「令和の時代」の万葉集

無常観の歌-「令和の時代」の万葉集(21)

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コロナ渦の自粛期間中に、あらためて自分の生き方について考えてみた人は多いだろう。日本人の人生観には、仏教が色濃く反映されている。それが「無常」である。

沙弥【さみ】満誓【まんぜい】の歌一首
世【よ】の中【なか】を
何【なに】に喩【たと】へむ
朝開【あさびら】き
漕【こ】ぎ去【い】にし船【ふね】の
跡【あと】なきごとし
(沙弥満誓、巻三の三五一)

世の中というものを
何にたとえよう
朝港を
漕ぎ出した船の……
そのあとかたもないのと同じ

 

一口に「仏教」といっても、おびただしい数の経典がある。そのなかには、サンスクリット、パーリー語の諸文献、さらには漢訳仏典などもあるのだ。しかも、信仰された地域や時代で、その信仰のありようは千差万別。だから、仏教の総体を知ることは難しい。

日本の仏教ということについて限定していえば、それは東アジアの仏教で、漢訳された仏典を学習した仏教ということになる。簡単にいえば、漢字、漢文を通して受け入れられた仏教ということになる。経典翻訳は、異なる宗教文化のなかに、異なる思想を移植する行為であるということはいうまでもない。だから、翻訳という行為によって、新しい宗教が生み出されるともいえる。

つまり、日本語に漢訳仏典が訳された時点で、中国仏教とは異なる宗教が生まれたと考えた方がいいのである(と、ここまで書いたところで、冷や汗が出てきた。私の手にあまる巨大な話題について論じているからである)。

では、日本人は、膨大な仏教経典から、どういう点を中心に学んだのか?やはり「無常観」ということになろう。それは、時間の推移によって、人の生き方を再考しようという「哲学」である。その漢訳仏典をさらに大和言葉に置き換えることによって、「日本仏教」は始まるのである。大胆にいうと、日本仏教は、漢訳された仏典の教えを、日本語で語る仏教である。だから、日本語で再構成された仏教といえるかもしれない。

したがって、日本の仏教の祖師たちは、中国仏教やインド仏教との乖離を恐れ、日本からひたすら仏典と教えとを求め西へ西へと留学しようとしたのである。

たぶん、私が作者・満誓に、「無常」とは何ですかと聞いたら、こう答えるだろう。

ここに船があるとする。朝、船出したとする。すると船はもうここにはない。あるのは航跡だけだ。しかし、その航跡もやがては消える。その船が今朝、港を出ていったことは、それを見た者は知っているが、見た者もやがては死ぬ。わかっているのは、すべてのものは消えるということだけだ。つまり、「無常」は「つねなし」さ……。

すべては消えるのだ。それを認識することが「無常観」だよ、と満誓は、歌でわれわれに教えてくれているのである。

バナー写真:PIXTA

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