東京五輪へ! アスリートの肖像

喜友名諒:空手発祥の地・沖縄で生まれ育った男が、東京五輪で伝えたいもの-東京五輪アスリートの肖像(5)

東京2020 スポーツ

東京五輪の開催延期が決まり、代表選考に頭を悩ませる競技が相次ぐ中で、不動の代表にして、最も金メダルに近い男といわれるのが、空手男子形種目の喜友名諒(29歳)だ。空手発祥の地・沖縄で生まれ育った男の胸には、五輪という初の舞台で世界に伝えたいものがある。

空手発祥の地が生んだ至宝

14世紀に沖縄で生まれた武道、空手が東京五輪で追加競技として初めて実施される。「形(かた)」と「組手(くみて)」の2種目のうち、男子「形」で圧倒的な実力と存在感を放つのが、喜友名諒(きゆな・りょう)、29歳だ。「形」は、相手との攻防の技術を、あらかじめ決められた一連の動きにまとめたもので、競技では1人で演武をし、その技の正確さや力強さ、スピードやリズム、バランスなどを競う。

2年に一度開催される世界選手権では、2014、16、18年と3連覇。五輪予選が始まった18年7月からは無敗を続け、出場した12の国際大会すべてで優勝を飾った。また、全日本選手権では12年から19年まで8連覇中で、前人未到と言われていた大会史上最多連覇に並び、さらに記録をどこまで伸ばすか期待される。

国際大会での強さも圧倒的だ。「形」の勝敗は7人の審判による得点の判定で、1人あたり0.2点刻みの10点満点で評価する。その中で喜友名は2位の選手に常に1.0点以上の大差をつけて勝っている。ここにきて、ますます強さに磨きがかかっており、20年1月の国際大会決勝では、審判の1人が喜友名の演武に史上初の10点満点を出し、話題となった。

世界中の空手ファンの期待を裏切らない超人的な演武。その実績、そして隙のない勝ちの内容から、日本代表全選手の中でも、最も金メダルに近いとまでささやかれている。

喜友名が流した唯一の涙

圧倒的な力を見せている喜友名だが、現在の地位を築くまでには時間がかかった。

同じ幼稚園に通う友達の影響で、道場に通い始めたのは5歳の時。中学3年で、「形」種目の指導者として世界王者を何人も育てた実績を持つ佐久本嗣男(劉衛流龍鳳会会長)のもとに入門。高校時代はインターハイで3回戦止まりだったが、大学3年生になって頭角を現し、全日本学生選手権(インカレ)で優勝。翌2012年にフランスで開催された世界選手権に初めて日本代表として出場した。

喜友名選手を指導する佐久本嗣男先生
喜友名を指導する佐久本嗣男

ところが、すぐに壁にぶつかる。当時、世界王者はベテランのアントニオ・ディアス(ベネズエラ)。南米出身だが、日本で本格的に稽古を重ね、技術力の高さを示していた。喜友名はディアスに敗れて世界選手権は3位、以降も国際大会では2位や3位にとどまった。

世界の頂に届かず、悔しさと焦りが募る。さらに追い討ちをかけたのが、2013年にUAEで開催されたアジア選手権。前評判で優勝間違いなしと言われていたが、まさかの敗退で3位に終わった。

ふがいなさを胸に帰国、直後の全日本選手権で優勝したものの、優勝インタビューでは、見守る1万人の観衆の中で涙した。空手の母国・日本の代表として世界大会に臨んでいるものの、沖縄で生まれた武道の素晴らしさを示すという使命を果たせていないこと、己の力の無さを痛感したのだった。

「圧倒的強さを持つ、真の実力者にならなければならない」。この時の決意のもと、2014年に喜友名は急成長を遂げる。ウエイトトレーニングを従来よりも強化し、身体はひと回り大きくなった。そして、基本の突き一つ、蹴り一つ、すべてを追究。一つ一つの技の、力の伝え方を試行錯誤しながら磨いた。さらに、巻きわらなどを突き蹴りする中で、打突の感覚を身体に染み込ませていく。

それは丹念な、丹念な稽古だった。身体能力の向上だけでなく、その力を演武の強さに生かす技術を身につけ、ついに同年の世界選手権で悲願の初優勝を果たした。

世界王者に師匠の喝

優勝後の凱旋(がいせん)試合となった全日本選手権で優勝はしたものの、喜友名には納得のいく内容ではなかった。「世界王者として見られているという気持ちがあり、うまく演武ができなかった」と振り返る。

その後の稽古で、佐久本が喜友名に「もう一度、生活の全てを見直しなさい」と一喝。道場の掃除を率先してするように命じた。「まだまだ粗い。もっと『気づき』『気配り』の深くできる男になってもらいたい。それが、形の細かな部分にも出てくる」との意図だった。

自分が王者だと感じたときのわずかなおごりが、王座から引きずり下ろされる油断となる。「形」とはそれだけ繊細であり、気の緩み、向上心の欠如が演武の大きな乱れとなる。それは現役時代、世界選手権で3連覇した佐久本自身が経験したことだ。それゆえ、喜友名にも敢えて厳しい姿勢を貫いたのだった。

師の愛情がなければ、喜友名の連覇はなかったかもしれない。その後、喜友名は16、18年と世界選手権で3連覇を果たすなど、現在の盤石の地位を築いた。

2014、16、18年と世界選手権を3連覇中。金城新(右端)、上村拓也(左端)とチームを組む団体形でも16、18年と世界選手権を連覇した
2014、16、18年と世界選手権を3連覇中。金城新(右端)、上村拓也(左端)とチームを組む団体形でも16、18年と世界選手権を連覇した。師の佐久本、共に励む金城、上村の存在も、喜友名の力を伸ばす大きな要因になっている 

700年の歴史、形の奥深さを追い求めて

喜友名の頭に常にあるのは、「本物の演武」を目指すことだ。

彼の日常は、365日の稽古で埋め尽くされている。午前11時から夕方まで、佐久本の指導のもと形の稽古。夕方以降は、自主練習の日もあれば、ウエイトトレーニングの日もあるが、常に稽古を怠らない。

形の奥深さも、喜友名のすごみを支えるものだ。

形の動きは、一つ一つの「突き」や「蹴り」といった攻防のすべてが、相手を想定して作られている。演武においては、対峙(たいじ)する相手が見る側(審判)にとってそこにいるかのように見え、かつその相手を倒したと判断するほど高評価につながる。だからこそ、演武する側は、形の中の技の意味を正しく深く理解すること、そして正しく力強く実践することが求められる。すなわち、突きも蹴りも、本当に当たれば相手の体が砕けてしまうほどの技でなければならない。喜友名の言う「本物の演武」とはこのことである。

空手はかつて武術として、一人の師から一人の弟子へと一子相伝(いっしそうでん)で、秘密裏に継承されていたものだ。この秘密裏というのもまた、今日の演武者にとって空手を理解、実践することを難しくさせている。

だが、その奥深さが魅力でもあるのだ。

喜友名は今、佐久本の指導のもと、琉球の歴史的文化である琉球舞踊、三線(沖縄の三味線)を体験して感性を磨き、かつ、その中から空手道に通じるものを感じ取って演武に生かしている。沖縄独特の身体全体を使った柔らかい動き、相手に悟られないような無駄のない技の起こりや拍子、目付けなど、新たな気づきを演武に生かし、進化を続けている。

喜友名諒が、歴史をつくる

喜友名は、本物の演武の追究とともに、目標を一つ加えた。それは「歴史をつくる」こと。聞くと、具体的には「沖縄県勢初の」オリンピック金メダル、とも述べた。

喜友名諒選手
喜友名諒選手

空手道の奥深さを学べば学ぶほど、郷土への愛情が込み上げてくる。沖縄という地に生まれ、沖縄の歴史的文化である空手道に励み、空手道にとっての初のオリンピックで、日本代表として、空手道発祥地・沖縄の代表として演武をする。

「日本の、沖縄の文化のすばらしさを伝えられる演武をする覚悟です」

喜友名は、空手の700年の歴史が濃縮された演武を、史上最高の舞台で示す。その演武は、空手道の新たな歴史の1ページとなる。

※バナー・記事中写真はいずれも『空手道マガジンJKFan』提供

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