ニッポンの金メダル候補

野球の「侍ジャパン」:自国開催で悲願の初制覇に挑む-東京五輪の金メダル候補たち(2)

東京2020 スポーツ 文化 社会 エンタメ

野球の日本代表「侍ジャパン」は2019年11月のプレミア12で優勝した。ライバルの韓国に5-3で競り勝った決勝では、山田哲人(ヤクルト)が逆転の3点本塁打を放ち、4番鈴木誠也(広島)は大会を通じて活躍。稲葉篤紀監督の巧みな采配も光り、地元開催の五輪へ自信を深めた。 

プレミア12ではコンディション面を考慮されメンバーから外れた選手たちの中にも、安定感抜群の右腕、菅野智之(巨人)や打線の中軸となる柳田悠岐(ソフトバンク)らがいる。わずか6チームの参加となる東京五輪は、1次リーグの後は敗者復活戦を含む変則的トーナメント。ライバル一番手は韓国で、重圧を背負う侍たちにはヒリヒリする戦いが待ち受ける。代表24選手の決定は6月だ。

日本代表の稲葉篤紀監督(時事通信)
日本代表の稲葉篤紀監督(時事通信)

米国生まれのベースボールは日本で独自の発展を遂げ、プロ野球は「国民的娯楽」の中心となった。1964年東京五輪では学生と社会人の選抜チームが結成され、学生選抜の米国とデモンストレーション試合が行われている。

米国で開催された84年ロサンゼルス五輪で公開競技となった。野球の母国として優勝を目指した米国は、南カリフォルニア大の名伯楽、ロッド・デドー監督が学生オールスターチームを結成。主砲には後に大リーグ(MLB)で本塁打を量産し、ドーピング(薬物使用)問題で物議を醸したマーク・マグワイアが座った。その強力チームを決勝で破ったのが日本。社会人と学生の混成チームが見事な番狂わせを演じた。

野球は92年バルセロナ五輪で正式競技となった。当時はキューバが最強の時代で、日本は何とか銅メダルを死守。続くアトランタ五輪は決勝でキューバに敗れて銀メダルに終わった。

オープン化という時代の流れに乗って、五輪の野球にプロ選手の出場が認められたのは2000年シドニー五輪。だがプロ、アマ混成で臨んだ日本は4位とメダルさえ取れなかった。04年アテネ五輪はプロだけでチームを結成。「ミスター」と呼ばれ絶大な人気を誇る長嶋茂雄監督が就任したが、大会前に病に倒れた。監督代行を立てた戦いは銅メダルに終わった。いつしか五輪の金メダルは日本野球界のテーマとなったが、続く08年北京五輪も4位と敗れ去った。

野球は12年ロンドン五輪で実施競技から外れた。欧州やアフリカで人気がなく、世界最高峰のMLBがトップ選手の出場に消極的なことが大きな要因だった。今回の東京五輪で3大会ぶりに復活を果たした。24年パリ五輪ではまた実施されないことが決まっているだけに、日本球界は総力を挙げて「悲願の金」に挑む。

バナー写真:プレミア12で優勝した日本代表(時事通信)

五輪・パラリンピックメダル 東京五輪 野球