「令和の時代」の万葉集

宮廷社会を生き抜くということは-「令和の時代」の万葉集(8)

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政治の世界は「一寸先は闇」というけれど、権力闘争は万葉の時代にもある。額田王は、宮廷社会をたくみに生き抜いた。その処世術とは--。

天皇、内大臣藤原朝臣【ふぢはらのあそみ】に詔【みことのり】して、春山万花【しゆんざんばんくわ】の艶【えん】と秋山千葉【しうさんせんえふ】の彩【いろ】とを競【きほ】ひ憐【あは】れびしめたまふ時に、額田王【ぬかたのおほきみ】、歌を以【もち】て判【ことわ】る歌

冬【ふゆ】ごもり
春【はる】さり来【く】れば
鳴【な】かざりし
鳥【とり】も来【き】鳴【な】きぬ
咲【さ】かざりし
花【はな】も咲【さ】けれど
山【やま】をしみ
入【い】りても取【と】らず
草深【くさぶか】み
取【と】りても見【み】ず
秋山【あきやま】の
木【こ】の葉【は】を見【み】ては
黄葉【もみち】をば
取【と】りてそしのふ
青【あを】きをば
置【お】きてそ嘆【なげ】く
そこし恨【うら】めし
秋山【あきやま】そ我【あれ】は

冬ごもり
春がやって来ますと
鳴いていなかった
鳥も来て鳴きますよね
咲いていなかった
花も咲いてゆくのですけれど
山が茂っていますので
分け入って取ることはかないませぬ
草が深いので
手に取って見ることもかないませぬ
秋山の
木の葉を見ますと
色づいた葉っぱを
手に取って私は賞【め】でますのよ
でも青い葉っぱは
手に取らずにそのままにして嘆きますの……
その点だけが残念でございますわ
なんといっても秋山の方が良いと思いますわ
ワ・タ・ク・シは……
(額田王、巻一の一六)

 

 韓流歴史ドラマでもいいし、ヨーロッパの宮廷社会でもいいのだが、権謀術数の宮廷社会を生き抜くには、どうしたらよいか?答えは簡単である。答えは、二つしかない。権力者に付くことと、人に嫌われないことである。権力闘争といっても、近代法人権思想が成立する以前の社会では、敗北者には死が待ち構えていた。配流ならまだいいほうだ。

 天智天皇(六二六―六七二)の時代に活躍した額田王も、宮廷社会を生き抜いた女である。彼女は、天智天皇、天武天皇兄弟の寵愛を受けつつ、たくみに宮廷社会を生き抜いた女であり、人間的魅力と世渡りの技術の両方を持ち合わせた人物であった、と私は推察する。

 ある時、内大臣の藤原鎌足から、春の山の花咲き乱れる美しさと、秋の山の紅葉の美しさのどちらがすばらしいか、歌で答えよとの命令が出た。おそらく、そこにいた男性の役人たちにも、同様のお達しが出たはずで、男性の役人の場合は、漢詩で答えなければならなかったはずである。

 ということは、その席には、春山派と秋山派の二派がいたことは間違いない。では、額田王はどうしたかというと、自分の立場を明らかにしなければならないにしても、反対派への配慮を忘れなかったのである。

 だから、最初にわざと春山を持ち上げたのである。まずは、春山派の機嫌を取ったのである。しかし、残念なところもあるといって、秋山に軍配を上げたのである。春山もいいです。いいですよ、すばらしいですよね。でもね、私は秋山に軍配を上げたいんです、という塩梅である。

 これは、宮廷社会を生き抜いたひとりの女の処世術であると思われる。

写真:額田王の歌碑(PIXTA)

万葉集 額田王