「令和の時代」の万葉集

万葉びとのスポーツ-「令和の時代」の万葉集(19)

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本来なら東京五輪の開催月だったことを思うと残念だが、日本人のスポーツ好きはいまに始まったことではないらしい。万葉の時代にも、人々があまりに熱中しすぎて禁止令が出された競技があった!

梅柳【うめやなぎ】
過【す】ぐらく惜【を】しみ
佐保【さほ】の内【うち】に
遊【あそ】びしことを
宮【みや】もとどろに
(作者不記載歌 巻六の九四九)

梅や柳の
盛りが過ぎる惜しさに……
佐保の内で
ちょっと遊んだことが
宮廷もとどろくばかりの大騒ぎに――(困った)

 

 巨大化しすぎた近代オリンピックは、今、さまざまな困難に直面している。競争ということは、人間の本性に基づくものだから、決してなくなることはない。けれど、近代資本主義が支えているオリンピックも、そろそろ斜陽産業になりつつあるかもしれない。

 知力と体力による競争。競争は、いつの時代も、人間を熱中させるものだ。では、八世紀を生きた万葉びとは、どんなスポーツに熱中したか?

 それは、ホッケーである。ホッケーはもともとペルシア起源で、欧州ではポロとなり、中国では打毬となった。つまり、毬を打つ遊びということだ。漢語の「打毬」を、日本人は大和言葉で「マリウチ」と呼んだ。これが、人びとを熱中させたのである。平城京の郊外である春日野で遊んでいた人びとは、雷が鳴ったにもかかわらず、「マリウチ」に熱中していた。おそらく、歌にあるように、花を愛でるピクニックであったようだが、「マリウチ」で遊ぼうということになったのであろう。

 ところが、である。これが、大問題となってしまったのだ。当時は、雷鳴を聞くと、役人は何をさておいても、宮中に参集するという規定があったからである。平安時代の用語だが、これを「雷鳴の陣」という。折しも、「マリウチ」に熱中していた人びとは、この集合をしなかったのである。『万葉集』のこの歌の左注には、こうある。訳してみよう。

 右にある歌は、以下のような次第で作られた歌である。神亀四年(七二七)の正月には、たくさんの皇族や、諸々の臣下の子弟が春日野に集まって、「マリウチ」を楽しんだ。そのときのことである。一天にわかにかき曇り、雨が降り雷が鳴って、稲光が走った。この時、宮中には侍従や天皇の警護にあたるべき舎人【とねり】と呼ばれる役職の者が誰もいなかった。そこで、聖武天皇は勅命をもって処罰に及び、皆を授刀寮に軟禁し、みだりに外出することを禁止されたのであった。そこで、心も晴れず、この歌を作ったのである。ただし、その作者はわからない。
(巻六の九四九左注の拙訳)

 つまり、罰として軟禁されてしまったのである。その軟禁されているときに作った歌が、冒頭に掲げた歌だ。いつの時代も、スポーツは人を熱中させる。そして、人生を狂わせる。トホホ、というべきかぁ。

バナー写真:PIXTA

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