「令和の時代」の万葉集

こんな歌もあったのか―「令和の時代」の万葉集(14)

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短歌世界は動よりも静を、調和美を基調とする。しかし、なかには嫉妬に狂った女のこんな歌もある!

さし焼【や】かむ
小屋【をや】の醜屋【しこや】に
かき棄【す】てむ
破【や】れ薦【ごも】を敷【し】きて
打【う】ち折【を】らむ
醜【しこ】の醜手【しこて】を
さし交【か】へて
寝【ぬ】らむ君故【きみゆゑ】

あかねさす
昼【ひる】はしみらに
ぬばたまの
夜【よる】はすがらに
この床【とこ】の
ひしと鳴【な】るまで
嘆【なげ】きつるかも
(作者不記載歌、巻十三の三二七〇)

焼き払ってしまいたい
ちっぽけなおんぼろ小屋に
捨てさってやりたい
破れ薦敷いて
へし折ってやりたい
(アノ女の)汚らしい不格好な手と
手と手を交わしあって……
共寝をしているだろう アナタのことを思うゆえに

あかねさす
昼はひねもす
ぬばたまの
夜は夜もすがら
この床が
ひしひしと鳴るまでに
(私は悶え!)嘆いてしまう

 

 ピカソの悪口を言うわけではないが、私はこんなことを座談で話すことがある。「ピカソの作品を一点、家に飾るのはよいでしょう。でも、十点飾ったら、お化け屋敷になりますよ」と。

 洋の東西を問わず、前近代の芸術とは、鑑賞者に安らぎを与えることを主目的として、表現されることが多かった。だから、激しい嫉妬や、怒りというものを表現することは、前近代の芸術では稀であった。さらに、柿本人麻呂以降の短歌世界は、動よりも静を、そしてなによりも、調和美をその基調としていた。ところが、こんな歌もあったのである。

 自分の恋人を寝取った女が、男のために用意した敷物なんて破り捨て去ってやりたい。女の家なんか燃やしてやりたい。女の腕なんかへし折ってやると、言いたい放題である。

 おもしろいのは、男に対する文句が一つもないことである。それは、相手の女への嫉妬の大きさが、男への愛と正比例しているからであろう。男への愛が大きければ大きいほど、女への怒りは大きくなるのである。

 こんな歌も、『万葉集』にはあるのだ。

バナー写真:PIXTA

万葉集 嫉妬