「令和の時代」の万葉集

万葉歌と母権社会-「令和の時代」の万葉集(11)

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万葉びとの時代は、母権社会だった。なぜなら男が女のもとに通う「妻訪い(つまどい)婚」が一般的だったから。大昔から、父の影は薄かった。

誰【たれ】そこの
我【わ】がやどに来【き】呼【よ】ぶ
たらちねの
母【はは】にころはえ
物【もの】思【おも】ふ我【われ】を
(作者不記載歌、巻十一の二五二七)

誰なんですか?
このわが家に来て、わたしの名前を呼ぶのは……
(たらちねの)
お母さんに叱られて
物思いに耽っている時に――

 

 心理学の河合隼雄先生(一九二八―二〇〇七)とは、何度かいっしょに仕事をさせていただいたことがある。とあるシンポの折だったと思うが、生物にとって、父子関係などというものは、二次的なもので、母子関係が大切なんですよ、といわれてガックリしたことがあった。夫は「家長」などとは、短いタイムスパンの文化の次元のことで、夫なんていうもんは、何万年の母子関係の添え物なのかぁーと思ってしまったからである。

 その眼で、万葉歌を眺めてみると、たしかに、父の存在は影が薄い。万葉びとの世界は、圧倒的に母の世界だ。これには理由があって、夫婦が同居せず、男が女のもとに通う「妻訪い婚」という形式が一般的だったからである。子供は母のもとで養育されるので、子供の結婚に関しては、母親が決定権を持つことになる。つまり、母親が「うん」と言わないかぎり、結婚ができないのである。年頃の娘を持つ母は、娘たちを見張って、いわゆる「悪い虫」がつかないようにしていたのだ。

 お母さんから、怒られるから……という娘の声が聞こえてきそうな歌である。儒教道徳を規範とした社会では、「家長」の権限が大きく父権が確立しているが、それはあくまでも社会的体面においてであった。実質的には、子供の養育や結婚については、母親が取り仕切っていたのである。

 介護されるなら、実の娘がよい。老後たよりになるのは娘だ。それは、母系社会の帰結だと思う。しかし、娘たちが、その母たちを重荷に感じているのも事実だが――。

バナー写真:PIXTA

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