「令和の時代」の万葉集

神さまのなわばり-「令和の時代」の万葉集(24)

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新型コロナウイルスの影響でさまざまな困難に追い込まれたとき、最後は「神頼み」ということになるのかどうか。万葉時代の船旅は命がけであった。そこには神への祈りがあった。

ちはやぶる
金【かね】の岬【みさき】を
過【す】ぎぬとも
我【われ】は忘【わす】れじ
志賀【しか】の皇神【すめかみ】
(作者不記載歌、巻七の一二三〇)

恐ろしい恐ろしい難所
金の岬は
過ぎた……
けれども私は忘れません
志賀の海神さまのことは――

 

多神教というのは、やっかいなものだ。あちらこちらに神さまが、いる――。こんなことを言った友人がいた。なるほど、一理ある。しかし、私は日本の多神教は、とめどなく神が生まれる文化構造であると考えている(『日本人にとって聖なるものとは何か』中央公論新社、二〇一五年)。モノもヒトも時として行為も神となる。

もちろん、その土地には、その土地土地の神がいる。これが、古典でいう「クニツカミ」である。ここでいう「クニ」は、小地域くらいに考えておけばよいだろう。つまり、小地域には、小地域ごとに神がいるのである。ということは、旅する人が、その土地に入れば、当然、その土地の神さまにご挨拶もし、応分の捧げ物もしなくてはならない。次なる土地に入っても作法は同じだ。

博多湾を出港し、東行する船は、まず志賀島を大きく旋回しなくてはならない。ほぼ九〇度に航路を曲げ、さらに島の反対側に回り込む必要がある。これは、古代の航海においては、極めて難易度の高い技術であった。たいへんな難所である。その海の道を支配しているのが、「志賀【しか】の皇神【すめかみ】」なのである。現在の福岡市東区の志賀島だ。

ところが、このあとも難所は続く。有名な響灘【ひびきなだ】である。ここは、潮の流れが速く、岬と島の間が狭くて、座礁の危険性もきわめて高かった。この歌に出てくる「金の岬」とは、現在の福岡県宗像市の鐘崎【かねざき】のことである。この「金の岬」を通過するためには、金の岬の神の力にすがる必要性がある。ここでは、志賀の皇神のいわば「管轄外」なのである。

では、歌の主意はどこにあるのだろうか。それは、私たちようやく「金の岬」の難所も無事通過することができました。しかし、だからといって私は、「志賀の皇神」さまに対する御恩を忘れたりはしませんよ。遠く離れても。そう言いたいのである。それほどに、思っています、といういわば信仰告白の歌なのである。

バナー写真:志賀海神社拝殿・本殿(PIXTA)

信仰 万葉集 上野誠