「令和の時代」の万葉集

公の歴史、個人の心情-「令和の時代」の万葉集(4)

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『万葉集』には、有名無名を問わず、当時を生きた人びとの私情が息づいている。そこが歴史書とは違う。

明日香宮【あすかのみや】より藤原宮【ふぢはらのみや】に遷居【うつ】りし後【のち】に、志貴皇子【しきのみこ】の作らす歌

采女【うねめ】の
袖吹き返す
明日香風
京【みやこ】を遠【とほ】み
いたづらに吹く
(志貴皇子、巻一の五一)

采女たちの
袖を吹き返していた
明日香風は、
都が遠のいてしまったので……
今はむなしく吹いている。

 

 八世紀中葉に出来た『万葉集』には、四五一六首もの歌々が収められている。八世紀前半にできた『古事記』や『日本書紀』はいわば歴史書である。歴史というものは、公のものである。これに対して、歌とは個人の感情を表現するものである。したがって、日本人は、私情、たとえば恋心や個人の悩みを表現する手段として、歌を利用してきた歴史がある。

 『日本書紀』では、西暦六九四年に、都が飛鳥(奈良県明日香村)から藤原(奈良県橿原市)に遷ったと記されている。いわば、これが公の歴史。対して、志貴皇子(生年未詳―七一五頃)は、宮廷の女官たちであった采女は、もう藤原に移ってしまった。飛鳥が都であったころは、たくさんの采女がここにいて、風がその袖を吹き返していたものだがぁ……、と嘆いたのである。今は、風だけが吹いている、というのが、一個人の都が遷ったことへの感慨なのだ。まさしく、私情そのもの――。

 公の歴史と個人の心情。例えばオリンピックといっても、百人には百人の別の思いがあるはずだ。偉人伝だけが歴史ではない。ひとりひとりのオリンピックがあるはずだ。『万葉集』は、八世紀を生きた人びとの膨大な私情を伝える貴重な資料だ、と思う。

バナー写真:PIXTA

本・書籍 万葉集 藤原京