切り取られた時間-「令和の時代」の万葉集(5)
文化 社会 暮らし 歴史
万葉集には恋の歌が多く収録されている。そこには現代人となんら変わらない心情が吐露されている。
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あからひく
肌も触れずて
寝たれども
心を異【け】には
我が思はなくに
(作者不記載歌、巻十一の二三九九)
血潮のたぎる
肌に触れないまま
寝たけれども……、
あなた以外の人を
慕っているわけではないんだ――。
昨夏、ルーヴル美術館に遊んだ。もちろん、いろいろな肖像画を見た。それを見ると、描かれた人は、どんな人なのかぁと、想像してしまう。逢ってみたいと思う。しかし、描かれた人物もその絵を描いた人も、今はいない。残ったのは、目の前の肖像画のみ。つまり、モノだけが残ったのだ。
歌や文章を書くということも、思考をモノ化することなのである。つまり、刹那に消えゆくものを、たとえ二次元としても、かたちにしてモノとする行為なのである。思っていても、書かれなければ、残らない。
閑話休題。男と女は、一室に――。互いに惹かれあうも、男は女に指一本触れなかった。ただし、その理由はわからない。朝となって、別れたのち、男は思った。ひょっとして、何もしなかったことで、自分に二心があると思われてしまうのではないか。ならば、とり急ぎ、二心がないことを伝えなくてはならない。そうしないと、女は自分に対して猜疑心を抱くかもしれない。そこで、この歌を急ぎ贈ったのである。まるで、青春ドラマの一齣だ。
好意を寄せ合う男女が、いつどのようなかたちで、性交渉を持つか? これは、人生における重大な決断の時だ(この一文に異論のある方は、現在のご自分のことではなく、最初の「あの日」のことを思い出して下さい)。歌というかたちにし、文字を通してモノとしたから、八世紀を生きたこの男の心情は今残ったのである。そして、私は、男のせつない心情をネタに、今、エッセイを書いている。歌のなかにある「切り取られた時間」を思いつつ。
バナー写真:PIXTA