「令和の時代」の万葉集

米作り、日本!-「令和の時代」の万葉集(13)

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日本は二千年をかけて、稲作の限界を北上させてきた。この歌から、万葉の時代にも米作りに工夫があったことがわかる。

紀女郎【きのいらつめ】が家持【やかもち】に報【こた】へ贈【おく】る歌一首

言出【こちで】しは
誰【た】が言【こと】なるか
小山田【をやまだ】の
苗代水【なはしろみづ】の
中淀【なかよど】にして
(紀女郎、巻四の七七六)

最初に付き合いたいと
言い出したのはいったいどちらの方でしたっけ
山の小さな田んぼの
苗代水のように
今は二人の仲は停滞中
最近ご無沙汰ですこと

 

 米が売れない。だから、おいしい米を作ることに、日本中の農家が鎬(しのぎ)を削っている。ブランド化だ。じつは、もともと日本の気候は、稲作に適していない。稲作をするには、寒すぎるのだ。日本では、二千年をかけて、少しずつ稲作の北限地を北上させてきた歴史がある。

 つまり、日本の稲作は、寒さと戦いながら、北をめざす稲作なのである。だから、寒冷地に対応したさまざまな発育技術が発達したのである。苗を育てる場合、山間の水を使うと発芽しないので、水路を長くして、時間をかけて水を温めて苗床に入れる技術があった。山の水は、冷水だからだ。すると、山の苗代水は、平地の苗代水よりもゆっくり流れるから、淀みになる。

 大伴家持には、十五歳も年上の恋人がいた。紀女郎である。最近、足が遠のいた家持に、紀女郎はこう呼びかけた。

 いったい先に声をかけたのは、どっちの方でしたっけ。家持さん、あなたの方よね。最近、あなたは私の家にやって来ない。それは、長い水路の苗代水のよう。水路が長いから、淀みができて、中だるみ。早く来ないと怒るわよ!

 八世紀の女たちは、そういう喩えで、ご無沙汰続きの男をやり込めたのである。それは、山田の水路が長いということは、この時代の人びとにとって、常識だったからである。米作り日本!

バナー写真:PIXTA

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