ニッポンで声優になる

外国人が日本で声優になるということ:ロシア生まれのジェーニャさん

文化 社会

ロシア・ノボシビルスク生まれのジェーニャさんは、日本で声優になった。日本語を外国語として学んだ彼女が、どのようにしてこの世界に入ったのか。何を心がけ、何をしたのか?

ネットにアップしたアニソンで有名に

ジェーニャさんが初めて日本のアニメに触れたのは1997年、16歳の時だった。ロシアでも放送されていたアニメ「美少女戦士セーラームーン」を見て、その日本語の響きがきれいだと思ったのがきっかけだ。「自分もこんなふうに話せたら」、そう思ったジェーニャさんは、日本語の勉強を始めた。歌も好きだったので、日本語のアニメソング(アニソン)を歌ったりもしていた。

ほどなく、「日本で声優になりたい、誰もやっていないことをやりたい」と思い始めた。そのために大学入学後も日本語の教室に通い、勉強を続けた。そしてある日、インターネット上の自分のサイトに、日本のアニソンを日本語とロシア語で歌った音声をアップした。

「今でこそ、ネットに自分が歌う動画をアップすることは『歌ってみた』と言われ、多くの人がやっていますが、当時はまだ『ユーチューブ』も『ニコニコ動画』も存在せず、動画のアップは通信環境の面で難しく、そんなジャンルもない時代でした。だから私は音声だけでしたが、たまたま私の歌を見つけて聴いた日本人が『2ちゃんねる』に書き込んで、2000年のある朝起きたら、私はネット上でちょっとした有名人になっていました」

「声優事務所に入りたい」とアピール

それから2年後、「ロシアに日本語でアニソンを上手に歌う女の子がいる」と、ジェーニャさんは日本のCS放送のチャンネル「MONDO21(現在はMONDO TV)」から出演依頼を受けた。1週間の東京滞在中、アニメスタジオや秋葉原を訪ね、メジャーではないがCDも制作した。そこで知り合った人たちの協力を得て大学卒業後の2005年、ついに東京に移り住んだ。

アフレコ中のジェーニャさん(本人提供)
アフレコ中のジェーニャさん(本人提供)

「日本語を学ぶには日本に住まないと、と思ったからです。でも日本語学校や声優の養成所には行かずに、とにかくたくさんの友人や知り合いをつくって、声優事務所に入ることを目指しました。2年くらいすると、知り合いを通じてアニメのロシア語の発音の指導や監修の仕事をもらえるようになりました。そして関わった作品の打ち上げなどの機会には、『声優になりたいので事務所に入りたい』と直接アピールしました」

そのアピールが実って、唯一声を掛けてくれた事務所に所属することになった。事務所には、所属の声優にスキルを身につけさせるシステムがあり、声優のイロハを学ぶことができた。

「養成所よりもずっと費用も安く、週に1回学ぶことができました。台本の持ち方や、どのようにセリフを読むのかなど、ここで初めて知りました。仕事のつながりも少しずつ広がって、09年公開のアニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』でデビューしました」

外国人にしかできないことを活かして

ジェーニャさんは、「養成所から事務所所属、そして現場に入っていくという正式なルートは、外国人には向いていない」と言う。それでは声優を目指す日本人には勝てないからだ。外国人は、どうしても日本語の面ではハンディがある。それならば、外国人にしかできないことを活かして声優の仕事につなげたほうがいい。ジェーニャさんにとってのそれは、ロシア語監修だった。

「11年から放送のテレビアニメ『ラストエグザイル-銀翼のファム-』は、スチームパンク(SF作品のジャンルの1つ)で、物語の中にグラキエス語という架空の言語が登場します。この作品の担当で、別の作品でご一緒したプロデューサーさんが、『ジェーニャがいるから、これはロシア語にしよう』と決めて、私が監修をし、声優としての役もいただきました。私がセリフをロシア語に翻訳して、カタカナ表記にし、ボイスサンプルを作って声優さんに聞いてもらいました。その人に合わせてその場で、日本語でこういう発音をすれば、ロシア語っぽく聞こえるというような指導もしました。声優さんはベテランになればなるほど飲み込みも早く想像力があるので、すぐに理解してくれます」

日本に来て10年という節目の2015年には、戦車を操る武道「戦車道」の全国大会に挑む女子高生を描いたアニメ映画「ガールズ&パンツァー 劇場版」(ガルパン)に出演。そこでのロシア人留学生クラーラ役は代表的な仕事の一つとなったが、その経緯もジェーニャさんらしいものだった。

「『ガルパンには、ロシア人がたくさん出てくるのに、私が出ていないのは悔しい』とツイッターに投稿したんです。そうしたら、『ロシア人だからってロシア人の役がもらえると思ってるの?』などと言われて、少し炎上してしまいました。でも、半分くらいの人たちは応援してくれて、ツイートが作品の制作側にも届いて、本当に役がもらえたんです。この作品の水島努監督とは、10年くらい前にロシアのアニメ雑誌の取材でお会いしていて、その時に私は『声優になりたいんです』と言ったそうなんです。私の記憶はあいまいなのですが、監督はずっと覚えていてくださったと、後になって聞きました」

声優のような、特に人気商売では「印象に残ることは大事」と話すジェーニャさん。

「当時は日本に来たばかりだったから、振る舞いも考え方も外国人で、いろいろなところで熱くアピールしてたんですね。今は考え方も日本人に近くなって、気持ちを抑えがちで、アピールは下手になっているかもしれませんが(笑)。でもやりたいことは口に出して言ったほうがいい。それを誰かが覚えていてくれて、『そういえば、こんな子がいたね』と思い出してもらえるからです。そういう意味で、印象に残りやすい外国人であることは、少し有利かもしれません」

アピールする力のほかには、何が必要なのか。

「ベテランの声優さんは、みなさん考え方がしっかりしていて頭がいい。礼儀正しくて、同じ空間にいるだけで自分がレベルアップするような感じがするくらい。たくさんふるいにかけられて、選ばれてきた人たちですから。そうなるためには、声が個性的であったり、いろいろな声を出せたりすることはもちろん、華があること、それとコミュニケーション能力が必要だと思います」

若い声優が求められている

今の声優界は、ジェーニャさんが日本に来た頃とはかなり変わったという。

「まだこれほどの人気職業でなかった時は、アニメの現場はベテランの方ばかりでしたが、今は新人の若い人が多い。『ラブライバー』と呼ばれる多くのファンを持つ人気アニメ『ラブライブ!』などキャラクターと声優を同一視する作品も多くなって、ファンは二次元と三次元の両方を推します。その場合、声優も必然的にファンがつきやすい若い人が求められます。また、若い人が求められるのには、別の理由もあります。声優の世界では、最初の3年間は『ジュニアランク』といって、ギャラが安い。だから、制作費を抑えるためにも若い人が好まれます。若くてうまい人もどんどん増えているので、とても厳しい世界です」

ジェーニャさんは現在、アニメや映画の吹き替えのロシア語監修と声優のほかには、アニソンのコンサートで歌ったり、NHK教育テレビのロシア語番組「ロシアゴスキー」のナレーションなどの仕事をしたりしている。

「サントリーホールで今年、5周年公演を開催した『GAME SYMPHONY JAPAN』というゲーム音楽専門のオーケストラコンサートに、始まったときからずっと関わっています。司会と歌手のほか、ロシア公演のコーディネーターもしています。これも、指揮者兼プロデューサーの方からツイッターで声を掛けていただきました。ツイッターは大事ですね(笑)。ロシア公演もいつも満席で、スタンディングオベーションを受けます」

「GAME SYMPHONY JAPAN」で歌うジェーニャさん(ドミトーリー・ペトロフ氏撮影)
「GAME SYMPHONY JAPAN」で歌うジェーニャさん(ドミトーリー・ペトロフ氏撮影)

これから外国人で声優になりたいという人には、「10代のうちに日本語を覚えてほしい」と言う。

「私は日本語を勉強し始めたのが16歳だったので、遅かったんです。私のほかに、外国で生まれ育った外国人で日本で声優をしているのは、現在は中国人の劉セイラさんくらいです。彼女は日本語も私より上手で、頭も良く、最近は漫画も描いています。中国の方は漢字が分かるし、小さいころから私たちより日本語になじみがあるので、有利だと思います」

「私は日本に来てあまり大きなギャップを感じることもなく、いろいろなお仕事に関わることができて、結構うまくいったほうだと思います。『私にはできない』と思ったら、何もできません。ダメだったら、そのときまた考えればいい。日本人でも成功するのは難しい、という厳しい声優の世界ですが、それでも『やりたい』と本当に思うなら、挑戦してください」

取材・文:桑原 利佳、POWER NEWS編集部
インタビュー撮影:今村 拓馬

バナー写真:日本の声優として活躍するロシア出身のジェーニャさん

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