コラム:亜州・中国

コラム:亜州・中国(5)新型コロナウイルスとの戦い

国際・海外 政治・外交

中国で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が世界的に猛威を振るっている。その規模は2002-03年の重症急性呼吸器症候群(SARS)を超え、世界経済に影を落とす。感染拡大をどう封じ込めるか。中国をはじめ各国・地域にとっても試練だ。

習国家主席は「非接触型」視察

「新型冠状病毒(新型コロナウイルス)の感染拡大を阻止する戦いに断固として勝利する」。中国共産党の習近平総書記(国家主席)は2月10日、青いマスク姿で北京地壇医院などを視察し、こう表明した。

北京地壇医院では新型コロナウイルスの患者を受け入れている湖北省武漢市の病院とテレビ電話をつなぎ、大きなスクリーン越しに医療スタッフらを激励した。この日は屋外で市民らとも対話したが、「非常時だから」と握手は控え、“非接触型”の視察に徹した。

新型コロナウイルスの発生源となった武漢市は春節前の1月23日から事実上封鎖されたが、李克強首相は同27日、現地視察を決行した。習国家主席は「1月7日の時点で新型肺炎への対応を要求した」との新情報も流されたが、今のところ武漢入りはしていない。

SARSの教訓は生かされず

北京地壇医院はエイズなど感染症の専門病院だ。北京市東城区の閑静な一角にあった。北京でSARSが流行したときは患者が収容された。

筆者は2003年4月17日、この病院の隔離病棟を取材した経験がある。当時、北京駐在の一部の外国人記者に取材許可が出た。400元(当時のレートで約6000円)で買わされた白い防護服を着用、マスク、手袋、靴カバーもして5分間、一眼レフカメラを携えて「二病区」と表示されている隔離病棟に入った。

隔離病棟は感染防止のため、入り口は二重の自動ドアが一般的だが、手動の開閉式で二重ではなかった。病室は病原体を封じ込めるために室内を陰圧(一気圧以下)に保つ密室構造になっているはずだが、外に面した窓は開けられたままだった。

2003年4月17日、北京地壇医院の隔離病棟を取材する防護服姿の筆者(左)。左胸に香港などで使う繁体字で「中國地區專用」と印刷されていた
2003年4月17日、北京地壇医院の隔離病棟を取材する防護服姿の筆者(左)。左胸に香港などで使う繁体字で「中國地區專用」と印刷されていた

北京地壇医院の隔離病棟「二病区」のSARS患者の病室。陰圧室ではなく、外に面した窓は開いていた(筆者撮影)
北京地壇医院の隔離病棟「二病区」のSARS患者の病室。陰圧室ではなく、外に面した窓は開いていた(筆者撮影)

同年4月20日、中国衛生省は北京市のSARS感染者数が従来発表の約9倍に当たる339人と大幅に修正、死者も4人から18人になったと発表した。これを機に北京では市民が買いだめに走り、スーパーから食料など日常物資が消えた。一種のパニック状態に陥ったのである。

中国でSARS感染が急拡大したのは、情報開示の遅れが引き金となった。情報は封じながら、密閉すべき隔離病棟は開放的という皮肉な構図だった。今回も初動対策の遅れや情報隠蔽が指摘されている。SARSの教訓が生かされたとは言い難い。

言論統制と“忖度”が裏目に?

SARS禍に見舞われた2003年の北京では、感染者が出た建物や地域はまるごと閉鎖・封鎖された。劇場や映画館は営業停止、繁華街の王府井なども人通りが極端に減った。現在の北京の光景は、17年前と二重写しだ。

2003年4月26日、閑散とした北京の繁華街・王府井。隣接する北京飯店の日本料理店は休業し、日本人の管理者は帰国した
2003年4月26日、閑散とした北京の繁華街・王府井。隣接する北京飯店の日本料理店は休業し、日本人の管理者は帰国した(筆者撮影)

2003年5月1日、SARSの感染拡大で北京市の隔離者は1万人を超え、人影もまばらなメーデーの天安門広場(泉宣道氏撮影)
2003年5月1日、SARSの感染拡大で北京市の隔離者は1万人を超え、人影もまばらなメーデーの天安門広場(筆者撮影)

2003年5月14日、北京市東城区の人気居酒屋「孔乙己酒店」も丸テーブルが埋まったのは一卓だけだった(泉宣道氏撮影)
2003年5月14日、北京市東城区の人気居酒屋「孔乙己酒店」も丸テーブルが埋まったのは一卓だけだった(筆者撮影)

しかし、中国社会を覆う“空気”はかなり異なる。今の中国は言論統制など締めつけが厳しく、知識人たちが自由にものを言いにくい。官僚たちは忖度(そんたく)をしがちだ。こうした風潮が情報開示や対策の遅れにつながったのではないか。

しかも、新型肺炎のリスクについて昨年末に警告した武漢の李文亮医師は理不尽な訓戒処分を受け、自らも感染して2月7日に命を落とした。

この悲劇はインターネットで瞬く間に広がり、政府の対応に批判的な投稿が相次いでいる。中国当局は今になって33歳の若さで亡くなった李医師を英雄視する一方で、ネットの検閲と削除は続けている。

今こそ国際的な連携が不可欠

世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルスの緊急事態宣言を発表したのは1月30日。それから約3週間。WHOの報告(2月19日時点)によると、世界全体の感染者数は7万5204人。このうち中国は7万4280人、死者2006人、日本は感染者数73人、死者1人となっている。

WHOのテドロス事務局長は2月15日、ドイツで開かれた第56回ミュンヘン安全保障会議で「流行がどう広がるかを予測するのは不可能だ」と述べた。いつピークを迎えるか予断を許さない状況だ。

ミュンヘンでは同日、茂木敏充外相が中国の王毅外相と会談し、新型コロナウイルスへの対応について「日本としても中国政府の取り組みに全力で協力していきたい」と表明。王外相は「日本の理解と協力に感謝したい」と応じ、日中で連携していくことを申し合わせた。

ウイルスという「見えない敵」との戦いには体制の違いを越えた国際的な連携、いわゆるグローバル・ガバナンスが不可欠だ。だが、欧米のごく一部には中国人や日本人などアジア人への人種差別的な動きもある。19世紀末の「黄禍論」を想起させるが、今こそ国際社会はこうした偏見を退け、早期終息に向けて結束すべきである。

東京五輪に向け終息シナリオを

中国では3月5日に北京で開幕予定だった全国人民代表大会(国会に相当)が延期の方向になった。4月に予定されていた習国家主席の国賓としての訪日のスケジュールも見直される公算が大きい。

日本では7~9月に東京オリンピック・パラリンピックを控えている。これに先立ち、宮内庁は2月17日、皇居で同23日に行われる予定だった令和初の天皇誕生日一般参賀を中止すると発表した。日本の国内外で各種イベントが次々に中止・延期や自粛に追い込まれている。

SARSの蔓延は北京五輪(2008年8月開催)の5年前。当時の中国指導部は国家統計局とも密接に調整しながら、2003年6月24日、「SARS終息宣言」に持ち込んだ。その手法は共産党主導であり、計画的だった。

日本ではSARS患者は出なかったとされるが、今回は対岸の火事ではない。横浜港で検疫したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の集団感染をめぐっては水際対策が後手に回ったとの批判も招いた。

安倍晋三首相は2月16日、首相官邸で第10回新型コロナウイルス感染症対策本部を開催し、「各位にあっては、それぞれの持ち場において、国民の命と健康を守るため、引き続き打つべき手を先手先手で打ってください」と訴えた。

感染症の専門家を動員してどのような終息シナリオを描き、実行していくのか。官邸主導の危機管理能力が試されている。

新型コロナウイルス感染症対策本部で発言する安倍晋三首相(右から2人目)=2020年2月16日、首相官邸(時事)
新型コロナウイルス感染症対策本部で発言する安倍晋三首相(右から2人目)=2020年2月16日、首相官邸(時事)

バナー写真:北京地壇医院の遠隔診療センターで、武漢市の新型肺炎患者を受け入れている病院とテレビ電話をつなぎ、医療スタッフを激励する中国の習近平国家主席(新華社/アフロ)

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