たたかう「ニッポンの書店」を探して

本読みの店主のいる書店は街を豊かにする-甲府・春光堂書店

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創業102年の書店は、かつて甲府でいちばんの繁華街だったアーケード街にある。人々の集まる場所が郊外へと移り、街の中心部は活気が薄れた。そこへ新型コロナが襲った。だが、店は変わらず朝9時にシャッターを開ける。25坪の店内には、本読みの店主が整えた味わい深い棚が広がっていた。

アーケード街で、朝9時に開く書店

「シルクハットをひっくり返したよう」。太宰治は高い山々に囲まれた盆地にある甲府の美しさをこうたとえた(『新樹の言葉』より)。東には秩父甲斐国立公園、西に南アルプス。中世には交通の要所として栄えた甲斐の国の中心地だ。太宰は新婚の短い期間、甲府に暮らしたことがあった。

 甲府駅に降り立ち、官公庁街を抜けるとすぐに百貨店や商店、飲食店が立ち並ぶ繁華街に出る。コロナの影響もあるのだろうか。平日の午前中、人通りはまばらだ。

 春光堂書店はアーケード街の中ほどにあった。週刊誌や娯楽誌、子ども向けの学習誌などが並んだカラフルな陳列棚が「準備万端」と言いたげに入り口の両脇に配置され、来店客を待っていた。

 店の扉に記されていた営業時間は「10時―20時」だったが、朝9時にはシャッターは上がって本を買うことができる。店主の宮川大輔さん(46)が配達の準備を始めるからだ。朝一番で取次から届いた新刊や雑誌の荷開けをし、配達先に届ける本を準備する。

 甲府生まれの宮川さんが子ども時代を過ごした昭和50年代、一帯は甲府いちばんの繁華街だった。宮川さんは学校が終わると店に帰り、祖父母と父母が働くすぐそばで遊んだ。夕食は家族みんなと店の奥の茶の間で食べ、夜8時ごろに両親や妹たちと連れ立って近くの家に帰る生活だった。

 バブル期に先代が現在の3階建てのビルに建て替えたとき、宮川さんは中学生。まだ街は賑わっていた。進学のために甲府を離れ、2004年に30歳で宮川さんは実家に戻り、家業に加わった。

大正7年に創業

 明治生まれの曽祖父が1918(大正7)年、韮崎から甲府に出てきて街の中心部で開業した。最初に店を構えた地は春日町。この町に本という光が差し込むようにと願って春光堂書店と名づけた。3代目にあたる宮川さんの父は新潟出身で取次会社・東販の社員だった。婿養子として宮川家に迎えられ、書店業を継いだ。

 かつて春光堂書店の周辺には大小合わせると10軒近くの書店があった。人々の住まいが郊外へと移るのに合わせ、ある老舗書店は中心部から郊外へと移転し、いくつかの小さな書店はいつの間にか商売を畳んだ。

選んだ本を長く扱う

 3代目の頃までは取次から届くパターン配本をもとにした棚づくりだったが、宮川さんの代になってからは半数以上を宮川さんが選書している。

 25坪の店内は、歴史、思想、宗教、哲学など、人文書が壁面の棚にゆるやかなひとつの流れをつくっていた。新刊ももちろんあるが、中には出版から少し時間が経ち、すでに文庫が出ているが単行本として置かれているものもある。そこには、一度選んだ本は長く取り扱おうという思いが感じられた。著者名でひとかたまりにされるのではなく、例えばあるジャーナリストの作品が、働き方に関するものは「仕事」関連の本と一緒に並べられているし、経営者に関する書物は「経営」の分野に置かれている。

 棚には不思議な明るさとあたたかさがあった。本の並び具合や1冊1冊の本の顔ぶれに引き込まれていく。

 分類が厳密ではない棚には独特の心地よさがあった。そう伝えると、このとき宮川さんはこう答えた。
「よくわからないことや曖昧であることは大切ではないかと思っています。境目が緩やかであるという棚全体のつくりは意識しています」

 私たちは本を読むことによって、心の揺れや不安、痛みをやり過ごし、慰めを得ている。曖昧な境界で整えられている棚には、はっきりとした答えの見つからないもやもやとした思いでいることを肯定されているような気がした。

山梨らしさのある書店

 奥の棚の前には作業机を置いてもまだゆったりとした空間があった。
 10年ほど前からここで読書会を開いているという。
「本好きな公務員の方が街の喫茶店に数人で集まって、1冊の本を読むという会を始められたのです。誘われて参加しているうちに、いつの間にかうちを場所に使っていただくようになりました。今は持ち回りで読む本を決めると、事前に店頭でも紹介します。集まるのはだいたい10人前後でしょうか」
 コロナ禍で集まることが難しくなってからはズームで開いてきたが、やっぱりリアルがいいね、という意見が多く、8月から店内で再開した。

 古事記に関する勉強会も行われている。独学で長年古事記を研究してきた甲府在住の在野研究者を講師に、1年をかけて古事記を読み解く。初年度の3年前、宮川さんも参加した。勉強会がきっかけで古事記を取り扱うコーナーが充実した。

 宮川さんは得々三文会という「朝活」を2011年から運営している。毎週火曜日の朝7時、会社員、自営業、学生など30人ほどが集まっていたが、コロナ禍は夜、オンラインで開催している。スピーカーのレクチャーを聞き、感想を言い合い、横のつながりが育っていく会の面々は、甲府の街をよくしたいという思いを共有する。春光堂書店も月に1回会場となる。

 人々が集い、個々の持ち寄ったアイデアや問題意識などの個人知を共有し議論することで共同知が得られるとすると、書店はその集いに適した場所だ。なぜなら、壁面に収まる書物の背表紙に記された研ぎ澄まされた言葉の連なりは、人々の思考や議論に隙間を開けたり、突破口を見出すヒントになったりするからだ。もちろん、日頃は関心を向けていなかった本との思わぬ出会いのきっかけとなることもある。

 得々三文会で共有された問題意識を反映して、まちづくり関連の書籍は多く集めているのだと宮川さんが棚の前で説明した。
 宮川さんは『デパートを発明した夫婦』(鹿島茂・講談社現代新書)を手にとった。
「フランスで初めてデパートがつくられたとき、どのように消費が喚起され、そのことによって人々の暮らしに購買の喜びや楽しさがもたらされ、ひいては資本主義に影響を与えたのかについて書かれたものです。当時、デパートはイノベーションだったはずです。今の時代であれば、どういったことが考えられるだろうと考えながら読んでいます。とても好きな本です」

 デパートという商形態も変わることが求められる時代になったが、デパートが現れた19世紀当時、デパートの何が人の暮らしを変えたのかを知ることで、今、商店街が人に求められるためには何が必要なのかを考える助けを得ているという。

「山梨」の棚には、郷土のスター・武田信玄に関する本はもとより、山梨大学出身のノーベル賞受賞学者・大村智の業績を一般の人向けに記した本や評伝。山梨生まれで『楢山節考』の小説家・深沢七郎はさりげなく10冊以上。同じく山梨出身の檀一雄。井伏鱒二や太宰治が山梨で記した作品も、小説の棚ではなくこの「山梨」の棚に。嵐山光三郎の作品が並べられているのは、深沢七郎を師匠と慕った人間関係を映してのことだ。「山梨」の棚を眺めていると、山梨で編まれた文学や学術の歴史が浮かび上がる。

本読みの店主が待つ書店のある豊かさ

「もしかしたら、うちの特徴かもしれません」
 宮川さんがそう言うと、「山」の棚を指差した。
 甲府駅で下車して駒ヶ岳や南アルプスへ向かう登山客の中に、春光堂書店に立ち寄って山で読む本をと来店する人たちがいたことから「山」の棚を設けて久しいという。
 「山」の棚には写真集やガイドブックの脇に、宮本常一、柳田国男をはじめとする民俗学関連や、星野道夫、串田孫一といった山梨を囲む山々に関する著作が静かに読み手を待っていた。

 中でも山梨の山々と関わりのある本を、宮川さんが手にとって紹介してくれた。まず、冒険家・星野道夫の『魔法のことば』。多くの著作を残した星野は優れた話し手でもあったという。この本は、星野が中学校や美術館など日本のあちこちで市井の人たちに向けて語った講演をまとめた講演録だ。宮川さんが勧めてくれたのは、最後に収録されている一編が山梨県の八ヶ岳で行われた講演だったためだ。

 宮川さんが棚の前で語るブックレビューは、いつまでも聞いていたいような甲府への思いがこもっている。山梨の風土や自然、人物との関わりを交えながら紹介してくれた宮川さんのレビューに引き込まれ、私がこの日購入した本は、こんな顔ぶれだ。

『日本百名山』 深田久弥・新潮文庫
『魔法のことば』 星野道夫・文春文庫
『中谷宇吉郎 雪を作る話』 平凡社スタンダードブックス
『獄中手記 何が私をこうさせたか』 金子文子・岩波文庫
『デパートを発明した夫婦』 鹿島茂・講談社現代新書

 夕刻になった。徒歩圏内に官公庁や銀行、企業の入るビル街がある。仕事帰りに立ち寄ることのできる距離に、本読みの店主が待つ書店のある甲府の豊かさを思った。

バナー写真:春光堂書店の店主、宮川大輔さん(撮影は全て三宅玲子)

春光堂書店

山梨県甲府市中央1―4−4
https://harulight.com
営業時間 9〜20時
定休日  日曜
ジャンル 新刊
蔵書数 約8000冊

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