Netflix『クイーンズ・ギャンビット』: ふたりの母からの巣立ち

Cinema

2020年10月に配信されるや、世界中で人気を集めているのがNetflixオリジナルドラマ『クイーンズ・ギャンビット』だ。天才チェスプレーヤーのヒロインが男性優位の世界で快進撃を続ける心地よさもさることながら、天性の才能に恵まれた女性が試練に直面し、葛藤する姿が視聴者の目を釘付けにする。チェスが分からなくても、存分に楽しめること請け合いだ。

ゴールデングローブ賞作品賞、主演女優賞を獲得

配信中のリミテッドシリーズ(2話以上で、1シーズンで完結するシリーズのこと)『クイーンズ・ギャンビット』(全7話)は、ウォルター・テヴィスの同名小説が原作。2021年、ゴールデングローブ賞リミテッドシリーズ/テレビ映画部門の作品賞、主演女優賞を受賞した話題の作品だ。1950~60年代のアメリカを舞台に、一人の女性がチェスプレーヤーとして成長していく姿を描く。クイーンズ・ギャンビットとは、ゲーム序盤の駒の動き、戦法の一種だ。

養護施設に引き取られたベス(左) Netflix『クイーンズ・ギャンビット』
養護施設に引き取られたベス(左) Netflix『クイーンズ・ギャンビット』

9歳のエリザベス(ベス)は、母・アリスの運転する車で事故に遭う。母は亡くなり、奇跡的に助かったベスは養護施設へと送られた。養護施設の地下室で、ベスは用務員のシャイベルからチェスを教わり、みるみるうちに才能を開花させる。ある夫妻の養子に迎えられるが、夫妻は離婚。やがてベスは、チェスプレーヤーとして世界に羽ばたいていく。

ベスを演じ、主演女優賞を受賞したのはアニャ・テイラー=ジョイ。脚本・監督はスコット・フランク。映画監督でもあるマリエル・ヘラーが養母・アルマを、『ハリー・ポッター』シリーズに出演したハリー・メリングがチェス仲間の一人を演じているのも話題だ。

ドラッグストアで精神安定剤を買う高校生のベス  Netflix『クイーンズ・ギャンビット』
ドラッグストアで精神安定剤を買う高校生のベス  Netflix『クイーンズ・ギャンビット』

高校生になったベスは、ようやく工面した出場料を手に初めての大会へ。大会のルールや仕組みも知らずに乗り込んでいくのだが、視聴者はチェスになじみがなくても、ベスとともにそれらを理解していく巧みな構成だ。

そして、チェスクロックを押す音、スピーディーな駒の動き、一手ごとに変わる対局者の表情、固唾(かたず)をのむギャラリー…。音と映像が緊張感を紡ぎ出す。チェスの魅力的な映像化は、撮影監督のスティーブン・マイズラーの手腕だろう。

巧みで刺激的な映像表現

最も印象的なのは、ベッドに横たわるベスの脳内が、部屋の天井に再現される映像だ。市松模様の天井からぶらさがり、自在に動く駒たち。だが、それはベスの〝トランス状態〟を表すものでもあった。

なにしろ、これは、不遇な少女がめでたく勝者となる、おとぎ話のような成功譚(たん)ではない。

その初めから、ベスには暗い影がつきまとう。養護施設で配られる「心が落ち着く緑の薬(精神安定剤)」に、幼い頃から依存しているのだ。さらに、アルコール依存症の養母アルマに引きずられ、ティーンのうちに酒を覚え、飲まずにいられなくなる。まるで、才能の代償を支払うかのように。

母アリスは、数学の才に恵まれていたが、心を病んでいたようだ。アリスの言葉は、幼いベスの心の奥深くに刻まれる。

養母アルマも、音楽家の夢をあきらめ、夫と別れ、アルコール依存症を悪化させてしまう。そんな養母に対し、時に冷ややかなまなざしを向けるベス。しかしアルマが客死した後、彼女のガウンを身にまとう姿には、哀切な養母への愛がにじむ。

ベスは、二人の母と同じように心を蝕まれてしまうのか。薬物とアルコールへの依存から抜け出すことができるのか。

一方、男性優位といわれるチェス界の描き方も、いまどきらしく興味深い。あからさまな女性差別は描かれない。むしろ、ベスと関わる男性たち――ベスが恋心を抱くタウンズ、一時期同棲することになるベルティック、ライバルであり男女の仲であり、師弟のようでもあるベニー。皆、チェスのプレーヤーだ――は、彼女の才能の前に〝戦意喪失〟し、敬意を抱くようにもなる。

ベス(左)のコーチ役を買って出るベニー(右) Netflix『クイーンズ・ギャンビット』
ベス(左)のコーチ役を買って出るベニー(右) Netflix『クイーンズ・ギャンビット』

だが、ベスが女性であることを強く意識させるシーンはいくつか用意されている。とりわけ、対局中に初潮を迎えるベスの描写は、日本のドラマでは決して見られないものだろう。露骨といってもいいほどで、ドキリとさせられた。

 男たちの思惑がどうであろうと、ベスはわが道を行き、天才少年を相手に盤外戦を仕掛けるしたたかさも身につけていく。

そんなベスの前に立ちはだかるのがロシアの強豪、ボルコフだ。メキシコシティーで、パリで、そしてモスクワで、ふたりは何度か戦う。ボルコフの側にいつもKGBがべったりくっついているのは、米ソ対立の冷戦時代ならではのシーンだ。

60年代のファッションとインテリアも見どころ

さらに、見どころの一つになっているのが1960年代のファッションとインテリアだ。幼い頃から自由に服を選ぶことができなかったベスは、自分の稼ぎ(賞金)で服を購(あがな)い、どんどんオシャレになっていく。60年代のアメリカらしいポップで素敵な衣装だ。ラストシーンの白いコート姿は本当に美しい。ステップアップとともに髪形や化粧も変わる。特に目の輝きが増していくのには、見ている方もワクワクしてしまう。

パリのホテルで。対局前夜にもかかわらず、ベスは酒を飲んでしまう  Netflix『クイーンズ・ギャンビット』
パリのホテルで。対局前夜にもかかわらず、ベスは酒を飲んでしまう  Netflix『クイーンズ・ギャンビット』

対局会場となる世界各地の高級ホテルのインテリアにも注目だ。

ベスは知らず知らずのうちに、心を病む母たちの影に絡め取られていたのではないだろうか? そうであるとすれば、この物語は二人の母から巣立ち、自分の居場所を見つけていく過程を描いたともいえそうだ。

同志であり、家族でもあるかのようなチェス仲間。養護施設時代の友人で、アフリカ系アメリカ人のジョリーン。父ともいえる用務員・シャイベル。その道のりで出会う人びとは皆、温かい。それが支えとなり、ベスはさらなる高みへと上っていく。

『クイーンズ・ギャンビット』は当初、映画化が予定されていたが実現せず、Netflixでリミテッドシリーズとしてドラマ化された。「持ち時間」は増えたが、自動車事故の真相を含む実母の事情、養父母の離婚の原因、タウンズがベスとの関係に踏み込まない理由…いろいろなものが決定的には描かれず、見る側の想像に委ねられている。

爽快で、切なくて、ハラハラさせる絶妙な長さの全7話。ヒロインとともに一気に駆け抜ける高揚感の後には、カタルシスが待っている。

バナー写真:Netflix『クイーンズ・ギャンビット』より
Netflixオリジナルシリーズ『クイーンズ・ギャンビット』独占配信中

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