東京五輪へ! アスリートたちの肖像

シリアの戦禍逃れ日本で夢追う体操選手ヤザン-東京五輪アスリートの肖像(3)

東京2020 スポーツ 国際 歴史 社会

内戦の続く祖国シリアを離れ、日本で東京五輪を目指す選手がいる。神奈川県平塚市の東海大学別科日本語研修課程で学びながら、体操競技部で技を磨いているアルスレイマン・ヤザン。国際オリンピック委員会(IOC)と日本オリンピック委員会(JOC)が共同実施する「IOCオリンピックソリダリティ 東京2020特別プログラム」の支援で2018年4月に来日、以来着実に力をつけて2年連続でシリア代表として世界選手権に出場。夢をひとつずつ実現している19歳は今、どんな未来を見つめているのだろうか。

体育館に爆弾が落ちた

体操好きの父・ムンゼルさん(53)の影響で、3歳で体操を始めた。生まれ故郷のダマスカスには体操クラブは2つだけ。器具は古く、施設は整っていなかったが、それでも男女合わせて50人ほどの子どもたちが熱心に通っていた。

徐々に頭角を現したヤザンは、11歳でシリアのナショナルチーム入り。エジプトで行われたアラブ諸国の大会に出て、あん馬で3位になったとき、成績が出ることの喜びを知り、ますます体操が好きになった。

あん馬の練習に励むヤザン選手
あん馬の練習に励むヤザン選手

しかし、楽しく練習できる日々は続かなかった。ナショナルチーム入りしたのとほぼ同じ時期の11年に、内戦が勃発したからだ。それまでは毎日、午前8時から午後1時半まで小学校で勉強し、週に3、4回、約2時間の練習を行っていたが、クラブでの活動時間が激減した。危険情報のある日は外出できないため、コーチから「自宅で自主トレをするように」と連絡が来る。1カ月以上も器具に触れないことも多々あった。体操クラブの子どもたちはすっかり減ってしまった。

16年にはシリア代表チームが練習する体育館に爆弾が落ちた。ヤザンは体育館にいなかったため無事だったが、翌日に訪れるとあん馬や鉄棒などの器具は木っ端微塵になっていた。

「最初はなぜ危険なのかが分からなかったのですが、15歳くらいから戦争の意味が分かるようになりました。悲しく、恐怖も感じました。今は戦争が早く終わることを望むばかりです」と語る。

内村に憧れ日本へ

不安な日常の中で心の支えとなったのが、体操だった。ナショナルチームではワールドカップのゆか運動で優勝した経験のあるシリアの英雄、ファディ・バッファラワン氏の指導を受け、同種目が得意になった。

家庭では教育熱心で愛情の深い両親から、「真面目に生きることと、しっかり勉強をすることが大切」と言われて育つ。外国語教育の盛んなシリアでは、小学校から英語の授業があり、中学校ではフランス語も勉強するようになる。18年からはそこにロシア語も加わっている。英語が得意だったヤザンは次第に外国に興味を持ち始め、12歳の頃、『SONY』や『PS4』をきっかけに日本を知る。

時を同じくして、12年ロンドン五輪の体操競技で内村航平が男子個人総合金メダルを獲得。すると、日本への関心が一気に高まった。「2020プログラム」で日本へ行くことが決まったときは「大きなチャンスだ!」と胸が躍った。

つらいラマダン

ところが実際に来てみると、現実は甘くなかった。来日してから半年間は言葉の壁や習慣の違いに戸惑うばかりだった。

特に困ったのは食事だ。イスラム教徒は豚肉を食べないため、料理の材料を確認する必要がある。だが、外食に行くと英語が通じないことが多く、コンビニ弁当を買おうにも日本語を読めない。見た目では分からない意外な料理に豚肉が入っていることもある。

習慣の違いに驚かされることも多々あった。上下関係や敬語にもなじめず、先輩に敬語を使わなかったため、場が凍りついたこともある。何よりも辛かったのが、ラマダンだ。イスラム教徒は1カ月間のラマダン期間は、午前2時から午後7時ごろまで断食をする。それだけでも十分に辛いが、飲食が可能となる時間は体操競技部の練習の真っ最中。体のことを考えて水だけを飲んだり、どうしてもきついときはパンを頬張ったりしたこともあったが、たった一人で行う断食は精神的にもきつかった。

しかし、決して練習を休まない。日本語の勉強は熱心で、練習態度は真面目。すると、周囲の協力もあって日常生活の不自由は少しずつ減っていった。

東海大とシリア代表でヤザンを指導する小西康仁・東海大学体操競技部監督は、「今ではかなり日本語が上達し、部員とは日本語で会話をしている」と称えつつ、「仲間を心から応援することや、練習場面で助け合うことはかけがえのない財産になるのではないかと思う」と言う。ヤザン自身も「ここ(東海大)ではもうみんなが家族のような生活です」と感謝する。

母国の平和と日本での夢

来日から約2年。彼の目に、日本や日本人はどのように映っているのだろうか。「日本人は仕事から練習からすべてが真面目です。ボスが見ていなくてもサボりません。町や道路にゴミがなく、きれいなことも素晴らしい。しかも、警察が見ているから捨てないのではなく、自分の考えでそうしている。だから日本は一番なんです。これはシリアにも欲しいことです」

インタビューに答えるヤザン選手
インタビューに答えるヤザン選手

ヤザンには、日本に来たことで描けるようになった人生の青写真がある。このほど大学入試に晴れて合格し、20年4月から東海大学体育学部競技スポーツ学科の1年生になる。卒業後は、大学院まで進み、30歳まで現役選手を続け、引退後は体操の指導者になるのが目標だ。場所は日本かシリア、あるいはオーストラリアやカナダも視野に入れている。

シリアに残してきた家族の様子は心配だ。ヤザンは毎日のようにテレビ電話で、母親とやり取りしている。「元気かい?」。何気ないやり取りだが、元気な姿を確認できるだけでもほっとする。内戦で苦しむ母国の平和を祈りつつ、安全に体操の練習に打ち込める幸せを噛みしめながら、日本で夢への道を切り開いている。

バナー写真:平行棒の練習をするアルスレイマン・ヤザン選手(写真は全て筆者撮影)

東京五輪 東京五輪・パラリンピック シリア 五輪 体操