「地方創生」―地域の未来をつくる力

いま地方が面白い!移住へ若者の背中を押す「地域おこし協力隊」とは

社会 地域 仕事・労働

地方で1~3年間給料をもらいながら地域活性化を手伝う。そこでの生活が気に入ったらそのまま移住。13年前に始まった「地域おこし協力隊」制度が今、若者を中心に人気を集めている。

地方での暮らしに焦点をあてたTV番組『いい移住』『家族に乾杯』や、似たようなメディア記事を目にすることが多くなってきた。ここ数年、若い人々の間で都会から地方への移住や定住に興味を持つ人が増えている。

年々増える隊員、定着も65%

総務省の財政支援を得て、自治体が移住者を受け入れる「地域おこし協力隊」。地方に約1~3年間移り住んで、集落活性化、観光、移住、農林水産業、文化継承といった地域おこし事業に従事しながら定住を図る取り組みだ。自治体によって異なるが、特別交付税から隊員1人当たり年間約480万円を上限として所得が保障され、活動期間中に住民票を移し、インターネットで活動をPRすることが条件となっている。

2009年度に始まった地域おこし協力隊制度は、初年度89人、10年度257人、4年目以降は3割増、5割増と隊員数が大幅に増え続け、21年度には前年比455人増の6015人となった。7割が20~30代、4割が女性だ。

2021年度の地域おこし協力隊員数のグラフ

また、2021年度時点では、任期を終えた隊員の65%にあたる5281人が同じ地域に定住している。中には酒造り、和紙作り、民宿、しょうゆ問屋などの事業継承者もいる。そのうち140人は外国籍で、南アフリカ、中国、ハンガリー、コスタリカなどから来日し、多様な働き方をしている。

任期終了後の地域おこし協力隊員の動向(2021年度)

「若い人たちの価値観が多様化してきました」とインタビューに答えるのは「地域おこし協力隊」の生みの親、椎川忍さんだ。総務省で初代地域力創造審議官や自治財務局長を歴任し、現在、地域活性化センター理事長を務める。総務省時代に政策立案を依頼され、関係省庁、国際協力事業団や海外青年協力隊のOBなど異なる分野の現場事情に詳しい人にヒアリングを重ねてこの制度を作り上げた。補助金を使うと単年度にしかならない仕組みを、特別交付税の活用という財源措置によって複数年度の活動を可能にした。

14年ごろから若い人たちの移住相談が増え、都会の生活に見切りをつけるのが早まっているという。「生まれてから1度も経済成長を経験しない人が成人して、いろいろと考える人たちが増えてきたのではないでしょうか。経済の低成長が20年以上続いているわけですから」と椎川さんは言う。

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町色川地区では、移住してきた夫婦の間に38年ぶりの赤ちゃんが生まれた。東北大学に勤めていた20代の女性の生態学者は、長崎県対馬市の70歳以上しか住んでいない集落に移住し、大学との連携や移住者の受け入れを担って起業。結婚して子どもを産み、今も地域の活性化に力を注いでいる(※1)

ここでは、栃木県に移住した2人の協力隊を紹介する。

初めてのブドウ栽培―橋本玲英さん

東京から2時間ほど高速バスで北に行くと、陶芸の益子焼で有名な栃木県益子町に着く。後継者を探していたブドウ農家の手伝いをしているのは、北海道出身の橋本玲英(27)さんだ。大学で人間工学を学んだ後、東京のIT企業に就職したが、農業に興味を持ち、求人を探しているうちに地域おこし協力隊のブドウ農家後継者募集を知り応募した。現在、益子町では、ブドウ、ナシ、リンゴ、ブルーベリーなど約20軒の果樹農家があるが、その8割に後継者がいないという。

橋本さんは2020年5月に協力隊員になり、藤澤聡子さんのブドウ園で働いている。樹齢約25年の40本余りの巨峰、ピオーネ、紫玉(しぎょく)がハウス内に根を張っている。

「子どもは勤め人になって後を継ぎません」。藤澤さん夫妻は、工場の仕事もこなす兼業農家だった。「お父さんが体調を悪くして、ブドウのハウスを廃業するつもりで役場に行ったら、今の町長さんが『これだけのブドウ畑をつぶすのはもったいないから後継者を探そう』と言ってくれました」。その翌日に夫が他界してしまった。「橋本さんは剪定(せんてい)なども1人でやってくれてありがたいです。若いからすごいわ」と作業小屋で目を細める。

直売所で藤澤聡子さんと作業。
直売所で藤澤聡子さんと作業

作業は決して楽ではない。朝は5時前に起きて、6時にはハウスに来て、7時半には道の駅に納品。夕方5時ごろまで作業をする。8月お盆の後から10月上旬までは収穫期なので休まずに仕事をする。春には芽を間引き、6月には花のもとを切って整える。花が咲いてきたら植物ホルモン・ジベレリンで種なしにする。実が大きくなってきたら、つぶれそうな実を間引く。「上を向いて1万個以上もの作業をすると、あごのかみ合わせがおかしくなるんです」と苦笑する。

宇都宮の農業大学校でも1年間研修を受けた。「自分の畑を持って、自分で栽培して、何にいくらお金がかかるかなど細部をすべて自分で考えるのは、他の研修ではなかなかできないことです。町役場所属の扱いなのでみんなが協力してくれます」。もちろん、失敗や被害は自分で責任を持たなくてはならないが、農薬を使うか、どの農薬にするかも全部自分で決められる。怖いところもあるが、自由度が高くてそれが心地良いという。

今は役場から給料をもらっているが、来年の4月で所得保障は終わる。当面は収入の確保が課題だろう。家賃補助をもらってのアパート暮らしから、物置が持てるような古民家に移りたいと思っているが、なかなか借りられる空き家が見つからなくて困っているという。

ここでブドウを作って生計を立てていくのが橋本さんの当面の目標だ。売れない房をジュースに加工したり、時期をずらして、柿やイチジクを植えたり…。さらに挑戦していきたいと目を輝かせた。

観光PRからゲストハウスへー豊田彩乃さん

東京から新幹線に1時間も乗ると、温泉と御用邸で有名な栃木県・那須塩原駅。在来線に乗り継ぎ一駅で黒磯駅に着く。

そこから徒歩3分のところに3階建てのゲストハウス「街音 matinee(マチネ)」がある。オーナーは、豊田彩乃さん(31)。「立教大学で社会学を専攻していたので、協力隊関連の雑誌や情報はよく見ていました。4年の時、あとは卒論だけという段階で『大学生でも隊員になれるのならなってしまおう』と那須塩原市を選びました」。なぜ、那須塩原?という問いに「ほかの地域も調べた上で、この街が都会と田舎の中間で交通の便も良く、バランスが良かったのです」との答えが返ってきた。

ゲストハウスの入り口で。
ゲストハウスの入り口で

黒磯駅から板室温泉への県道369号線沿いは、「ART369」という名のプロジェクトが実施されている。奈良美智の作品を中心とした現代美術展示スペースや、全国からファンが訪れる古民家カフェ「1988 CAFE SHOZO」、ストリートミュージックをけん引するB.D.(Killa Turner)のレコードショップやKanel Breadなど、アートスポットや、おしゃれな店が点在する。豊田さんは、当時、さらに新しい公共施設が増えると聞いて、今ここに入ったら面白そうだと思った。

2014年10月から17年9月まで、協力隊として観光PRを担当し、海外のブロガーを招いて那須塩原を巡ったり、ラインスタンプを作ったり、那須塩原市・観光局の立ち上げにも関わった。3年前に結婚した夫は、東京のIT関連企業で働き、住民票を黒磯に移して2拠点生活を楽しんでいる。

豊田さんは大学時代に1年休学し、バックパッカーとして世界を一周した。「イスラエルに行った時、地域にゲストハウスがあることで旅人も安心して地域の人に受け入れられ、地域の人も情報を発信できると気づきました。自分もそんな場所をつくれたらいいなと思ったのです」

2階から部屋の外を眺める。
2階から部屋の外を眺める。

あくまでもゲストハウスは、個人的なプロジェクトだったので、単独で業務外に活動した。協力隊の時から、役場にも街の人にも、将来ゲストハウスをやりたいと伝えていたため、空き家を紹介してもらったり、客を紹介してもらったりした。協力隊の活動は、農業や酪農など多岐にわたっているので、思いもよらない人に出会い、気がついたらいろいろな人とつながっていた。

2階の共同キッチン
2階の共同キッチン

ゲストハウスは、1階がART369のギャラリースペースになっていて、2階には8畳の畳部屋と宿泊者が集まれるフローリングのキッチンがある。3階は8畳2間で、木彫りの欄間、障子、畳や布団の生活をDIYで少しずつ今風に改造している。映画撮影のスタッフや、大学ゼミ合宿など団体の客によく使われる。

欄間が美しい3階。
欄間が美しい3階

今はゲストハウスだけでなく、コンサルタントのアシスタントや家庭教師もしている。ゲストハウスを中心に複数の仕事を組み合わせながら、自分らしいライフスタイルを試して、その情報をシェアしていきたいと考えている。

地方に静かな地殻変動

必ずしも移住しなくても、何年か住んでみて地域のファンになって応援してくれるだけでもいいと、総務省OBの椎川さんは考えている。協力隊のやりたいことと自治体の希望が事前に話し合われてミスマッチが解消されていれば、定着率は高まる。地方は、どこでも人材の絶対数が足りない。「都会の人たちは、都会だけで生きている気分になってしまい、お金さえあれば何でも手に入ると誤った認識を持ってしまう」。総務省時代に島根県や宮崎県に赴任した経験を持つ椎川さんは、「都会に住んでいると気づかないが、水も食料の問題も、人材の問題も、すべて地方から都会に集まって来る。地方を守らないと今後の日本は成り立たない」と警鐘を鳴らす。

「地方から出てきて親子3世代が都会で暮らすと、親戚や祖父母はもう地方にいなくなる。1人で移住を始めるのは不安です。この制度は、なかなか踏み出せない人に3年間の所得保障をしながら、仕事や住まいの相談に乗って、背中を押してくれるのです」

都会での生活とは全然違うことや、歯車の一部でなく誇りある仕事に就ける可能性を感じて、地方移住を希望する人が増えてきた。移住した人が地域に溶け込み、地域の人たちが若い人たちのやっていることに興味を持った時に化学変化が起きる、と椎川さんは感じている。自分で考えて行動する人たちが、少しずつ地方の資源に光を当て、今、静かな地殻変動を起こしている。

バナー写真=橋本玲英さん(左)、豊田彩乃さん(右)受付カウンターには、客の置いていったデンマーク製のけん玉があった。

写真=澤野新一朗

(※1) ^ 『地域おこし協力隊の強化書』ビジネス社

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