たたかう「ニッポンの書店」を探して

スペースに価値をつける「有料書店」という取り組み-東京・六本木「文喫」

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日本で初めての有料書店が東京・六本木に登場したのは2018年12月11日。それから1年、1500円もの入館料を支払ってでもやってくる「本好き」たちは引きも切らない。有料書店の試みは、今後書店が生き残っていくための課題を示すものである。

入館料をとる書店

 幾重にも書棚が並ぶ空間は「選書室」と名づけられている。棚にはジャンルを示すサインがある。「文学」「哲学」「旅」「経済」「建築」などだ。

 棚は徹底してテーマによって編集されている。文庫本かハードカバーかといった分け方はない。作家ごとにまとめられてもいない。

 デコボコと異なる判型の本が並ぶ棚を眺めていくうちに、選書者の企みに誘われ本の森に迷い込んでいる、そんな錯覚に陥った。書名の流れに目を託すひとときで、本を一冊読んだかのような充足感を覚えた。

 ここは東京・地下鉄六本木駅の真上の書店「文喫」。2018年12月に開業した。同じ場所にはその半年前までよく名を知られた老舗書店が営業していた。
 新しく現れた「文喫」は日本で初めての有料書店だ。

  朝9時に「文喫」は開店する。六本木通りに面したガラス扉から入館し、コンシェルジェで1500円(土日祝は1800円、いずれも税別)の入館料と引き換えに入館バッジを受け取ると、階段を上がった先に広がる「選書室」に足を踏み入れることができる。

 3万冊の本が収められた本棚が並ぶゾーンの脇には喫茶室。コーヒーと煎茶は無料で何杯でも飲むことができる。ハヤシライスやスパゲッティなどの軽食やケーキ、そしてビールやナッツの有料メニューもある。
 テーブル席の奥の窓際には、ごろりとくつろぎながら本を広げられるスペース。階段を上がると吹き抜けの空間に向かって横一列にデスクがある。ひとりずつの手元に読書ランプ。後頭部まで伸びる椅子の背もたれは長時間の読書を支えるためのものだ。
 落ち着いた空間に、コーヒーの香りが漂う。席は奥から何人か埋まっている。30代と思しき男性が美術書や経済分野の解説本と料理本をデスクに積み上げた。
 入館者は100坪の店内に90ある椅子やソファで、食事をしたりコーヒーやビールを飲んだりしながら3万冊の蔵書を閲覧することができる。

「年間1000軒もの書店が閉店に追い込まれる時代に有料書店なんて、そんなバカな……」と思ってしまうのは、素人考えであるらしい。
 オープン初日から3日間、90席の読書席は満席状態だった。仕事や勉強のために利用する人が多いのでは、という店側の予想は外れ、ほとんどの人たちが本を眺め読書を楽しんだ。

「ああ、こういう場所が求められていたんだなと思いました」
 店長の伊藤晃さん(37)が振り返った。
「売上は非公開なんですが、予想以上の数字です」
伊藤さんは、自信ありげである。

 一般書店の場合、売上は「本」のみだが、文喫の売上品目は「本」「喫茶」「入場料」の3つある。
 書籍の粗利は通常は22パーセント程度が基本である。一般書店が利益を上げるには売上冊数で勝負するしかない。文喫では粗利のよい「喫茶」に加え、「入場料」はまるまる利益となる。これらの利益を積むと、全体の粗利率は通常の書店粗利よりだいぶ上がる。1日あたりの入場者数も非公表だが、平均滞在時間は4〜6時間で、数百人。週末は入場待ちの列ができる。

 1500円の入場料を払ってでも行きたいと本好きに思わせる書店であるために、ゆったりとした空間づくりと、文喫らしい選書を重視している。それは同時に、入場料というポケットがあるからこそ、思い切った選書ができるということでもある。

 棚は「本との出会い」を念頭に設計されている。1タイトルあたり1冊を原則に3万冊がギュッと詰まった選書室だ。選書するスタッフは各テーマに深い愛着と知識を持った人たちである。
「演劇の棚は劇団で俳優をやっているアルバイトスタッフに任せていますし、建築の棚は建築学科の学生がアルバイトで入ってくれています。ふつうの書店では到底置くことのできない高額な専門書もうちでは認めています」
 その結果、一般書店では10年かかっても売れないような3万円もする美術書が、棚に並べた翌日に売れた。そんなことが何度もあった。
 通常の書店の客単価が平均1000〜1200円に対し、文喫では3000円を超えるという。

スペース業という発想

「でも、考えてみてください」
 有料書店が成り立つ仕組みを咀嚼しきれずに唸っていると、伊藤さんが言葉を重ねた。
「六本木という飛び抜けて地価の高い場所で1500円払うだけで一日中過ごすことができる、それ自体、ありえない安さですよ」

『文喫』店長の伊藤晃さん
『文喫』店長の伊藤晃さん

 逆に言えば、この一等地で入場料を取らずに書店業は成立しない。スペース業という概念で空間を捉えないと書店は成り立たない時代にきていると伊藤さんは話した。

「大元にあるのは、本だけでは通常の書店経営は立ち行かないということです。だけど僕らは書店という空間を存続させたい。そのために、極端なことを言えば、本が全く売れなくても成り立つビジネスを模索しています。その可能性が文喫にはあるなと手応えを感じています。というのも、文喫にはもう一つ、収入源があるんです」

 企業とのコラボやタイアップなどの「広告収入」という第4のポケットだ。文喫でのコマーシャルや番組の撮影や、企業からのタイアップの依頼が引きも切らない。初年度売上に占める割合は、これもまた非公開で、とのことだったが、その数字の大きさには驚いた。

「僕らも予想外でした。でも、このことから『本』から連想される文化的な雰囲気や教養に対する企業や社会の持つイメージがよいことがわかります。これは僕らのビジネスチャンスです」

 文喫の経営本体は取次大手の日販である。

 文喫のプロジェクトは日販のリノベーション推進部につくられたユアーズブックストアというチームから始まった。新しい書店の形を模索する実験的なプロジェクトだ。空間やブランドづくりは「スープストックトーキョー」のスマイルズが行なった。そして日販傘下の書店運営会社リブロプラスが運営している。伊藤さんはリブロプラスの社員だ。

「有料の書店も考えられるよね、といった話は僕ら書店員の間では10年ほど前から出ていました。本だけでは厳しい、本プラス何かを掛けあわせないと書店という業態を維持できないという危機感はもう長く現場では共有していました」

 伊藤さんの書店員歴は12年になる。雑誌編集者を経て2008年にリブロプラスに入社し、複数の店舗で店長として店舗経営に携わった。書店員として売り場からヒットをたくさん送り出した、「売れる本」の目利きである。本部でのマーケティングや商品開発を経て、昨年文喫の開業に伴い店長として配属された。

 一般に書店では、出版売上データをもとに「売れ筋」を中心に取り扱う本が決まっていく。極端に言えば、売上ランキングのトップの作品から順に並べていくと売上が上がる。また、出版社が力を入れる作家や作品には報奨金がつくことがあり、粗利を稼ぐために重要な資源となる。そのため、どうしても他店との違いを打ち出しづらくなる。委託販売制度により、返品など在庫管理が煩雑になることも書店を苦しめる。その結果、全国で書店は年間1000軒のペースで淘汰されている。

 ところが、文喫ではこれまでの店舗運営の経験とは真逆のことが起きた。

「これまでは「売れる本」を置くのが前提でした。ところが、ここでは『こんな本、誰が買うんだろう?』という本が売れるんです。これまでの店長経験は完全に覆っています」

 むしろ一般書店との違いが曖昧になると文喫らしさが薄れるため、スタッフの選書に口を出さない。文喫は今まで見えにくかった「本好き」の存在を可視化した。

本屋が好奇心を育ててくれた

 オープンから1年が経ち、課題も見えてきたという。2年目からは、店に入ってすぐの場所にある無料スペースに、雑誌や話題の本を並べて小型の一般書店のような空間をつくる計画をしている。通りがかりの人がふらりと立ち寄ってくれることを狙っている。

「まずは店内に誘い込みたい。そして興味を持ったら選書室に足を踏み入れてほしいなと思っています。本に興味のない人たちの来店を増やしたい」

 秋からは、六本木や赤坂などのビジネスパーソンがビジネスユースで使えるよう、月額制(平日のみ1万円(税別))というサービスを始めた。ビジネスパーソンが選書室で思いがけない本との出会いを経験し、本を読むために書店を訪ねる人が増えることを期待している。

 伊藤さんは「紙の本」の将来には楽観的ではないが、「まだ諦めたくないんですよね」とも言う。

 その背景には北関東で育った少年時代の書店での思い出があった。

「家にエアコンがありませんでした。夏休みになると室温が40度以上に上がるので、近所の書店に逃げ込んでました。町のちっちゃな書店です。エアコンの効いた本屋さんで涼みながらシャーロック=ホームズとか漫画雑誌を延々と立ち読みして時間をつぶしてました。貧しさに対するマイナスの感情を、書店での時間が楽しさや好奇心に変えてくれた。だから、僕は本屋という場所を守りたいという気持ちが強いのかもしれません」

 文喫の1年で、書店が生き残る方法はまだあると確信を持った。

「書店が残らないと、出版社も取次もなくなってしまうでしょう?ここにある3万冊は全て出版社からの買取ですが、通常、書店は委託販売ですよね。買取にしたのは出版社支援の意味も込めています」

 インタビューが終わった。六本木の街はとっぷりと日が暮れている。喫茶室には、ビールを手に本を広げ、一人の時間を楽しむ仕事帰りの人たちの姿があった。

バナー写真:文喫と伊藤晃店長(撮影:長坂 芳樹)

文喫

東京都港区六本木6−1―20
bunkitsu.jp
営業時間 09〜23時
定休日 不定休
入場料 平日1500円、土日祝1800円(税抜) 
ジャンル 新刊
蔵書数 約3万冊

本・書籍 六本木 書店