遺言の歌-「令和の時代」の万葉集(22)
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世【よ】の中【なか】は
常【つね】かくのみと
別【わか】れぬる
君【きみ】にやもとな
我【あ】が恋【こ】ひ行【ゆ】かむ右の三首、挽歌
(作者不記載歌、巻十五の三六九〇)
人生なんちゅうもんは
いつもこんなもんさといって
死んでいった
君を無性に
わたしは恋い慕ってゆく
恋い慕って生きてゆくだろう――
週刊『ポスト』や『現代』の読者年齢の層が上がってきている、と感じることがある。二、三年前までは、とにかく年老いても性交渉をすべきであると一大キャンペーンを張っていた。ところが、今やそれも下火だ。今の一大キャンペーンは、遺産や遺言をめぐる特集で、賢い死に方を指南するようなものが多い(そんなもの、ないと私は思うが――)。セックスの次は死なのだ。
遺言といえば、現在では財産分与の話のように聞こえるけれど、それだけではないはずである。誰に、どのような言葉を残して死んでゆくのか。それも、大切なことだろう。
『万葉集』の巻十五には、天平八年(七三六)に、新羅国に遣わされた使いの人びとの歌々が残されている。この使節団は、新羅との外交関係の悪化から、その主たる役割を果たすこともできないまま帰国するという不名誉な使節団であった。不名誉だけではない。おりからの天然痘禍によって、使節団の多くの命が奪われた不幸な使節団であった。
そんなひとりに、雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)という人物がいた。その宅満の最期の言葉が、氏名不詳の人物によって記録され、歌の中に埋め込まれている。「世の中は 常かくのみ」とは、宅満のいまわの際の言葉だ。「かく」は「このように」という意味である。死ぬ時というのは、こんなものなのか、こんなにあっけないものなんだぁ、という諦念の言葉である。しょせん、人生なんてぇもんは、こんなもんさぁなぁというところか――。
バナー写真:奈良・薬師寺(PIXTA)