「令和の時代」の万葉集

大和は言挙げせぬ国……、しかし-「令和の時代」の万葉集(17)

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詩歌はできるだけ簡潔に表現することを第一とする。日本人の特質が現れた歌を紹介しよう。

柿本朝臣人麻呂【かきのもとのあそみひとまろ】が歌集の歌に曰【いは】く
葦原【あしはら】の
瑞穂【みづほ】の国【くに】は
神【かむ】ながら
言挙【ことあ】げせぬ国【くに】
然【しか】れども
言挙【ことあ】げぞ我【あ】がする
言幸【ことさき】く
ま幸【さき】くませと
つつみなく
幸【さき】くいまさば
荒磯波【ありそなみ】
ありても見【み】むと
百重波【ももへなみ】
千重波【ちへなみ】にしき
言挙【ことあ】げす我【あれ】は
〔言挙【ことあ】げす我【あれ】は〕
(作者不記載歌、巻十三の三二五三)


葦原の
瑞穂の国……
かの国は神々のみこころのままに
言挙げなどしない国
しかし、しかし、
私はあえて言挙げをする
わが言葉のとおりに
ご無事であられますように
さしさわることなく
ご無事であったなら
荒磯に寄せ続ける波ではないけれど
変わらぬ元気な姿でと
百重波
千重波、その波のように繰り返し繰り返し
言挙げをいたします、私めは――
〔言挙げをいたします、私めは――〕

 

 料理人の野崎洋光さんは、温厚、篤実の人であるが、それでいてけっこうな毒舌家でもある。ことに、現在の日本料理のあり方については、手厳しい。今の料理人は、出汁が大切だ、出汁が大切だと言うけれど、出汁というものは、あくまで主役の食材の味を引き立てるものだから、脇役のはず。今の料理人は、料理の主役も決められない、と手厳しい。松茸を主役と決めたら、あとは全員脇役のはず、その香りを楽しんでもらうようにすればいいから、伊勢海老なんか入れちゃだめ。オールスター戦じゃないんだから――。等々、手厳しいのだ。

 日本の詩歌は、心情をできるだけ簡潔に表現することを第一とする。だから、八世紀に入ると長歌はあまり作られなくなる。つまり、五七五七七の短歌の時代になるわけだ。そして、さらにシンプルに、五七五の俳諧、俳句が生まれてくる。つまり、野崎さんの言うように、主意とするところを決めたら、後はシンプルが一番なのだ。

 大和という国は、言挙げをしない国なのだ。言挙げとは、言葉の力を頼って、大声で言葉を発したり、多言したりすることをいう。つまり、信頼関係さえあれば、大声も多言も必要ないということなのである。言葉もシンプルな国という意味なのである。

 そういうことは、充分に承知しているのだが、あなたの旅の無事を祈るということについては、私は「ご無事で、ご無事で」と何度も大声を出したくなってしまう。それが、私の今の心情です、と作者はいいたいのであろう。

 シンプルな料理とシンプルな歌、しかし時には……という心。それは、日本文化の共通項だと思う。

バナー写真:甘樫丘(あまかしのおか)と田園風景(PIXTA)

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