「令和の時代」の万葉集

歌のセクハラ!-「令和の時代」の万葉集(10)

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男女共同参画社会の実現は、今や達成すべき目標となっている。万葉人の時代から、男女の労働のありかたを考えてみよう。

麻苧【あさを】らを
麻笥【をけ】にふすさに
績【う】まずとも
明日【あす】着【き】せさめや
いざせ小床【をどこ】に
(作者不記載歌、巻十四の三四八四)

麻の緒をね
麻笥いっぱい
紡いだとして……
明日お召しになれるわけでもありますまいな
だから 小床に一緒に入ろうよ――

 

 今日は、ちょっと大きな話をしたい。

歴史というものは、変わらない時は変わらないが、変わる時には一瞬にして変わる。人類の労働の歴史を辿ると、長い間、労働の「性分業」というものがあった。つまり、男性がなすべき労働と、女性がなすべき労働が、区分されていた歴史があったのである。狩りを行ない、戦士となったりするのは男性で、水汲みをしたり、衣服生産をするのは女性の仕事だった。

 この男女分業は、変化しつつ、さらには産業革命を経ても、永く残っていたといえよう。簡単にいえば、男は外で働き、女は家を守るというかたちが守られていたのである。そして、それは、今でも脱しきれていない。

 しかし、この二十年でこの分業の垣根を取り払うことが、社会的に強く要請されてきたのである。男女共同参画社会の実現は、今や達成すべき目標となっている。

 私は、万葉学者だが、すべて万葉の昔がよいとは思わない。また、男女共同参画社会の推進者であろうとも思う。だから、私はこう考える。数千年単位の男女の性分業の垣根を無くすということは、壮大な企てであり、挑戦だという認識を持たないと、成功しないのではないか――。

 糸を紡ぐことは、万葉時代、当然女性労働であった。その糸紡ぎに余念ない女たちに対して、男たちは、ひわいな歌で挑発してきたのである。そんなに、せっせこやったところで、明日、着物ができるわけでもないだろう。だったら、俺たちと共寝をしないかい――、と。

 今日の基準からいえば、まちがいなくセクシュアルハラスメントである。もちろん、古典に今日の基準を持ち込むべきではないという考え方もあるが、それが今日容認されない言動であることも、認識する必要がある。

 私は、教室でこの歌を教える時、こういう歌が生まれた性分業の歴史的背景から、説き起こすことにしている。万葉びとは古代人だが、万葉学徒とて、また現代人だからである。

写真:PIXTA

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