心と心をつなぐ「未来ノート」

家族・家庭 社会

20歳の短い命を精いっぱい生き切った小児白血病の女性。それを全力で支えた家族。その心をつないだのは1冊のノートだった。家族はそれを「未来ノート」と名付けた。

亡くなる2カ月前に新聞投稿

料理が好きで無類の食いしん坊。本を手放さず、中学バレー部では副部長を務めた。常に周りを客観的に見ている。金澤里菜さんは、小さい時から居酒屋の飲み会にもついて行く少し大人びた子供だった。

2年前の2017年2月14日、里菜さん(当時20歳)の投稿が、朝日新聞の読者投稿欄「ひととき」に掲載された。

「私は小児白血病患者です。15歳から2度の移植と再発を経ています」と書き出した。「1年前から主治医に『いつ何があってもおかしくない』と言われていますが、私は幸せです。自宅で家族や彼氏と食事をし、お風呂に入り、自分の布団で寝る時、心にしみるような幸せを感じます」と投稿は続く。

投稿で紹介したのは、一冊のノートだ。里菜さんは最初、もしも自分がいなくなった時のためにどのようにしてほしいか気持ちを伝えようとしたが、母・麻紀さんは、死を前提としたネガティブな話をなかなか受け入れてくれなかった。

そんなある日、麻紀さんが「家族全員が後悔しないように、自分の思いをノートにまとめよう」と提案した。里菜さんと母、妹の間に、赤い表紙に黒いバンドがついた「未来ノート」が置かれた。「すごくうれしかったです」と投稿で気持ちを表現した。

100均で買ったノートに夢を語る

麻紀さん(49)は、「ヒントはエンディングノートでしたが、生前に物を整理するためのノートではなくて、これから生きていくことを前提にしたノートを作りました」と振り返る。思いついたものをどんどん書いていく夢をかなえるためのノートだった。 

100均で買ったおしゃれなノートを台所に置き、それぞれが食べたいものや行きたい場所、やりたい事を書き込み、実現したら線で消していく。面と向かって言いにくいことも書ける「未来ノート」は金澤家の伝言板となった。

未来ノートの書き込み
未来ノートの書き込み

食いしん坊の里菜さんは、食べ物や彼氏の記述が多い。「ローストビーフとスフレチーズケーキ」「バレンタインにチョコケーキを作る」「全員が次の日朝早くない日に、前みたいに川の字で寝て、朝起きたら豪華な朝ごはんを食べる」は線で消されている。「新聞に記事を載せる」にも線が引いてあった。後ろのページからは、自分がいなくなった時に家族に伝えておきたいことを書いていった。 

「未来ノートを作った日は、私が負けた日なんです」と麻紀さんは母としての胸のうちを明かした。「死ぬことを許さない、死なせないと思ってきたのに、このノートを作り、ネガティブなことを書くことを許した時点で里菜の死を受け入れなくてはいけなかった、そんな日なんです」

里菜さんの投稿は、「明日、何が起きるかは誰にも分からない。だからこそ楽しい話も、悲しい話も、逃げずに家族と真剣に話し合うことが大切だと思うんです。ノートのおかげで我が家は笑えます。つらいこともあるけれど、私の生きる力になっています」。投稿はこんな言葉で結ばれていた。

「未来ノート」を手に、思い出を語る妹・紗瑛さん(左)と麻紀さん。
「未来ノート」を手に、思い出を語る妹・紗瑛さん(左)と麻紀さん。

「娘は私たちの誇り」

小児がんの家族を支える認定NPO法人ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ理事長の井上富美子さん(72)は、里菜さんを発症時の15歳から最期まで支え続けた一人だ。亡くなる数カ月前には、約束した築地のおすしと千疋屋のパフェを一緒に食べに行った。井上さんは「小児白血病は、今は70-80%治ります。でも里菜さんの白血病は特殊な『分類不能型』でした」と声を落とす。

3カ月後の2017年5月、同じ欄に今度は母・麻紀さんの投稿が掲載された。「白血病と闘った長女里菜が4月26日に旅立ちました。2月にこの欄に投稿した20歳の娘の母親です。掲載により多くの方々と関われたことが娘の生きる力となりました」。15歳で発病してから20歳で亡くなるまで、娘は人の何倍ものスピードで人生を生き切ったという。

「病と闘う里菜、先走る母の私、何をしたらよいか戸惑う次女。そんな家族の心を一つにしたノートでした。はじめは里菜のためにと作ったものの、今思えば残された家族のためでした。娘の強さは私たちの誇りです」と麻紀さんは投稿で語った。

家族は、絶対に治す、治ると信じて病と闘ってきた。2歳下の妹・紗瑛さんは、最初の骨髄提供者(当時13歳)だ。移植手術に際しては「たぶん私が一番適合するから私がやる!」と意気込んだ。2週間の入院でハラハラしていたのは麻紀さんだった。移植は成功した。

紗瑛さん(左)は制服の着こなしなど姉をまねていた。里菜さんの成人式の前撮りに際して家の前で。(2016年撮影)
紗瑛さん(左)は制服の着こなしなど姉をまねていた。里菜さんの成人式の前撮りに際して家の前で。(2016年撮影)

高校ではバレーボール部

里菜さんは退院し、何とか中学校の卒業式に間に合った。しかし、幾つもの高校に「前例がない」と入学を断られた。事情を理解して柔軟に受け入れてくれたのは、私立秀明八千代高校だった。3人しかいなかったバレーボール部を立て直し、1カ月間の英国留学も経験した。

里菜さんが小3になる時に両親は離婚した。その後、ガソリンスタンドの店長として家計を支える母を助け、里菜さんは料理をはじめ女所帯の家事を切り盛りした。2度目の移植手術を受け高校を卒業した後には、管理栄養士の専門学校に進学。ファミレスや塾のアルバイトもこなした。

「里菜は、『どうしよう』と思わないのです」と麻紀さん。「選択肢は、『生きる、治す』だけ。迷うことや怖がることがなく、病状が徐々に悪くなってしまっても、自分がより快適に暮らしていく方法を常に考えていました」。とにかく用意周到。体が弱り、徐々に視力も落ち、つらくても弱音を吐かなかった。一緒にわぁーと泣くだけ泣いたらあとは前を向いた。亡くなってからの家族のことを心配し、未来ノートには書かなかったメッセージを別のノートや手紙に記していた。

未来ノートと、病院の引き出しに入っていた「勝手に開けないこと!!!」と書かれたプラスチックボックス。
未来ノートと、病院の引き出しに入っていた「勝手に開けないこと!!!」と書かれたプラスチックボックス。

マスキングテープで隠されたメッセージ

「どんだけ脚本家なのか、と思いました」。麻紀さんと紗瑛さんは「やられたと言う気持ちです…」という。

「一番やられたのは、これです」と麻紀さんが増え続ける薬や治療の記録を書き込んだ小さなスケジュール帳を見せてくれた。「勝手に開けないこと!!!」と書いてあるプラスチックボックスの中に収められていた。最後のページの真ん中に縦にマスキングテープが張ってある。テープを剥がしたのは、告別式でのことだった。そこには里菜さんから、みんなへのメッセージ隠されていた。

「沢山の幸せと愛情をありがとう」

プラスチックボックスにしまっていたスケジュール帳。マスキングテープでメッセージが隠されていた
プラスチックボックスにしまっていたスケジュール帳。マスキングテープでメッセージが隠されていた

里菜さんが亡くなって2年。20歳になった紗瑛さんは、少し前に髪の毛を30センチほど切り、ヘア―ドネーションをした。「里菜のことがなかったら絶対こんなこと考えない。使えるものも無駄にしていたと思う。これも里菜からの贈り物」と言う。 

未来ノートは今も、金澤家のキッチンテーブルに置かれている。「桜の押し花を作る」の言葉は、まだ消されていない。「今年こそは桜の押し花作ろうね」と紗瑛さんが母の麻紀さんにささやいた。

バナー写真:「未来ノート」になった100均のノート

取材・文・写真=土井 恵美子(ニッポンドットコム編集部)

編集後記:「やっと『桜の押し花』の線を消せました」と麻紀さんから連絡。引退した秀明八千代高校の先生が、桜の押し花を持ってお線香をあげに来てくれたそうだ。

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