「令和の時代」の万葉集

時間は誰のものか?-「令和の時代」の万葉集(16)

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時を定めるという行為は、権力者の特権である。万葉時代の宮廷生活は、太鼓と鐘で時を管理されていた。

皆人【みなひと】の
寝【ね】よとの鐘【かね】は
打【う】つなれど
君【きみ】をし思【おも】へば
寝【い】ねかてぬかも
(笠女郎、巻四の六〇七)

みんな!
寝る時間ですよという鐘は
打たれるけれども
アナタのことを思うと……
眠れませんわ――

 

 学校も、会社も、遅刻は厳禁だ――。歴史社会学でよく議論される問題に、「遅刻の発生」という議論がある。なぜ遅刻がいけないのか?そもそも時間というものは、誰のものなのか?-といろいろな議論がある。時を定めるという行為は、一つの権力であるから、ムラ、マチ、クニ、国王、皇帝が定めるものとなる。だから、学校や会社が定めた時に従わないというのは、処罰の対象となるのである。年号もまたしかりで、皇帝が定めた年号を使用しないと、「私年号」といって、一種の反乱行為とみなされた歴史があるのである。

 日本においても、その時々の権力者が、その時々の時を定めていた。万葉時代、宮廷生活をしている者は、太鼓と鐘で時を管理されていたのである。

 この鐘は、亥の刻を知らせるもので、今日でいえば、だいたい午後十時くらいとなる。亥の刻を知らせる鐘の音を聞くと、就寝時間ということになったわけである。水時計によって時が計られ、陰陽寮【おんみょうりょう】所属の「時守【ときもり】」が、四回鐘を鳴らして、亥の刻を知らせたようである。

 しかし、作者の笠女郎は、大伴家持のことを思って寝られない、というのである。女官であった笠女郎に対して、最初に言い寄ったのは家持であったようだが、家持の熱は冷めていったようだ。それに対して、笠女郎の熱はヒートアップし、家持の気持ちは、反比例して笠女郎から急速に遠のいていった。

 笠女郎は、四度打たれる鐘の音を聞きつつ、わが恋の行く末を思ったのであった。

バナー写真:大伴家持像(PIXTA)

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