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千葉真一:激突するアクション―世界に衝撃を与え、継承される情熱

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日本のアクションスターの草分けとして海外でも知られた千葉真一(本名・前田禎穂=まえだ・さだほ)。激しい格闘技で人気を集め、後進の指導に情熱を注いだ。その思いはアクション映画の本場ハリウッドでも高く評価され、世界的にヒットしたテレビシリーズ『SHOGUN 将軍』にも受け継がれている。(文中敬称略)

ハリウッドからリスペクト

海外では「サニー千葉」の名で知られた名優が亡くなったのは2021年8月19日。その訃報はニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズなどアメリカのメジャーな新聞や、エンターテイメントメディアで大きく報じられた。千葉の持ち味であった極真空手の技を生かした迫力あるアクションを振り返り、欧米の映画界に与えた衝撃の大きさを改めて示した。

アメリカのアカデミー賞公式ツイッター(現X)は、「映画の中でタフさと深みを融合させた」と追悼。ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、「武術はドラマの一部であり、パフォーマンスだ。一つの感情表現なのだ」という千葉の言葉を紹介し、彼が持ち味とした過激なアクションに理解を示した。

CNN(電子版)はさらに深い分析を加えていた。同時代に活躍した武術家の映画スター、ブルース・リーとの比較は避けられなかったとしつつ、「千葉の独特の格闘スタイルはリーが試みたものとは異なっていた。敵への攻撃は容赦なく、どの一撃にも強い力が込められているようだった。シネマティックな格闘シーンに見られる舞踊的な要素を排除していた」と指摘した。

千葉が主演した作品のうち欧米でとりわけ名高いのが、日本では「殺人拳シリーズ」として公開された『The Street Fighter』3部作だ。同作の熱狂的なファンであるキアヌ・リーブスをはじめ、サミュエル・L・ジャクソン、ジョナサン・ノーランなど、ハリウッドの大物たちは千葉の生前から彼への尊敬の念を常々表してきた。リーブスは2015年、自身が主演する映画『ジョン・ウィック』の宣伝活動で来日してテレビ出演した際、「僕は映画用にならできるが、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる」と語っていた。

タランティーノが敬慕

奇才の監督、クエンティン・タランティーノは最大のファンの一人だ。千葉が主演し、1980年代にアメリカで放映された日本のテレビ時代劇『影の軍団』を見た彼は、ファンになっただけでなく、いつか千葉と仕事をしたいと夢見るようになった。それが実現したのは、タランティーノの4本目の監督作『キル・ビル』(2003)だったが、実はその10年前にも、彼は脚本を書き下ろした『トゥルー・ロマンス』(1993)で、千葉へオマージュを捧げているのだ。

記者会見で親密さをアピールするタランティーノ(左)と千葉真一=2007年8月2日、東京(Reuters=共同)
記者会見で親密さをアピールするタランティーノ(左)と千葉真一=2007年8月2日、東京(Reuters=共同)

『トゥルー・ロマンス』の冒頭で、クリスチャン・スレーター演じる主人公クラレンスは、バーで出会った女性を映画へ誘う。彼が見に行こうとしているのは、『激突!殺人拳』(英題:The Street Fighter、1974)、『殺人拳2』(英題:Return of the Street Fighter、1974)、『女必殺拳』(英題:Sister Street Fighter、1974)という千葉の映画3本立て。サニー千葉を知らない女性に、現代最高のマーシャル・アーツ(武術)のアクションスターだと説明するが敬遠され、クラレンスは一人で映画館に向かう。クラレンスのアパートのシーンでは、部屋に千葉作品のポスターが貼られており、タランティーノの心酔ぶりがよく分かる。

だが、『激突!殺人拳』のバイオレンスはアメリカの基準においてあまりに過激で、18歳以上しか映画館に入場できない「X」指定(現在のNC-17指定)を初めて受けた作品となった。そうした事情から、『殺人拳』シリーズはアメリカの一般大衆に広く支持されたとはいえず、あくまでカルト的な人気にとどまった。

『キル・ビル』での貢献

満を持したタランティーノが、『キル・ビル』で千葉のために用意したキャラクターの名前は「服部半蔵」。『影の軍団』で千葉が主演した伊賀忍者の役と同じ名前だ。『キル・ビル』のDVDに含まれる特典映像の中で、タランティーノは、「日本ではアメリカと違って、番組が成功したら1年くらい休み、また始まる。『影の軍団』もそうで、新作ができるたびに、服部半蔵は以前と少し違っていた。『キル・ビル』の服部半蔵は、いわば100番目のバージョンだ」と語っている。長年のファンならではの発想といえるだろう。

『キル・ビル』での千葉は出番こそ限られているものの、ストーリー展開の上で大きな役割を果たす。ユマ・サーマン演じる元殺し屋の主人公ザ・ブライドは、伝説の刀鍛冶である彼を沖縄まで訪ね、敵を倒すための名刀を1カ月かけて作ってもらう。英語と日本語、両方のセリフがあり、千葉はすごみのある存在感を見せる。残念ながら、得意のアクションを披露する場面はないが、他のキャストが展開するファイトシーンに見えないところで大きな貢献をしているのである。

『キル・ビル』の初上映イベントで、主演のユマ・サーマン(左)と言葉を交わす千葉真一=2003年9月29日、米ハリウッド(REUTERS/Fred Prouser FSP)
『キル・ビル』の初上映イベントで、主演のユマ・サーマン(左)と言葉を交わす千葉真一=2003年9月29日、米ハリウッド(REUTERS/Fred Prouser FSP)

主人公のかたき役である「オーレン石井」を演じたルーシー・リューは北米公開時に出演したトーク番組で、サーマン、ヴィヴィシア・A・フォックス、ダリル・ハンナらと一緒に千葉から直々に受けた日本刀のレッスンの様子を次のように語っている。「私たちの前で、彼はとても美しい動きを見せてくれ、『では、やってみてください』と、私たち一人一人にやらせました」。彼女らの動きを見た千葉は「Almost good(ほとんど良い)」と言ったそうだが、リューは「それもまた日本人らしい礼儀正しさなのだろう」と振り返っていた。

次に千葉がハリウッド映画に姿を見せるのは、東京を舞台にしたカーアクション映画『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(2006)だ。千葉の役はヤクザの組長であるカマタ。ここでも千葉が誇るアクションの見せ場はなかった。

2012年には低予算のインディーズ映画『Sushi Girl』に出演した。いくつかの映画祭で上映されるも、評判は芳しくなくアメリカでもDVD化されなかった。18年にはオーストラリアの短編映画『Shakespear in Tokyo』に出演。最後の出演映画は、没後の24年に公開された『Bond of Justice: Kizuna』だった。これらはほとんど関心を集めず、千葉はアメリカにおいてあくまでカルト的ヒーローだったというのが現実である。

受け継がれる志

だが、彼は「千葉アクション」を自身だけのものとしなかった。千葉は1970年にアクション俳優やスタントマンを育成するジャパン・アクション・クラブ(JAC)を設立し、世界的な俳優となった真田広之らを育てた。『キル・ビル』での熱心な殺陣指導のエピソードには、千葉のそうした一面がよく表れている。

千葉が創造した質の高いアクロバティックなアクションは、さまざまな形で受け継がれており、筆頭格が愛弟子の真田である。彼が主演、プロデュースしたテレビドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』は2024年、世界的な大ヒットとなった。セリフの多くが日本語であるにもかかわらず、アメリカのテレビドラマにおける最高の栄誉「プライムタイム・エミー賞」で18冠、その他にも数多くの主要な賞に輝いたのはまさに快挙だった。

ドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』で米エミー賞の作品賞を受賞した真田広之(右)=2024年9月15日、米ロサンゼルス(REUTERS/Mario Anzuoni)
ドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』で米エミー賞の作品賞を受賞した真田広之(右)=2024年9月15日、米ロサンゼルス(REUTERS/Mario Anzuoni)

真田は千葉の後を追うように活動の拠点を日本からハリウッドへ移し、20年以上にわたって実績を積み上げてきた。『SHOGUN 将軍』の大ブレイクは、真田にとって待望だっただけではなく、日本の「侍アクション」を世界的ステージへ引き上げるという千葉の宿願の達成でもあった。

日本メディアによると、千葉の訃報に接した真田は、「志を受け継ぎ、走り続けることが恩返しと心得ております」とのコメントを発表した。『SHOGUN 将軍』は好評に応えて第2シーズンが製作される。そこではまた多くの日本人俳優が起用され、素晴らしい刀使いを披露することだろう。千葉の初志は真田によって、さらなる高みへと昇華しつつある。

バナー写真:米ハワイのワイキキビーチでポーズをとる千葉真一。ハワイ国際映画祭でマーベリック賞を受賞した=2005年10月27日(REUTERS/Lucy Pemoni)

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