たたかう「ニッポンの書店」を探して

本好きが暮らす西荻窪で生き残った最後の書店-東京「今野書店」

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コロナの時代、本は人に求められている。書店の社長は、そのことを実感したという。小さな総合書店に選書力を加味したハイブリッドで活路を見出した、52年の物語。

あたたかにきらめく空間

 緊急事態宣言が解除されるという日の午後。向かったのは、JR中央線の荻窪駅と吉祥寺駅の間、西荻窪駅界隈の商店街だ。小さな居酒屋やレストラン、バーが軒を連ねる。商店街といっても地域のバスが走り、街路灯に昭和の風情が残る。商店街の入り口、ビルの1階に今野書店の緑の看板が見えた。

 華やかなファッション誌の表紙がずらりと並び、ときめきを誘う。右手には賞にノミネートされた文芸作品を始め、話題の本が積み上がる。新しい本独特の匂いを漂わせている。

 オレンジ色の照明、低い音で流れるジャズ、靴音が響かないカーペットの床。アクリルや白の展示棚はあたたかな空間に透明な輝きを加えている。
 あちこちの棚の前で客が本を読みふけり、レジ前にはソーシャルディスタンスを保った列ができていた。

 コロナ禍、本を求めて訪れる人は増えた。
「お客様の数があまりに多いときには、入場制限をかけた日もあります」
 地下の小さな事務室で社長の今野英治さん(59)が言った。

今野英治社長
今野英治社長

「営業を問い合わせる電話がひっきりなしにかかってきて、開けてくれてありがとうという言葉までいただきました。ああ、本屋は必要とされているんだなと実感できて、うれしかったです」

 3月から売り上げは前年比プラスが続いていて、4月に緊急事態宣言が出た後も、営業時間を短縮して店を開けた。

 通常は朝10時から夜11時まで、18人のスタッフが2交替で勤務する。一日の平均来店客数は1500〜2000人ほど。地下のコミックフロアと合わせると在庫数は8万冊。専門書をのぞく全てのジャンルを揃え、 NHKテキストの年間購読契約数は、個人経営の書店で日本一を誇る。西荻に暮らす作家の姿を見かけるのはここでは日常のことだ。

今野書店の店内にて
今野書店の店内にて

『来店客の3割が購入すれば“よい書店”。4割ならば“すばらしい書店”』

 書店の良し悪しを測る業界の目安だ。今野書店では4割近くが購入するという。

「家族でお越しになったとしましょう。小さいお子さんからご老人まで、ご家族お一人お一人に向けて満遍なく本が揃っている。そんな普通の書店をしっかりやっていきたいと考えて店づくりをしてきたのがよかったのかもしれません」

 かつて商店街には、雑誌、新刊書籍、文庫本、漫画から学習参考書までひと通り揃う町の書店があった。今野さんの言う「ふつうの書店」だ。

 そうした商店街の書店は次々に姿を消し、全国の書店数は10年あまりで3分の2に減少。現在では1万軒を切り(『出版物販売の実態』出版流通学院)、地域に書店のない「無書店地域」が増えた。西荻窪にも多いときで7、8軒の書店があったが、今では今野書店1軒となった。その52年の歩みは、書店業界の変遷にぴったりと重なる。

昭和43年、上野で創業

 振り出しは1968年、東京・上野稲荷町だ。
 今野さんの祖父は山形県鶴岡市で初の日産自動車のディーラーを始めた実業家。鶴岡から定期的に日産本社の社長や取引先を訪ねる東京の拠点として事務所を構えた。敷地は170坪もあった。

 父は学生結婚をすると、さまざまな仕事を経て、今野さんが7歳のときに敷地の一角で7坪の書店を開いた。ところが、5年後に祖父の出資したレジャー施設「山形ハワイドリームランド」が失敗。事業が行き詰まり、一家は上野の土地を売って、西荻窪に引っ越した。

 今野書店を通り過ぎて、西へ200メートルほど進むと薬局の入った建物がある。父が20坪の書店を再開した場所だ。父はレジで日がな本を読み、母が忙しく立ち働いていた。

「父は本好きでしたが、本屋という商売に情熱を持っていたとは思えません。棚をつくっていた姿は思い出せませんから」

 今野さんの記憶から立ち上がる先代の像は、裕福な家庭に生まれ、日々の商いにあくせくしない悠々とした書店主だ。山形出身の評論家・渡部昇一は、父の兄の鶴岡での同級生。石神井の渡部家に毎週本を届けるのが父の仕事だった。ライバル店も現れたが、早稲田大学や東京女子大学出身のスタッフに救われた。父は本好きな彼らに棚づくりを任せていた。彼らの選書や棚づくりは文芸ファンの支持を集め、20坪の書店ながら、出版社との取引ランクでは好位置につけた。今野書店は持ちこたえたが、同じ道沿いにあった小さな書店が2軒、店を閉じた。

修業、のちバブル

 1983年、今野さんは大学の機械工学科を卒業すると紀伊国屋書店に就職し、書店員の基本的な技術を身につけた。「新刊ベスト10は何がなんでも確保して店頭に並べる」「本を積み重ねるときは四隅をきちっと揃える」「スリップと呼ばれる伝票による在庫管理」「出版社との交渉」などだ。
 2年後、埼玉の須原屋書店が2008年まで運営していた「書店学校」に入学。書店の後継者を預かるこの全寮制の経営学校で、4人の同期と1年半、寝食を共にしながら経営学論と書店実務を学んだ。

 25歳で実家に戻った今野さんは仕入れに力を入れ、週に3回は取次に出向いた。どうしても入手したい本が出たときの交渉の手札を少しでも多く持っておくためだ。出版社に直接買いつけに行くこともあった。

今野書店の書棚
今野書店の書棚

「新刊台は魚屋で言えば、その日に仕入れたとびきりの魚を置く場所です。人気の新刊はあらゆる手を講じても手に入れたい。そのために出版社や取次との日頃からの関係が大切なんです」

 修業で得た技術と経営の視点が加味され、今野書店は総合書店の色合いを強めていった。売り上げは急伸。だが、バブル景気の1988年、銀行に勧められて店舗兼住宅をビルに建て替えたことがほどなく経営を苦しめるようになった。

 銀行の担当者が「これ以上は上がらない」と言った金利は上昇し続け、支払いに行き詰まり自転車操業に陥った。バブルが弾け、金利が下がったことでかろうじて難を逃れた。

「あと半年バブルが続いていたら破産していたでしょう。家族で路頭に迷っていたとしてもおかしくありません」

 前後して35歳で社長を引き継いだ。父にとって50代での退任は不本意だったが、長い不況に耐えるには経営者として鷹揚すぎた。

 出版業界の売上は1991年をピークに下り坂へと転じた。大型書店は相次いで地方展開を推し進めた。取引では量を売る店が優遇される。「売れ行き良好書」は大型書店に厚く配本され、小さな地域書店には入手困難となった。

「書店学校」の同期生たちは共通の課題に直面、90年代の半ばから連携について議論を重ねた。

「ベストセラーは絶えず取り合いで、出版社とのコネクションにも限界がありました。そこで仲間の書店で共同で一括仕入れする法人をつくって、各店をチェーン店にする仕組みをつくろうと」

 2001年、有限会社ネット21が発足した。

「弱小書店では入手困難な本も、地域書店がまとまって100冊単位で注文するので、1店あたりの手に入れられる冊数は確実に増えました」

 現在、23の法人が参加し、今野さんは取締役副社長を務める。

再び、同業者の脅威

 本好きが書店を育てたのか、書店に惹かれて本好きが集まってきたのか。ともあれ、西荻窪は本屋が多く、本好きが暮らす町として知られる街となった。

 リーマンショックの翌年の2009年、その土壌を目がけて新刊書店が出店した。東京を中心に13店鋪を展開するあゆみブックスのフランチャイズ、颯爽堂だ。優れた選書で知られるあゆみブックス社長肝いりの颯爽堂は、独特の棚の編集や空間演出で、たちまち西荻窪の本好きを魅了した。

 たまに偵察に行くと、いい書店だと認めざるを得ない。売り上げが落ち、10人ほどのスタッフの雇用維持は危うくなった。予想外の話が舞い込んだのは、家族で小さくやっていく覚悟をしようとしていたある日のことだ。

「駅前に空き物件がある。移転しないか」という。

 書籍業界は沈む一方。すでに負けは込んでいる。家族は反対したが、「絶対に行ける」と今野さんは思った。

「45坪の店で月商は下がっても1000万円余りありました。これがもっと駅近になって広さが1.5倍になるのですから、売り上げが伸びないはずはない」

 手を打たない限り「座して死を待つ」しかない。前進するより他に選択肢はない。新たに借金をして移転した。現在の場所だ。

 追い風が吹いた。
 文芸の選書に独特のセンスを持っていたスタッフが、今野さんと考えが合わず、数年前に店を去っていた。その彼女が、もう一度働きたいと連絡をくれたのだ。

「通好みの選書ができるスタッフでしたが、僕からすると、一般向けの本を軽視するようで、棚づくりの考えに埋められない違いがありました。でも、彼女に申し訳ないことをしたという思いも残りました。再会したとき、東日本大震災を挟んでさまざまな経験をした彼女に前向きな変化を感じ、受け入れたいと思えたんです」 

 そこには、売れ行き良好書中心で遊びのない棚になりがちな自身の棚づくりへの反省もあったという。今野書店に戻ったその人は、文芸書及び人文書の棚を引き継いだ。小さな出版社から出された美しい詩集、学術系出版社によるフェミニズムの論考集、外国文学専門の出版社のラインナップなど、奥行きの深い棚が生まれた。

 人文書だけではない。今野さんは棚づくりの全てをスタッフに任せた。文庫、ビジネス書、新書など、各担当者が手入れを怠らない棚は、思いがけない本との出会いを差し出し、4割近い購入者率を支えている。

本を求めるすべての人を受け止める

 40年を経て、今野さんは父の鷹揚なやり方をたどっているかのようだ。

 あゆみブックスが2015年秋に大手取次に買収されると、颯爽堂は翌月に休業。前後して、かつてのライバル店・ブックセラーズ西荻が閉店し、西荻窪には今野書店だけになった。

 スタッフの選書力。幅広い年代向けの品揃えと、通好みの独自の選書の両立。本を手に取ろうとする誰のことも排除しない姿勢。

 今野書店が激戦地の西荻窪で生き残った理由はそんなところにあるかもしれない。

 周辺の中高への教科書販売を行っている。それも、地域の書店の役割と考えてのことだという。

 取材が終わり、18時を回った店内は、本を求める人たちでごった返していた。エプロンをつけ、今野さんがレジに立った。てきぱきと客とやり取りをする姿は、地域の人たちに喜ばれる仕事への誇りと感謝に満ちていた。

バナー写真:今野書店の外観(写真は全て仙波理撮影)

今野書店

東京都杉並区西荻北3−1−8
http://www.konnoshoten.com
営業時間 10〜23時(平日・土曜)、10〜22時(日祝)
*現在は時短営業中
ジャンル 新刊・コミック
在庫数 約80000冊

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