ニッポンの性教育

シリーズ・ニッポンの性教育(4) 社会で高まる教育推進のニーズ

社会 教育

nippon.comが2019年秋に、日本の性教育が遅れていると特集で報告してから1年余り。その後、子どもの性教育をテーマとした家庭向けの本が次々に出版され、ちょっとしたブームの様相だ。民間での取り組みも増えている。この状況について、一般社団法人「“人間と性”教育研究協議会」代表幹事の水野哲夫さんにあらためて聞いた。

出版業界に性教育「ブーム」

マンガイラストレーターで2人の娘をもつフクチマミさんと、高校・大学で50年以上も性教育に携わってきた村瀬幸浩さんの共著によるコミックエッセイ『おうち性教育はじめます 一番やさしい!防犯・SEX・命の伝え方』(KADOKAWA)が、2020年3月に出版された。10万部でベストセラーと言われる中、発行部数は12月で11万7000部に達している。同書は、家庭での性教育は「子どもの幸せを守るための教育」として、いつからどのように子どもと「からだとこころ」について学ぶのかを解説している。

編集担当の因田亜希子さんは「正直、こんなに大きな反響があるとは思っていませんでした。読者は主にお母さんたちで『目から鱗(うろこ)が落ちまくり』『自分も悩んでいた』『共感した』という声が届いているほか、お子さんがいない方からも『自分が子どものころに知りたかった』という感想をいただいています」と話す。

本の制作過程では、子どもを持つ親たちからも意見やエピソードを聞いたという。

「本の中に『お世話や看護など必要な場合は別にして、親でも子どものプライベートパーツ(口・胸・性器・おしり)を勝手に触ったり見たりするのはよくない』という話があります。ここはラフの段階で意見を聞いた方々から『おしりもダメなんですか?』『あんなにかわいいのに…』という感想をいただいたので、両著者と意見交換し、さらに掘り下げて説明を加えました。また、フクチさんと話してこの本で気をつけたのは、『性教育に対する親の戸惑いを否定せず、寄り添いながら“なぜ?”を追求する』ということです」

『おうち性教育はじめます 一番やさしい!防犯・SEX・命の伝え方』の表紙(左)と中ページ
『おうち性教育はじめます 一番やさしい!防犯・SEX・命の伝え方』の表紙(左)と中ページ

このほかにも性教育関連本が次々に出版されている。長く性教育に携わってきた水野哲夫さんは、この状況をどう見ているのか。

「今年(2020年)に入ってから出版されたものには、学齢期前の幼児や小学生への性教育をテーマにした家庭向け・親子向けの本が多い。背景には子どもの性被害の深刻さがあると思います。SNSで知り合った大人に性的な画像を要求されたり、出会って性暴力被害を受けたりするケースが増えています。そのため、深刻で切実な危機感と問題意識があるのでしょう」

学校で始まる「生命(いのち)の安全教育」

国も動き始めている。橋本聖子・男女共同参画担当相が議長の内閣府、警察庁、法務省、文部科学省、厚生労働省の局長級からなる会議で取りまとめられ、2020年6月に発表されたのが「性犯罪・性暴力対策の強化の方針」だ。ここでは性犯罪・性暴力の特性について、「レイプ被害者の半数程度がPTSDの症状を抱えるとも言われており、日常生活に深刻な影響を及ぼすこと」、「被害者が勇気を出して相談しても二次的被害が生じる場合があること」、「加害者の7~8割が顔見知りであるとの調査結果もあり、特に子供は、親、祖父母やきょうだい等の親族や、教師・コーチ、施設職員等、自分の生活を支えている人や友好的だと思っている人からの被害を受けること」などが挙げられている。

この方針の中で文部科学省が示したのが、「子供を性暴力の当事者にしないための生命(いのち)の安全教育の推進」だ。具体的には、幼児期や小学校低学年には「水着で隠れる部分については、他人に見せない、触らせない、もし触られたら大人に言う、他人を触らない」、小学校高学年や中学ではSNSを通じた犯罪被害の危険、中学や高校では「『デートDV』を教材として、親密な間柄でも嫌なことは嫌と言う、相手が嫌と言うことはしないという認識の醸成に向けた指導を行う」という。21年度から22年度にかけて段階的に取り入れられる予定だ。

「内容は『性の安全教育』と言ってよいものです。『性教育』という名称をよしとしない一部の政治家などへの忖度からか『生命(いのち)の安全教育』と呼んでいますが、この内容での実施自体は歓迎すべきものだと思います。ただ、性が人権と不可分であること、よりよい人間関係と性は切り離せないことなどが明らかにされないで、リスクやネガティブな結果だけを教えると、『そんなにいけないことを大人はどうしてするのか』という根本的な疑問に答えられません。また、子どもたちにとって性は『禁止事項』であり、『忌避すべきもの』になってしまう可能性もあります」(水野さん)

「デートDV」の授業のあと、生徒たちの反応は

水野さん自身も、性教育の授業を大学や高校で行っている。その中で前述の「生命(いのち)の安全教育」でも挙げられていた「デートDV」(カップル間で起こる暴力や脅迫)については、どのように教えているのか。

授業ではすぐにDVの話に入らず、まず生徒たちにこれまで経験した人間関係を挙げてもらい、その人間関係で自分が「受けた、得た、感じた」プラスとマイナスのものを言ってもらう。そして何がそのプラスとマイナスの分かれ目なのかを考えてもらう。また、以下のイラストを見せて、こうしたことを「され続けている側」が何を失うのか、「暴力とは何か」、「人から何を奪うのか」を問う。

「暴力とは何か」を考えるためのイラスト(水野哲夫さん作成)
「暴力とは何か」を考えるためのイラスト(水野哲夫さん作成)

本題の「デートDV」については、以下のマンガを見せて登場人物それぞれの問題を挙げてもらう。そして、「暴力を振るう側は、暴力を意図的に、相手を選択して行使している場合がほとんど」「社会的な『男尊女卑』などの意識に加えて、恋愛に関する『思い込み』が基盤にもなっている」「本人たちが、『恋愛はこういうもの』と思い込み、暴力だと気付いていない可能性もある」「何よりも当事者が、自分の自由や心地よい関係が損なわれていると気づくことが大切。解決はそこから始まる」などの基本的な認識を共有していく。

デートDVを示すマンガ(水野哲夫さん作成)
デートDVを示すマンガ(水野哲夫さん作成)

生徒たちからはこんな感想が返ってきたという。

「暴力にはたくさんのパターンがあることを知った」

「束縛=愛してるとはならないと思う」

「付き合っているからといって、何でもしていいことにはならないと思った。特に暴力はよくないと思った」

「恋愛関係の複雑な人間関係で一番重要なのは、相手の意見と自分の意見をお互い相手の立場に立って考えること」

世論の「潮目」は明らかに変わった

水野さんは、なぜ一般的な人間関係の話から始めるのか。

「10年くらい前までは、いきなりデートDVやDVをテーマにしていました。生徒たちの大多数が積極的に授業に参加していたからです。しかし最近、主に男子生徒から『ああいうテーマって、リア充の話ですよね』『俺は二次元オンリーですから』『一生恋愛もしないし、結婚もしないから』というような否定的な、あるいは拒否的な反応が見られるようになってきたのです」

リア充とは、SNSやネットを通じた関係だけでなく、恋人がいたりして実社会の生活が充実している人を表す。

「学校においては、リア充という言葉は最近ではほとんど『カップル』の同義語として使われています。つまり恋人のいない自分にはDVの話は関係ないという生徒がいるのです。そこで、ユネスコの『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』にも学んで、誰もが経験する人間関係における対等平等性の問題から考えていくようにしたのです。このプロセスを経ると、拒否的な姿勢は見られなくなりました」

大阪府吹田市の小学校、東京都足立区の中学校では、すでに地域の実情に合わせて性教育が取り入れられている。また、民間での性教育の取り組みも積極的に行われている。このコロナ禍のなか、オンラインで親子に向けて性教育の講座を行った助産師さんもいる。限定的な告知でも、定員はあっという間に埋まったという。水野さんはこう言う。

「出版やメディアの報道の様子などを見ても、性教育の必要性に関する世論の『潮目』は明らかに変わったと感じます」

取材・文:桑原 利佳、POWER NEWS編集部
バナー写真:高校で性教育の授業をする水野哲夫さん(本人提供)

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