたしの時代は法律が変わり、兵役は義務でなくなっていましたが、そのときの自分にとっては、そうした責務が必要に思えたのです。実際やってよかったと思います」
——なぜよかったと思えるのでしょうか。
「自分が決定する必要がなかったからです。当時のわたしの問題は、自分で何をやってよいかわからず、人生で何をやるべきか決められなかった。それで兵役時代、多くの本を読みました。さらに境遇の異なるさまざまな人に出会い、トルコについて、これまで知らなかったことも知ることができた。それは自分の国に再び興味を持つきっかけにもなりました。兵役時代に映画を志すことを決めて、兵役を終えた後、カメラを買って撮り始めました」
——エンジニアを諦めたときのご家族の反応は?
「もちろん不満でしたよ(笑)。カメラを買った当初は、家族ばかり撮っていました。父からは『なんでもっとお金になるようなものを撮らないのか』と言われました。でもその後やっと、お金になりそうだということを理解してくれたようです。でも周りの人々からは道楽だと思われていました。まったくリスペクトされなかったですね(笑)」
——あなたは写真家でもあり、芝居の演出もされていますが、それらと映画では求めるものが異なりますか。
「そうですね。写真の場合はリアリスティックではない、もっと幻想的なものが好きです。でも映画を作るならリアリスティックなものでありたい。それは最初から変わっていません。ただ芝居と映画を比べると、個人的な満足度が異なります。芝居で感じられるセリフの醍醐味を、映画から感じることは少ないんです。わたしはシェイクスピアやチェーホフが大好きですが、彼らが書くセリフはそのまま映画で使うには文学的過ぎる。『読まれなかった小説』は、これまでで一番文学的なセリフに挑戦したもので、引用も多い。セリフのバランスがもっとも難しいと感じました」
——息子の神経を逆なでする、父親の皮肉な笑いが耳に残ります。
「あれはわたしの父をモデルにしています。父も人に話を聞いてもらえなかったので、ひとりで語っては自分で笑っていました。トルコでは、ずっと笑っている人はあまり人に好かれません。この父親には何か決定的に人から疎まれるような特徴が欲しかったので、この笑いを付け加えることにしたのです。父親に扮したムラト・ジェムジルはテレビシリーズで有名なコメディ俳優ですが、このシリアスな役をとても巧く演じてくれたと思います」
取材・文=佐藤 久理子
作品情報
- 監督・編集:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
- 撮影監督:ギョクハン・ティリヤキ
- 脚本:アキン・アクス、エブル・ジェイラン、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
- 出演:アイドゥン・ドウ・デミルコル、ムラト・ジェムジル、ベンヌ・ユルドゥルムラー
- 配給:ビターズ・エンド
- 製作年:2018年
- 製作国:トルコ=フランス=ドイツ=ブルガリア=マケドニア=ボスニア=スウェーデン=カタール
- 上映時間:189分
- 公式サイト:www.bitters.co.jp/shousetsu
- 第71回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品
- 11月29日(金)より、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー!