たたかう「ニッポンの書店」を探して

競争とは違う生き方探して本屋になった-鳥取県湯梨浜町・汽水空港

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本屋の夢叶えるため、見ず知らずの鳥取へ。湖のほとりでカウンターカルチャーの本を並べる風変わりな店には一人も客の来ない日もあったが、今では一目置かれる書店に。この町が居心地のいい場所であるために、誰よりも自分にとって本屋が必要だと、書店主は言った。

本屋をやらない方が生活は楽なのに

 日本海沿岸を走る山陰本線で、鳥取から米子方面へと向かう。普通列車で約1時間、無人駅を降りると、「歓迎、東郷温泉」という古びた看板ゲートに迎えられた。明治期に志賀直哉を始め文豪や政治家が湯治に訪れ、昭和の頃には温泉観光地として栄えたというが、平成、令和へと時代が移ろうに連れて賑わいが遠のいたのだろう。今は静かな町だ。

 少し歩くと、湖が見えてきた。
 東西に細長い鳥取県の真ん中に位置する東郷湖は汽水湖だ。汽水とは、淡水と海水の中間の塩分を持つ水のことだ。日本海沿いには、地形の特徴により汽水湖が点在する。
 モリテツヤさん(34)は、この東郷湖のほとりで書店・汽水空港を経営している。名前は本名だがカタカナで記すのがモリさんのやり方だ。

 実家は千葉の幕張、大学は東京。鳥取には地の利も血縁もなかった。人口約57万人の鳥取県は、全国の都道府県で最も人口が少ない。流れ着くようにモリさんが東郷湖のある湯梨浜町にやってきて7年になる。

 約束より少し早めに到着した。汽水空港の目の前にはたっぷりと水を湛えた東郷湖が広がっていた。木の風合いを生かしたこじんまりとした建物と穏やかな湖面。美しいロケーションに見惚れていると、まるで自転車を転がすような軽やかさで軽トラックから降り立ったモリさんが「お待たせしました」と笑顔を見せた。

 書店「汽水空港」は新刊、古書、合わせて2500冊ほどを取り扱う。人口1万5千人ほどの湯梨浜町は、高齢化率は35パーセントで、公立の小学校が3校、中学校が1校ある。だが「汽水空港」には、シニアが愛読する週刊誌や女性誌も、あるいは小中学生向けの学習参考書もない。自作の本棚に並ぶのはモリさんが1冊1冊選んだ哲学、思想、サブカルチャー、アジア関連、LGBT、植物学、セルフビルドの建築関連などだ。古書と新刊は区別なく置かれている。昨年ブックトークを行った坂口恭平氏の新刊「自分の薬をつくる」は平積みされていた。

 地域の人たちが足しげく通う場所ではないが、鳥取、島根、岡山など、半径100キロ圏内から本好きな人たちがやってくる。

 本屋では生活は成り立たない。だからモリさんは畑で野菜を育て自給自足に近い暮らしをし、現金収入を得るために道路工事や木こりや建築の現場で仕事をする。
「コロナ禍で3月から4ヶ月ぐらい店を休んだんですよ。そしたらものすごく生活が楽になって。今まで、本屋のためにどれだけ忙しかったかがわかりました」
 モリさんが、カウンターの奥でコーヒーを淹れながら笑った。

 月に2、3回開くブックトークなどのイベントでは、交通費と謝礼を用意する。5万円ほどの出費だが、1000円の参加費を集めたとしても、だいたい、参加者は多くて30人ほどだ。参加費で足りない分を補填するためにも、新しい本を仕入れるためにも、ある程度の現金は必要なのだ。生活を考えれば書店はやらない方がいいとモリさんは言った。だが、モリさんは書店を再開した。なぜなのだろう。
「いろんな問題にぶち当たって考えるときに、過去の人の記録、つまり、本は参考になります。そしてここが自分にとって快適な町であるためには本屋が必要です。居心地のいい場所をつくるために、本屋を続けようと思いました」

組織の競争に参加できない自分の悩みは人類の課題

「本屋をやりたいと思ったのは、二十歳のときです。小さな本屋に出会ったのが大きな出来事でした」
 それは下北沢にある気流舎というカウンターカルチャー専門古書店だ。天然木を基調にしたあたたかい雰囲気の書店だが、4坪の空間は思想、哲学、ヒッピー文学などで埋め尽くされ、モリさんは衝撃を受けた。そして2冊の本に出会う。

 1冊は「就職しないで生きるには」(レイモンド=マンゴー)。ヒッピー世代のアメリカ人が、ひょんなことから本屋を始めたら、それまでは仕事なんかしてたまるかというヒッピーの価値観にどっぷり浸っていたのに、仕事が人生そのものに変わっていったという体験を書いた自伝的物語だ。そして、もう1冊はスウェーデンの言語学者による「懐かしい未来」(ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ)。インドとネパールに接する地域に暮らすラダックという少数民族が、高地の特徴に合わせた自給自足の伝統的な生活をしていたところへ西洋文明の流入によって変わりゆく過程に立ち会い、考察を深めた文明評論だ。

 モリさんがこの2冊に惹かれたのは必然の出会いだったようだ。
 幼い頃、モリさんはあるテレビコマーシャルを見て恐怖を感じた原体験がある。それはスーツ姿のサラリーマンが登場する滋養強壮剤の商品コマーシャルで、「24時間、戦えますか」というコピーだった。幼心に不安に思ったモリさんは、会社員の父に「会社っ て24時間働かないといけないの?」と尋ねると、まあそんな感じだよなあという父の答えにショックを受けた。会社員になれる気がせず、以来、迷い続けた。
「24時間働くことがよいという世界観では自分は生きられない。就職せずに生きるにはどうしたらいいだろうって考え続けていました」

 高校卒業の時点で生き延びる手段が見つけられず、4年の猶予を得るため大学に進学。小さな書店を巡る中で気流舎を知り、上述の2冊と出会った。

「ラダックに西洋文明が入り込んでいく過程は、日本の来し方でもあると思いました。日本もかつては資本主義経済以前の時代があったわけで、僕もラダックと同じ体験の中にいると思いました。そして、資本主義の中で勝ち上がるというよりは、違う生き方を見つけたいと思ったんです」

 2000年代の後半、メディアを開けば「ネットカフェ難民」「派遣切り」といった言葉が飛び交っていた。資本主義経済のもと、組織のパーツとして会社員の務めを果たすことができそうにない自分の問題は、人類の課題だとも思った。

「環境破壊をしたり自分を組織に合わせて苦しめたりせずに、資本主義の世界で最低限生きのびられる金を稼ぎながら生きていくための仕事をつくれたら、それは自分を救うことでもあるし、自分以外の人にも希望が示せるんじゃないかと考えたとき、勇気が湧いてきたんです」
 そして本屋になろうと決めた。

「やめとけ」と気流舎の経営者には言われた。理由は「本屋は儲からない」。気流舎はデザインの仕事をしながら運営していた。東京では家賃も高い。自ずと、地方へ、そして自給自足できるよう農業の術を身につけようと志向した。大学を卒業したモリさんは、無鉄砲にも、埼玉県小川町の有機農法で有名な農家に1年住み込み、さらに1年、栃木県のアジア農業学院でボランティアスタッフをしながら農業体験を積んだ。2011年夏、田んぼと畑付で空き家を1万円で貸してくれるという話があり、鳥取に移住した。鳥取暮らしは足かけ10年になる。

待ち続け、うつに

 最初に移住した先ではよそ者扱いを受けた。現在の場所に導いてくれたのは、湯梨浜町でシェアハウスを営むクリエイターの2人だ。大工や左官の現場で働きながら、家づくりの基礎を少しずつ学んだ。今の「汽水空港」の建物は、月額5000円で廃屋を借りたものだ。柱を組み直したり、水回りを整えたり、すべてモリさんの大工仕事による。不慣れで、柱を前に半日悩んだ日もあった。

 迎えた念願の開店日には、取材にやってきた地元のテレビ局のディレクターに「こんな田舎ではどうせ続かないから、挫折までを描きたい」と言われ、ショックを受けた。好奇心で店に入ってきた人は「いったい、何の必要があってこんな店をやってるのか」と、棚も見ずに言い放って出て行った。一人の来店客もない日が幾日も続き、絶望し、うつ状態になった。気持ちを立て直したところへ、2016年10月21日、鳥取県中部地震で被災した。どうしたいかを考え直そうと、一旦店を閉じた。再びうつ状態になった。

 パートナーのアキナさんが、行き詰まったモリさんの気持ちをすくい上げた。
「どうやって生きていけばわからないと僕が絶望しているのを、そうか、って受け止めてくれました。結婚とか考えられないし、地獄に道連れするだけだと言ったけど、彼女は、自分はそう思わないと、いつも淡々と、悲観的にならなかった」

自己肯定感?よくわからないですね

 2018年秋、店を今の形に改装し、面積を広げてリニュアルオープンした。カフェコーナーをつくり、アキナさんが手づくりの焼き菓子やコーヒーを出す。近所に古着屋ができ、この場所を訪れる若い人が増える未来を予感させた。自分だけではこの町を変えることはできないが、予期せぬ流れに未来の可能性を教えられることもあると知った。

 最近はブックトークなどのイベントを開かせてほしいと、出版社や著者から依頼を受けることもある。あるブックトークを主催したときには、ゲストスピーカーに支払う謝礼を捻出するためにモリさんが道路工事の現場で働いていることに心を動かされた編集者が、ブックトークの記録を無償で本に仕立てた。汽水空港の初のレーベル「ふざけながらバイトをやめる学港」(山下陽光、ワカクサソウヘイ)だ。

 遠くからやってくる本好きのためにとどまらず、地元の人たちにとっての場所でもありたい。
「以前、この町には港町の側面もあって、ストリップ小屋とかバーもあったそうなんです。そうしたノイズって町にとって健全だと思うんです。小さなコミュニティで生まれ育った人たちの中にはすべての顔が見える関係性に息苦しさを感じることもあると聞きます。そうした人たちにとって、汽水空港の違和感がノイズとして機能すればと願っています」

 競争社会で勝ち抜けないと早々に悟ったモリさんは、果たして負けた人なのだろうか。

 モリさんは確かに充足しているようだ。そう思ったのは、「自己肯定感はありますか?」と尋ねたときのことだ。首をかしげると、モリさんはこう言った。

「僕、その質問の意味がよくわからないです。うまく行った日はよかった、と思うし、うまくいかなかった日は、ああ、ダメだったって思う。それだけですよ」

 身体性を信じ、身体を動かしながら果実を待つ。「汽水空港」は湖のほとりで健やかに、着実に、息づいている。

バナー写真:汽水空港(撮影は全て三宅玲子)

汽水空港

鳥取県東伯郡湯梨浜町松崎町434−18
https://www.kisuikuko.com
営業時間 13〜19時
定休日  水・木曜
ジャンル 新刊と古書
在庫数 約2500冊

本・書籍 書店 鳥取県 資本主義