「令和の時代」の万葉集

新年をことほぐ-「令和の時代」の万葉集(6)

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令和になって初めての新年を迎えた。万葉集のなかに、平城京を拝礼し、吉兆をお祝いする歌がある。天皇を象徴するものとはなにか―。

三年【さんねん】春【はる】正月【しようがつ】一日【ついたち】に、因幡国【いなばのくに】の庁【ちやう】にして、饗【あへ】を国郡【こくぐん】の司【つかさ】等【ら】に賜【たま】ふ宴【えん】の歌【うた】一首

新【あらた】しき
年【とし】の初【はじ】めの
初春【はつはる】の
今日【けふ】降【ふ】る雪【ゆき】の
いやしけ吉事【よごと】
(大伴家持、巻二十の四五一六)

新しい
年のはじまりの
初春の
今日降る雪のように……
良い事が重なれよ――

 

 旗でも、山でも、川でもよいし、時には小石一つでもよいのだが、そういった「モノ」が、象徴としての役割を果たすことがある。象徴は、モノだけでなく、「ヒト」や「コト」にも及ぶ。人間という生きものは、その時々にあらゆる象徴を作り、いわばその象徴の網の目、ないし体系のなかで生きてゆく動物であるということは、カッシーラー(一八七四―一九四五)やボードリヤール(一九二九―二〇〇七)らが、ことあるごとに述べてきたところである。だから、学校にも校章や校旗がある。

 象徴とは、特定の事物によって、全体を想起させるという機能がある。「ミカド」の「ミ」は、尊重されるべきものを表す接頭語で、「カド」は「門」、「門」から転じて建物を表す言葉である。つまり、「ミカド」とは大きな門とか、大きな家を言い表す言葉である。ところが、大きな門のある家に住む人、大きな建物に住む人というところから転じて、平安朝以降は天皇を言い表すようになった。都のなかで、いちばん大きな家は、天皇の住む宮だからである。

 日本をいわば皇室文化圏としてみた場合、その天皇の紋章は菊になる。おそらく、もともとは太陽を象徴したデザインであったと思われるが、それを植物の菊に見立てて、その原義が忘れられているのであろう。

 では、七世紀から八世紀においては、天皇はどのようなかたちでシンボライズされていたのであろうか。それは、「八角形」である。この時代の天皇家のお墓、すなわち陵は、八角形であった。今日、八角形墳は、ほぼ天皇陵とされている。異論もあるが、天皇を表す「日の御子」に係る枕詞は「やすみしし」で、あえて訳せば「八つの角をなさった」となろうか。さて、八角形が天皇家のシンボルとなると、天皇家以外が八角形をモチーフとしたものを作らなくなる。象徴というものは、そういうものだ。

 この八角形をもって天皇を表し、八つの角をもって世界を表すシンボリズムが、今も伝えられている。それが、即位礼正殿の儀(二〇一九・一〇・二二)において、天皇が立つ「高御座【たかみくら】」である。高御座の真ん中に立つという行為が、天皇の即位を象徴するのは、このためなのである。

 正月に天皇に拝礼をする朝賀と呼ばれる儀式も、天皇を象徴する儀式である。拝礼されるのは、天皇のみで、すべて臣下が拝礼するかたちを取るからである。

 天平宝字三年(七五九)、大伴家持は、雪の降る因幡国【いなばのくに】、現在の鳥取県にいた。そして、新年に降る雪は吉兆だと、新年をことほぎ、遠く因幡から、平城京を拝礼し、新年の宴会を行なったのである。それは、新年の雪が吉兆すなわち良き「きざし」のシンボルだったからである。

バナー写真:PIXTA

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