深刻化するニッポンの「孤独」

ひきこもり100万人超:日本では家族単位で社会から孤立する

社会

日本でひきこもり状態にある人は100万人を超え、40代以上が多いという調査結果がある。人口の約1%に相当する。最近は80代の親が50代の子どもを養い、社会から孤立して困窮しているケースが「8050問題」と呼ばれている。なぜ家族は社会から孤立してしまうのか。『8050問題の深層 「限界家族」をどう救うか』(NHK出版)の著者でひきこもり問題に詳しい、社会学者の川北稔・愛知教育大学准教授に聞いた。

40代以上のひきこもり状態の人に支援が足りない

ひきこもり状態の人が100万人を超えているというのは、2つの調査によるものだ。1つ目は、内閣府が2016年9月に発表した「若者生活に関する調査」。

2016年9月発表の、15歳から39歳までの3115人を対象に行われた内閣府の「若者生活に関する調査」より作成

  有効回収数に占める割合(%) 全国の推計数(万人)
準ひきこもり
普段は家にいるが、自分の趣味に関する用事のときだけ外出する 1.06 36.5
狭義のひきこもり
普段は家にいるが、近所のコンビニなどには出かける 0.35 12.1
自室からは出るが家からは出ない、または自室からほとんど出ない 0.16 5.5
広義のひきこもり
1.57 54.1

総務省の「人口推計」(2018年)によれば、15〜39歳人口は3445万人なので、広義のひきこもりの推計数は54.1万人になる。

2つ目の調査は2019年3月発表の内閣府による「生活状況に関する調査」だ。40歳以上のひきこもり状態にある人の調査はこれが初めてだった。

2019年3月発表の、40歳から64歳までの3248人を対象に行われた内閣府による「生活状況に関する調査」より作成

  有効回収数に占める割合(%) 全国の推計数(万人)
準ひきこもり
普段は家にいるが、自分の趣味に関する用事のときだけ外出する 0.58 24.8
狭義のひきこもり
普段は家にいるが、近所のコンビニなどには出かける 0.65 27.4
自室からは出るが、家からは出ない 0.15 6.5
自室からほとんど出ない 0.06 2.6
広義のひきこもり
1.45 61.3

総務省の「人口推計」(2018年)によれば、40〜64歳人口は4235万人なので、広義のひきこもりの推計数は61.3万人になる。

両調査の推計数を合わせれば、100万人を超える。

自治体などの調査によっても、ひきこもり状態にある40代以上の割合は30代以下より多いと分かっているが、40代以上には支援の手が届いていないと川北さんは著書で指摘している。

「日本では、就職して結婚して住宅を持つというように、順番にエスカレーターを上がるように自立することが求められます。ただ、就職で挫折すると再挑戦は難しい。そのため、うまくいかなかった人は親元でいつまでも『子ども』として過ごすしかありません。そういう人を受け入れてくれるのは親で、『親が受け入れなさい』という世間の圧力があります」

事件への反応から分かるニッポンの家族観

2019年5月、神奈川県川崎市で50代の男がスクールバスを待っていた小学生の児童や保護者を次々に刃物で刺した後に自殺するという事件が起きた。この事件で2人が亡くなり、18人が負傷した。その4日後、今度は東京都練馬区で、70代の元農林水産事務次官の父親が、同居する40代の息子を刺殺する事件が起きた。「川崎の事件が頭に浮かび、息子が周囲に危害を加えないようにしようと思った」と供述したという。

愛知教育大学の川北稔准教授
愛知教育大学の川北稔准教授

「川崎の事件の男も、練馬の刺殺された息子も、ひきこもりの状態にあったと報じられました。当然ですが、ひきこもり状態がただちに無差別殺傷のようなまれな犯罪につながるわけではありません。気になったのはこの2つの事件に対する、『自殺するなら1人でやってくれ』『父親は責任を果たそうとした』というような世間の反応です。これには、自殺やその家族で殺し合うならいいけど、人に迷惑をかけるな、という価値観を感じます。かつて障害を持つ子どもの将来を悲観して、親が子どもを殺してしまう事件が起きたとき、この親がかわいそうだと減刑を求める動きが起こったことがありました。しかし、障害者たちは『それでは自分たちは殺されても仕方がないのか』と異議申し立てをしました。練馬の事件の息子も、本当に殺されても仕方がなかったのでしょうか」

日本社会では「自己責任」という言葉が頻繁に使われるようになったが、ひきこもりの問題では、それが家族単位になっているようだ。そうした考えはどこから来ているのか。

「かつて農業などをしていた頃は、子どもはコミュニティで育て、家は生産や経済の単位だったのが、高度成長期に勤め先は会社になり、家は帰る場所になりました。社会学では、それによって家には安らぎと子育ての機能が最終的に残ったという見方をする場合もあります。さらに介護や医療は家の外に譲り渡して、病院で死を迎えお葬式も家では行わなくなった。家はますますプライベートな場所になり、他人が入るのが普通ではなくなったんです。その中で、子育ての結果がその家の評価になってしまっている。子どもの出来が悪いのは、その家が悪いと。そのため学校でいじめに遭ったり、会社の人間関係がうまくいかず子どもがひきこもってしまったりすると、親はそれを恥と考え、外との関わりを断ち、世間の目から隠してしまう」

問題はそうした家族の考え方だけでない。川北さんはまた、社会の受容力の低下も指摘する。

「どの社会でも働けない人はいるし、昔から社会からはみ出す人は一定数いました。しかし、それに対して特に成人期の人を支える仕組みは少ない。社会の包容力が足りないために、家庭内に閉じ込めてしまうことになります。昭和の時代は、右肩上がりの経済成長・終身雇用・専業主婦などに支えられ、教育社会学者の本田由紀さんの呼ぶところの『戦後日本型循環モデル』で家族から学校、仕事へと人がぐるぐる循環し、なんとなくうまく回っているように見えました。ところが平成になり、経済成長・終身雇用・専業主婦という支えがなくなった。さらには、情報をめぐる競争が常に敗者を作り出さざるを得ないようになっているのかもしれません。ある意味、その社会的な変動の中で、もともと家族と社会のつなぎ目が十分でなかったのが、目立ってきたということかもしれません」

生活保護を受けることへの偏見

川北さんの著書では、ひきこもり状態の成人の子どもを抱えたさまざまな家族の実例が紹介されている。どこにも助けを求めることなく、何十年と問題を抱え続け、親が高齢になって初めて外部に相談するケースも多い。だが、生活保護などの支援を受けることを、ひきこもる本人も親も簡単には承諾しないのだ。

「世間の目が厳しいこともありますが、ひきこもる人自身が生活保護を受けることに対する偏見を内面化してしまっています。『そうなったらおしまい』と思っている状態に自分がなってしまってはいけないと。そのように自分の中に偏見があることで、自縄自縛(じじょうじばく)になって助けが求められなくなってしまうのです。しかし、助けを求めないことで余計に状況が悪くなり、最終的には孤立死など深刻な事態に陥ってしまうのではないでしょうか。自立するというのは、まったく他人に依存しないということではなく、適度に人や制度に依存することのはずです」

では、ひきこもり本人や家族はどのように考えて、どのように支援を受けていけばいいのか。

「脳性まひの障害がある立場で、小児科学などの研究に携わる東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎さんは『依存先の分散としての自立』という概念を提唱しています。家族だけに依存するのではなく、家族以外に依存先を増やすことを自立と考えるということです。とはいえ、家庭内暴力から親を守るシェルターや、当座の生活をしのぐ貸付制度も狭い範囲でしかなく、最後のセーフティネットも生活保護くらい。なかなか依存できないという問題はあります」

川北さんはその解決策の一つとして次のようことを提案する。

「その中で今できるのは、まずは平凡ですが自分の家の中のことを言える人を外に作ること。福祉関係の人でも知り合いでもいい。使える制度を教えてもらえるかもしれません。制度を使うのは一部のかわいそうな人だと思わされているところがありますが、保育園も福祉制度であり、サービスを買っているわけではありません。そうやって実はみんなどこかで税金の恩恵を受けている。福祉制度を使ってもいいんだという考え方を持ち、依存先を家族から分散させるのです」

本人も含めた家族の幅広いニーズをかなえる支援を

しかし、少ない助けにやっと頼っていっても、その窓口で相談がうまくいかなかった例もある。「何かあったらまた来てください」などと言われるばかりで有効なアドバイスが受けられないのだという。

「窓口で嫌な目にあって心が折れてしまったり、プライドを傷つけられたりする人もいます。そのため、どんどん相談しましょうと言えないところもあります。『受援力』という言葉もありますが、使える支援がそんな状態では受援力も育たない。また、人に迷惑をかけたくないと思う裏には、自分も人に迷惑をかけられたくないという思いがあるかもしれません。経済成長が期待できなくなった社会では、人とのかかわりからメリットが得られることよりも、リスクが気になってしまう。コスパ(コストパフォーマンス)という言葉も流行しています。自分の損得勘定の中で、ちょっとした損を苦にしてしまってはいないでしょうか。そういう意味では、相談したことで分かりやすい『メリット』があるような支援を工夫する必要があるようにも感じます」

一方、川北さんはひきこもり状態の人を抱える家族への支援の形が、従来とは変わってきているという。それは具体的にどんなものなのか。

「これまでは『ひきこもり』の解決など、目標を目指して支援が行われ、その目標に合わないと支援が受けられなかった。特にひきこもる本人が支援を拒否すれば、それ以上前に進むことは難しかったのです。しかし今は『包括的支援』といって、本人も含めた家族の幅広いニーズをかなえようとする支援も展開されています。下の図にあるように、ひきこもっている本人や家族それぞれに外につながっていくきっかけになる情報があるかもしれません。それを他の人と共有するのが第一歩です」

そして川北さんはこう続ける。

「別に『支援』と言えるようなものでなく、もしひきこもっている人が囲碁や将棋が好きだったら、『相手を探している人がいるから来ない?』と言うのでもいい。ひきこもりをなんとかしようというのではなく、普通の隣人としての付き合いの範囲や見守りです。『支援』や『関わり』などという言葉にアレルギーがある人もいるが、それらを使わなくてもできることはあるのです。こぼれ落ちる人を例外扱いするのではなく、それを想定してみんなが生きていけたらと思います」

取材・文:桑原 利佳、POWER NEWS編集部
バナー写真:(タカス/PIXTA)

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