コラム:亜州・中国

コラム:亜州・中国(17) 3期目の習近平体制にどう向き合うか

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第20回中国共産党大会を経て、習近平氏が異例の3期目の党総書記として最高指導部をスタートさせた。「習一強」の事実上の独裁体制で、米国を凌ぐ経済大国、軍事大国を目指す構えだ。世界は強国路線を突っ走る中国にどう対処すべきか。

集団指導体制から「習一強」独裁へ

10月23日正午(日本時間同午後1時)過ぎ、北京の人民大会堂内の記者会見場――。中国共産党の習近平総書記(国家主席)が右手を振りながら、新たな最高指導部を構成する政治局常務委員6人を従えて壇上に姿を現した。

69歳の習氏を先頭に李強(63)、趙楽際(65)、王滬寧(67)、蔡奇(66)、丁薛祥(60)、李希(66)の各氏が続々と入場する。この順番はそのまま党内順位を意味している。密室で決められた新たな常務委員7人の顔ぶれと序列が公になった瞬間でもあった。

中国共産党の最高指導部人事は5年に1度の党大会の場で決まるわけではない。党大会で選ばれた中央委員(今回は205人)が大会閉幕翌日に開く中央委員会第1回全体会議、いわゆる「1中全会」で、政治局員(同24人)と総書記をトップとする常務委員(同7人)を選出する運びだ。

約9700万人の党員を擁する共産党の頂点に立つ常務委員の人事にはとりわけ注目が集まる。それが明らかになるのが1中全会後の記者会見なのだ。筆者は第15回(1997年9月)から第17回(2007年10月)まで3回の党大会・1中全会を北京で取材した経験があるが、記者会見での新指導部の“お披露目”こそ、5年ごとに繰り返される彼らの晴れ舞台である。

10月23日の記者会見では、壇上に常務委員7人がずらりと立って並んだ。国内外の報道陣数百人が詰め掛けたが、習氏は「中国の発展は世界と切り離せず、世界の発展も中国を必要とする」などと演説しただけで、3期目に入った理由についての説明はなく、質問も受け付けなかった。あとの6人は緊張した面持ちで直立し、一言も発しなかった。

今回の常務委員人事では習氏ら3人が留任、4人を入れ替えた。江沢民時代から3政権に仕え、留任した王滬寧氏は無派閥とカウントしても、あとは習氏に忠誠を誓う「習派」ばかりだ。形の上では7人による集団指導体制だが、「習一強」独裁が完成したといえる。

中国共産党の最高指導部(政治局常務委員会)

1 習近平(69) 党総書記、国家主席、中央軍事委員会主席
2 李強(63)新任 上海市党委書記(首相候補)
3 趙楽際(65) 党中央規律検査委書記(全人代常務委員長候補)
4 王滬寧(67) 党中央書記処書記(全国政治協商会議主席候補)
5 蔡奇(66)新任 北京市党委書記(党中央書記処書記候補)
6 丁薛祥(60)新任 党中央弁公庁主任(筆頭副首相候補)
7 李希(66)新任 広東省党委書記(党中央規律検査委書記候補)

(注)敬称略、数字は党序列
カッコ内で候補としているのは今後予想されるポスト
年齢は原則として2022年10月時点

胡錦濤氏退席が物語る異例人事

それにしても今回の最高指導部人事は異例ずくめだった。習氏は自ら「68歳定年制」の慣例を破り、総書記を続投した。その一方で、胡錦濤前総書記(79)に近い序列2位の李克強首相(67)と4位の汪洋・全国政治協商会議主席(67)は常務委員引退に追い込まれた。次期首相候補ともいわれた胡春華副首相(59)は政治局員から外され、中央委員に降格されたのである。

党大会閉幕日の10月22日、人民大会堂のひな壇で“異常事態”が起きた。習氏のすぐ横に座っていた白髪交じりの胡錦濤氏が突如退席したのだ。外国メディアが撮影した動画によると、本人はまだ席を離れたくない様子だったが、スタッフに腕を支えられて退席を強いられたような異様な光景が映っている。

第20回中国共産党大会の閉幕式で、退席する胡錦濤前総書記に声をかけられる習近平総書記(右)。左は李克強首相=2022年10月22日、北京の人民大会堂(共同)
第20回中国共産党大会の閉幕式で、退席する胡錦濤前総書記に声をかけられる習近平総書記(右)。左は李克強首相=2022年10月22日、北京の人民大会堂(共同)

退席の際、胡氏は習氏に何やら話し掛け、習氏の隣にいた李首相の左肩を労うようにポンと優しくたたいた。未練を残したまま退場したようにも受け取れる映像だ。人事への不満があったことは想像に難くない。

中国国営の新華社は同日、途中退席について英文のツイッターで「体調不良が原因」と投稿したが、真相は不明だ。何よりも不思議なのは、言論が統制されている中国国内では途中退席のニュースは公式に報道されなかったことだ。なかったことになっているのだ。

胡錦濤氏の政治的基盤は共産党の青年組織、共産主義青年団(共青団)。団員数は約7400万人で、エリート養成機関ともいわれる。共青団出身者は「団派」と称される。今回、退任や降格の憂き目にあった李克強、汪洋、胡春華の3氏は団派で、しかも定年前だった。李、汪両氏は自ら退任を申し出たとの情報も流れているが、胡錦濤氏の途中退席劇は、3期目の習指導部からの「団派一掃」を象徴している。

毛沢東ゆかりの“革命の聖地”訪問

党大会・1中全会から間もない10月27日、習氏は常務委員6人を引き連れて中国内陸部の陝西省延安を訪問した。黄土高原に位置する延安は“革命の聖地”と呼ばれる。中国共産党の紅軍が長征を成し遂げて、毛沢東が率いる共産党中央機関が1937年1月、延安に進駐し、革命の根拠地としたからだ。「建国の父」となる毛沢東は延安で党内での主導権を確立した。

10月27日、習氏は延安で「偉大な党創立精神、延安精神を発揚し、第20回党大会で打ち出した目標と任務の達成のために団結し、奮闘せねばならない」などと力説した。

革命の根拠地・延安は、習氏の実父、習仲勲氏(1913-2002年)ゆかりの地でもある。仲勲氏は陝西省出身で、副首相などを務めた。習近平氏自身も15歳から22歳で名門の清華大学入学が認められるまで延安郊外の梁家河村で暮らした。毛沢東は文化大革命(1966~76年)のとき、「都市の知識青年は農村に行って学べ」と下放運動を展開、習少年も梁家河村の貧しい農村で労働に従事したのだ。

延安には巨大な毛沢東像がある革命博物館をはじめ、毛沢東や周恩来が住んだ住居など革命にまつわる旧跡が多い。中共中央西北局紀念館(記念館)には習仲勲氏のブロンズ胸像もある。延安一帯は観光地化しており、愛党・愛国教育の「紅色ツアー」で押し寄せる団体客も目立つ。

革命の聖地・延安の記念館の一角にある習仲勲氏のブロンズ像=2018年7月13日、筆者撮影
革命の聖地・延安の記念館の一角にある習仲勲氏のブロンズ像=2018年7月13日、筆者撮影

習氏が3期目の体制発足直後に毛沢東や実父と深いつながりのある延安に足を運んだのはなぜか。共産党政権の歴史と正統性をアピールし、自らの権威を高めたいとの思惑も見え隠れしている。

習氏、党規約改正で鄧小平に並ぶ

2018年7月中旬、筆者は延安を旅したことがある。革命の聖地を見学して感じたのは「個人崇拝」が復活してきているのではないかという懸念だった。革命を記念した施設での展示は毛沢東や八大元老の一人でもある習仲勲氏らにスポットライトが当てられ、「改革・開放の総設計師」といわれた鄧小平の影は比較的薄かった。

土産物屋には毛沢東と並んで習近平氏の肖像をあしらったキーホルダー、置物などのグッズが多かった。習氏と彭麗媛夫人のツーショットの写真を透明な樹脂フレームに入れた土産物もあった。当時から、中国国内では習氏を礼賛するような風潮があった。

延安の土産物屋には毛沢東と習近平氏の肖像グッズが並ぶ=2018年7月12日、筆者撮影
延安の土産物屋には毛沢東と習近平氏の肖像グッズが並ぶ=2018年7月12日、筆者撮影

中国を大混乱させた文化大革命で、毛沢東への「個人崇拝」が極端に進んだ歴史がある。その反省から中国共産党は党の憲法ともいうべき「党規約」で個人崇拝を禁じ、鄧小平が集団指導体制を敷いた。1978年からの改革・開放政策は、文革を否定して始まった。

今回の党大会での党規約改正で、習氏への個人崇拝につながるような文言が盛り込まれるとの観測もあったが、その一部は見送られた。任期の定めがない「党主席」ポストの復活もなかった。ただ、党規約での習氏への言及は改正前より1回増えて12回となり、鄧小平に並んだ。毛沢東の13回には及ばないものの、習氏が鄧小平と同等かそれ以上の権威を確立した形だ。

実は習氏の実父は鄧小平と共産党内の権力闘争で確執があり、不遇の時代を過ごしたこともあった。習氏としては父親の無念を晴らすためにも、鄧小平路線とは一線を画したいとの思いがあるのかもしれない。例えば、民営企業よりも国有企業を重視する習氏の政策は、改革・開放に逆行しているようにも映る。

「米中半導体戦争」と台湾統一問題

第20回党大会が開幕した10月16日、習氏は総書記として過去5年間の成果と今後の施政方針を示す「活動報告」を読み上げた。約1時間40分にわたった演説で、台湾統一問題をめぐって「武力行使」の可能性に言及したことが、ロシアのウクライナ侵攻とも重なって国際社会に波紋を広げている。この件(くだり)を引用してみよう。

<台湾は中国の台湾である。台湾問題の解決は中国人自身のことであるため、中国人自身で決めるべきである。われわれは、最大の誠意をもって、最大の努力を尽くして平和的統一の未来を実現しようとしているが、決して武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置をとるという選択肢を残す。その対象は外部勢力からの干渉とごく少数の「台湾独立」分裂勢力およびその分裂活動であり、決して広範な台湾同胞に向けたものではない。国家統一・民族復興という歴史の車輪は着々と前へ進んでおり、祖国の完全統一は必ず実現しなければならず、必ず実現できるのである。>

この文脈から読み取れるのは、あくまでも「平和的統一」が最優先だということだ。万一の武力行使やあらゆる必要な措置をとる場合の対象も主に「外部勢力」としている。すなわち米国を強くけん制しているのだ。「血は水より濃い」といわれるように、共産党政権が台湾同胞に銃口を向けることは考え難い。

そもそも「武力行使の可能性」自体は目新しいものではない。中国は2005年、台湾独立の阻止に向け、武力行使の条件などを明記した「反国家分裂法」を制定しているからだ。

もちろん、今後5年続く3期目の習指導部が台湾侵攻に踏み切るケースも想定しておかねばなるまい。しかし、台湾問題をめぐって米中が目下、角を突き合わせているのは半導体の技術覇権である。台湾は高性能の半導体生産で世界一の座を占めてもいる。

中国を「唯一の競争相手」と位置付けたバイデン米政権は党大会目前の10月7日、半導体の先端技術の対中輸出規制を大幅に強化する新たな措置を発表した。一定の猶予期間を設けるものの、米国の技術を使用している世界中の半導体関連企業の対中取引が規制対象となる。日本企業も影響を受けるのは必至だ。

トランプ前大統領は米中貿易戦争を仕掛けたが、バイデン大統領は「米中半導体戦争」の宣戦を布告した。これに対し中国外務省の新任女性報道官、毛寧・副報道局長は10月8日の記者会見で、「中国企業に対して悪意ある封じ込めと弾圧をしている」と強く反発した。

習氏の早期訪日促し首脳会談を

「中華民族の偉大な復興」を掲げる習氏は掟(おきて)破りをしてまで3期目の総書記に就任した。米中両大国のデカップリング(分断)が進む中、米国に対峙して14億人を率いていかなければならないとの強い使命感もあるのだろう。

今世紀前半に名目のGDP(国内総生産)で米国を抜き、中華人民共和国建国百周年の2049年ころには米国に並ぶ軍事大国になる……。「社会主義現代化強国」を目標とする習氏はこんな青写真を描く。

だが、習氏がこだわる「ゼロコロナ政策」で、今年の実質経済成長率目標「5.5%前後」の達成もおぼつかない。世界最大を誇る人口も、世界最大の民主主義国・インドにまもなく抜かれる。習氏が想定するシナリオ通りに進むかどうかは極めて不透明だが、国際社会は強権的ともいえる習政権と向き合わなければならない。

国交正常化50周年を迎えた日本は、中国の新指導部にどう対応すべきか。岸田文雄首相は10月28日の記者会見で、習氏との首脳会談に関して「諸懸案も含めて、対話はしっかり積み重ねたい。建設的かつ安定的な日中関係を双方の努力で構築していきたい」と述べた。

習氏は2020年4月に国賓として来日する予定だったが、新型コロナウイルス禍で延期された経緯がある。国際会議の場での二国間の首脳会談は別にして、日中首脳の相互訪問の順番としては習氏の早期訪日を促すべきだろう。それには内閣支持率が低迷している岸田氏が先ず自らの政権基盤を立て直さなければならない。

バナー写真:中国共産党の第20期中央委員会第1回全体会議(1中全会)を終え、壇上に並ぶ習近平総書記(中央)ら新指導部のメンバー=2022年10月23日、北京の人民大会堂(共同)

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