「令和の時代」の万葉集

乾杯の作法-「令和の時代」の万葉集(7)

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忘年会、新年会を敬遠する風潮になっているという。なるほど、宴会には作法がある。それが堅苦しいか。日本的な乾杯は、万葉の時代から続いている。

この神酒【みき】は
我【わ】が神酒【みき】ならず
倭【やまと】なす
大物主【おほものぬし】の
醸【か】みし神酒【みき】
幾久【いくひさ】
幾久【いくひさ】

この神酒は
私なんぞが醸造した神酒などではございませぬ
倭国をお造りになった
大物主様
その大物主様の醸造された神酒でございます
いく久しく
いく久しく
(お栄えあらんことをご祈念申し上げます)

(『日本書紀』巻第五、崇神天皇八年十二月条)

 

 どんな国や地域にも、宴会のしきたりというものがある。だから、社会性のある人しか、宴会を取り仕切ることはできない。社会を知り、組織というものを知った人しか、宴会を取り仕切ることはできないのである。

 日本で宴会をやる時に、一番はじめに頭を悩ますのは、乾杯を誰に頼むかである。主催者というわけにはゆかず、では年長者か、いややはり社会的地位の高い人に頼もうか、と頭を悩ませた人も多いはずだ。

 では、日本的な乾杯とはどんなものなのだろうか。『日本書紀』を例に考えてみよう。おいおい、そんな古い本からかと思う読者も多いことだろうが、しばしお付き合いを。

 崇神天皇を中心とした宴を催すにあたり、宴会をどのようにはじめたか。最初に酒を造った者が、天皇に酒を献上するところから、はじめるのである。つまり、宴の一座のなかで、いちばん尊敬される人に酒を献上する儀礼的行為をし、その人物が酒を飲んでから、宴がはじまったのである。今回取り上げた歌は、その時に献上者が天皇に酒を勧めた歌である。

 皆は、献上者が酒を造った人であることはわかっている。そのことを前提に、いえいえ、酒を造ったのは、私なんかじゃあありません。大和の大物主の神さまでいらっしゃいますよ、と歌っているのである。そして、いく久しく、いく久しく、ご健勝であられますように、と歌っているのである。

 つまり、宴のはじまりは、その宴の年長者や高位者にお酒を献上するところからはじまるのである。

 じつは、国歌の「君が代」も、開宴において酒を献上する歌の一つだったと考えられる。君の健勝をことほいで、酒を献上して、宴がはじまるのである。いく久しく、いく久しく、と。

バナー写真:大神(おおみわ)神社(PIXTA)

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