2回のお代替わりを見つめて

シリーズ・2回のお代替わりを見つめて (15)大嘗祭:1350年の伝統を持つ新天皇の祈り

社会 皇室

即位関連の宮中祭祀として最も大きい、天皇の一世一代の「大嘗祭(だいじょうさい)」が、古式ゆかしく執り行われた。約1350年前の飛鳥時代に始まった皇室伝統行事に臨んで、天皇陛下は神々と夜を徹して対座し、「令和の安寧」を祈られた。

日本独自の天皇の秘祭

大嘗祭が2019年11月14日夕から翌15日未明にかけ、皇居・東御苑に建てられた大嘗宮(だいじょうきゅう)で、三権の長や知事ら約500人が参列して行われた。即位儀式のハイライトとなった「即位礼正殿の儀」とは対照的に、大嘗祭は夜、新天皇がただ一人、祭場の建物にこもる、他国にはない神秘的な秘祭である。

天皇が毎年秋に行っている「新嘗祭(にいなめさい)」は、お供えに特定の皇室の田などの新穀を使う。これに対し、大嘗祭は全国から東西2つの民間の田を選び、そこから収穫された新穀などを、天皇が皇祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)ら神々にお供えし、国家・国民の安泰と五穀豊穣を感謝して祈り、自ら食す。まさに、農耕文化に根差した即位行事といえる。

天皇陛下が薄明かりの中、最も神聖とされる白絹の祭服姿で、ゆっくりと祭場殿舎の「悠紀殿(ゆきでん)」に進まれた。白の十二単(じゅうにひとえ)姿の皇后さまや、秋篠宮ご夫妻ら皇族方も古装束で参列された。しかし、撮影はここまでで、2時間半余の陛下の様子は一切公開されない。

「悠紀殿供饌(ゆきでんきょうせん)の儀」のため、大嘗宮の帳殿に向かわれる皇后さま=2019年11月14日午後、皇居・東御苑(時事)
「悠紀殿供饌(ゆきでんきょうせん)の儀」のため、大嘗宮の帳殿に向かわれる皇后さま=2019年11月14日午後、皇居・東御苑(時事)

天皇陛下は一度、休憩をとり、15日午前0時半ごろからもう一つの祭場殿舎「主基殿(すきでん)」で同じ作法を繰り返し、祈られた。両陛下が赤坂御所に戻ったのは午前4時半ごろだった。

皇嗣からの重い発言

この大嘗祭の費用は約24億円といわれる。宗教色の濃い儀式で、政府は憲法の政教分離原則「国はいかなる宗教活動もしてはならない」に基づき、大嘗祭を国事行為(国の儀式)とすることは見送っている。しかし、「極めて重要、伝統的な皇位継承儀式で、公的性格がある」と政府は判断して公費(国費)支出を決めた。

この問題に1年前の記者会見で一石を投じた秋篠宮さまが、今年11月下旬の記者会見で「今も昨年お話した時と気持ちは変わりません」と述べられた。昨年の発言の要約を再録する。

54歳の誕生日を迎えられる前に記者会見される秋篠宮さま=2019年11月20日、東京・元赤坂の赤坂東邸(時事)
54歳の誕生日を迎えられる前に記者会見される秋篠宮さま=2019年11月20日、東京・元赤坂の赤坂東邸(時事)

「国事行為で行われるものについては、私が何か言うことはできない。一方、皇室の行事として行われるものについては、ある程度、私の考えもあっても良いと思っています」

「大嘗祭は皇室の行事として行われるもので、宗教性が強いものになります。それを国費で賄うことが適当かどうか。すっきりしない感じは、(平成の大嘗祭に続いて)今でも持っています。宗教行事と憲法との関係はどうなのか、私は内廷会計(天皇家の私費)で行うべきだと思っています」

「大嘗祭は相当な費用が掛かるけれども、私は絶対にすべきものだと思います。そのできる範囲で、身の丈にあった儀式にすれば。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思います」

大嘗祭はしっかりと皇室行事として行うが、政教分離を定めた憲法に抵触しないよう、国費ではなく、天皇家の私費で賄う。そのために、大嘗祭の規模は従来の大掛かりのものより小さくなるというお考えで、今もその気持ちに変わりがないことを表明された。秋篠宮さまはこれまでに、「大嘗宮は新設せず、毎年の新嘗祭など宮中祭祀を行っている『神嘉殿(しんかでん)』で大嘗祭を行い、費用を抑える」と具体的な提案を宮内庁にしている。

秋篠宮さまの今回の発言を受け、宮内庁次長は12月初めの記者会見で、「大変重要なお考えだと思いますが、(次のお代替わりの時に)お考えをうかがって検討することになる」と語った。皇位継承順位1位の皇嗣(こうし)のお考えには以前より重いものがあり、今後の大嘗祭の在り方にも影響を与えることになろう。

ただし、神嘉殿案では、これまで2つの祭場殿を新設して、そこに神々をお迎えして行ってきた大嘗祭の根本が崩れてしまう、と指摘する声もある。宮内庁、政府は憲法問題も含んだ大きな宿題を抱えた。

(「神嘉殿での新嘗祭」参列の筆者体験記などは、連載4回目「新嘗祭」に)

祭祀を終えた後、一般公開された大嘗宮。多くの市民・観光客が見学に訪れた=2019年11月24日、皇居・東御苑
祭祀を終えた後、一般公開された大嘗宮。多くの市民・観光客が見学に訪れた=2019年11月24日、皇居・東御苑

前回も公費支出が「最大の難問」

前回の即位行事の中でも、1990年11月22、23日に行われた大嘗祭は、新憲法下で初めてだっただけに難しい問題だった。「即位の礼準備委員会」の委員長を務めた森山真弓元官房長官は当時、筆者の取材に対し、こう答えた。「宗教性を否定できないので、国の儀式で行うのはとても無理。では、どうして費用を出したらよいか、大嘗祭は準備委員会で最大の難問でした」

当時、大嘗祭には22億円余が見込まれたが、年間2億9000万円の内廷費では出来ない。今回と違って、大嘗祭に反対する運動や訴訟もあり、過激派による反皇室のゲリラ事件が続発。大嘗祭に使う新米の収穫地に選ばれた秋田県では護国神社が放火され、全焼した。

大嘗祭は戦争末期の国定修身教科書に、「(皇祖とされる)天照大神と天皇が一体になる神事で、日本が神の国であることを明らかにするもの」と記された。大嘗宮の悠紀殿、主基殿の天皇が座るそばには「寝座」があり、「新天皇が神と寝ることで神格を得る」などの説も流されてきた。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下で、大嘗祭について書かれた戦前の法令が廃止され、大嘗祭に関する現在の法規は何もない。

まさに四面楚歌の中で、政府が公費支出のため引っ張り出してきたのが、1950年ごろの内閣法制局見解だった。「桃山時代の建築様式の寺院を地元自治体が公金で保存することは、文化財の維持、保存のためで、宗教上のためではないから差し支えない」。これを支えに、「憲法は皇位の世襲を定めており、伝統的皇位継承儀礼の大嘗祭には公的性格があるので、宗教的性格を持った儀式でも公費支出は許される」とした。苦しい“理論武装”だった。

旧憲法下の前例踏襲で出費が巨額に

宮内庁は当時、大嘗祭の内容説明について、秘儀だとして消極的だったが、挙行の1カ月前になって重い口を開いた。「寝座は神(天照大神)がお休みになる場所で、寝具類はなく、陛下がそこに入られることはない」と、神になる儀式という説を明確に否定した。宮内記者会は、公費支出や、国民の知る権利などを理由に、宮内庁に儀式の取材を求めたが、「公開しないのも伝統」と拒否され、陛下が回廊を歩くところだけの撮影となった。

大嘗祭の一連の儀式は、明治憲法下に制定された即位儀礼の法令「登極令(とうきょくれい)」(1947年廃止)をほぼ踏襲して行われた。大嘗宮も前例踏襲のため、旧憲法下で天皇が神格化した時のものに近いので大規模になり、出費が巨額になった。大嘗宮は元来、一夜の特別な神事のために造り、儀式が終ったらすぐ撤去する簡素な建物だったのだが。

当夜はゲリラ事件が続発し、京都の桂離宮には迫撃弾が撃ち込まれ、各地の神社などが放火された。天皇の祈りの即位儀式は、その映像が公開されないこともあり、巨額を投じたわりには国民にあまり理解されなかった。

祝賀ムードに包まれた「令和の即位儀式」

前回に比べると、今回はゲリラ事件や、反皇室活動はほとんど見られず、一連の即位行事が祝賀ムードに包まれて進んだ。長い伝統を誇る大嘗祭より、わずか29年前に始まった「祝賀御列の儀」のパレードが、人気の即位行事として定着した。国民はやはり自らが参加でき、直接、両陛下に祝意を伝えられる行事を好む。

象徴天皇2代のお代替わりを見つめて、即位儀式と、国民の皇室への反応が時代と共に変化することを感じた。即位関係行事が無事終了し、「令和」という時代が順調に国民と歩み始めたのを見届け、1年3カ月、15回に及んだ連載を終える。

(2019年12月4日 記)

バナー写真:「悠紀殿供饌(ゆきでんきょうせん)の儀」のため、御祭服を着て大嘗宮の悠紀殿に向かわれる天皇陛下=2019年11月14日午後、皇居・東御苑(時事)

皇室・王室 皇室 天皇 新天皇即位 皇位継承 大嘗祭