台湾テニス界の重鎮・盧彦勳が挑む最後の五輪への決意
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最後の戦場「東京」

生涯最後のウィンブルドン大会でジョコビッチ選手との1枚
「東京オリンピックが、私の最後の戦いになる」
2001年にプロデビューした台湾テニス界の第一人者である盧彦勳(37)。本来なら彼はまだコートを去るはずではなかった。しかし、新型コロナウイルスの大流行から東京五輪が1年延期となったこと、また感染拡大状況の急速な変化を受け、盧彦勳はけがによりツアーを離れた選手への救済措置制度「プロテクトランキング(※1)」を用いた最後の試合を東京五輪と定めた。愛する台湾のための一戦を最後に、彼は競技人生の幕を閉じるのだ。
プロ生活20年。盧彦勳にとって東京五輪は特別な大会となる。まだ右も左も分からないような若手時代のアテネ五輪(2004年)から数えると、五輪の舞台で台湾のユニフォームに袖を通すのはこれで5回目となる。盧はその意気込みをこう話す。
「これが台湾のために戦う最後の試合になります。完璧なエンディングとは言えませんが、私は台湾に心から感謝し、誠心誠意、台湾のために戦います。結果がどうであれ、悔いなく競技人生を終えることができる」
東京五輪の1年延期は、盧の引退に決定的な影響を与えた。「正直に言うと、予定通りに五輪が開催されていたら、引退は五輪後に様子を見てから決めればいいと思っていました。以前のレベルにまで調子が戻ってきていると思っていたので、まだ、引退を決断するまでにはなっていなかった」

ウィンブルドン大会のダブルスではオランダのペルと組んだ。1回戦で敗退
しかし、想定外の延期で復帰計画は崩れた。特に影響を及ぼしたのは、感染拡大によりこの1年間に世界中で起きた変化だ。以前なら海外遠征の際に当たり前だったことが、今では難しくなってしまった。
「メンタル面での影響が大きい。自由に海外との行き来ができた頃とは違い、今は海外から台湾へ戻ると、14日の隔離措置にプラスして7日間の健康管理が必要になった。時間的なコストがかかるだけでなく、精神的なプレッシャーが大きい。それに海外では周囲の環境が清潔かどうかわからない所での長期間の隔離はストレスを強いられる。これは私が望むところではありませんでした」
トレーニングのリズムにも乱れ

コロナ禍に見舞われた2020年も、毎日決まったトレーニングをこなし五輪に備えた
現役を続行するには、直面しなければならない多くの現実があった。それもコロナ禍では解決がより難しい問題だ。現在世界ランキング680位の盧彥勳はこう話す。
「コロナの影響で、外国人コーチを呼ぶことができず、せいぜいオンラインで指導を受けるくらいです。プロテクトランキングを使える9試合が終わったら、ワイルドカード(※2)を除けば、ATPチャレンジャーツアー(※3)にも参加できない。再び最底辺のITFワールドテニスツアーに参戦し、そこからランキングを上げなければなりません」
「下からやり直すことが嫌だというのではないのです。コロナの影響で、アジアでの試合はほとんど中止されていて、試合の度に家族と3カ月以上も離れ離れになるのは、この歳になると望むところではないのです」
これも盧が2021年の東京五輪を最後にプロ生活に終止符を打とうと決意した理由の一つだ。
コロナ禍でのプレーは、選手に普段の倍以上のプレッシャーを与えている。
「みんな疲弊しています。試合は1試合ずつ行われ、運営はいわゆる『バブル方式(※4)』で選手の安全は確保されていますが、今は毎日新型コロナウイルスのストレスにさらされています。以前なら憂うつな時やストレスがたまった時は、外でジョギングしたりして解消していましたが、今はホテルか、そうでなければテニスコートに行くしかありません。選手のプレッシャーはとても大きい」
台湾テニス界に打ち立てた「記録の壁」

2000年12月に父を亡くした後、毎年欠かさず墓前に花を手向けている
プロデビュー以来、盧彥勳は台湾男子テニス界に数々の金字塔を打ち立ててきた。盧は新北市三重の出身だ。一家は父・盧慧源さんの鶏の販売により生計を立てていたが、父親は盧が17歳だった2000年に心筋梗塞で急逝。プロ入りを目指していた彼にとって、大きなショックであったことは言うまでもないだろう。
だが盧彥勳は家族の支援のもと努力を続け、2001年に正式にプロデビュー。チャレンジャーツアー・男子シングルスで29回優勝の記録を打ち立て、08年の北京五輪では後に世界王者となるアンディ・マリー(英国)を撃破。10年のウィンブルドンでは男子シングルスでベスト8入りを果たし、同年11月1日に世界ランキング33位となった。盧の活躍は台湾男子テニス界に越えがたい「盧彥勳の壁」を作り上げたのだ。

2018年6月に手術を受けたため、翌年のシーズンは全く参戦できなかった
20年間のプロ生活には、けがと病気が影のように付きまとった。2003年の肩の負傷で選手生命が危ぶまれ、06年に腰の負傷、09年に感染症にかかり、16年は肘の手術。18年の全仏オープン前に肩の関節唇損傷の手術を受ける。リハビリは9カ月を要し、19年のシーズンを棒に振った。
2020年1月の全豪オープンで復帰を果たしたものの、その後のツアーは相次いで中止となり、たった2大会に出場したのみでシーズンを終えた。そして21年2月メルボルン・チャレンジで再復帰し、人生最後の大会である東京五輪に向けて準備を始めたのだ。
日本テニス界との切磋琢磨
盧彥勳と日本人選手には特別な縁がある。2005年に初めて男子ダブルス部門で出場した全豪オープンで、鈴木貴男と組みベスト16に進出。全仏オープンの男子ダブルスには7回出場して、2勝を挙げているが、共に日本人と組んだ。
2012年、添田豪と組み、アンディ・マリーの兄であるジェイミー・マリー / カーステン・ボール組に勝利。21年には、西岡良仁とペアで2勝目を手にした。

2021年の全仏オープンでは西岡良仁とダブルスを組んで勝利を挙げた
盧は、日本人選手の尊敬すべきところとして、精神的に強く、非常に粘り強いプレーをする点を挙げている。日本人との対戦では、最後の一球を打ち終えるまで勝負は分からないそうだ。
特に、近年、日本テニス界には実力のある新人が数多く誕生しているが、盧はその理由を日本テニス界が世界との距離を縮めているためだと分析している。具体的には、日本が海外のトレーニング方法を吸収、消化し、それを独自のトレーニングモデルに仕上げることに長けている点が挙げられるという。
盧は日本のトレーニング環境について、「日本の選手は、決まった手順に沿ってトレーニングを行い、選手もその手順を無視して練習することもあまりないため、選手間に大きなレベルの差が出にくいのだと考えられます。選手自身のアイデアが制限される部分もあるかもしれませんが、日本では多くの企業で選手を長期間の海外トレーニングに行かせるモデルが確立されており、これは将来的に台湾が学ぶべき点だと言えます」と話した。
2021年6月4日、台湾は日本から124万回分のアストラゼネカ製のワクチン援助を受けた。当時、全仏オープンに臨んでいた盧はFacebookで日本への感謝を表明している。
「台湾が感染拡大の窮地に立たされるなか、日本は124万回分のアストラゼネカ製のワクチンを提供して助けてくれました! 私は外国にいても、いつも台湾の感染状況を案じています。台湾が一丸となり、共にこの危機を乗り越えられますように。がんばれ、台湾!」と日本の支援に対する感激と共に、故郷への思いを述べた。
粘り強く抱き続ける5回目の五輪への思い

2021年のウィンブルドン大会での盧彦勲。2010年の試合前に撮影した場所で再び写真撮影した
2010年に出版された盧彥勳の自叙伝『亞洲網壇球王:盧彥勳的堅持(アジアのテニス王:盧彦勳の無限の努力)』のタイトルの通り、盧彥勳の最も尊敬すべき点は、1年365日無休の「堅持」、すなわちどんなこともやり抜く粘り強さである。コロナ禍で試合がない時でも、毎日決まった量のトレーニングをこなし、体重も72〜75キロを維持した。トレーニングは盧にとって毎日欠かすことができない儀式のようなものなのだ。
東京五輪を目の前にこの緊張を緩めることができないのは、盧自身がよく分っている。
「今も全身に痛みがあるのは確かですが、私は皆さんに東京オリンピックが単なる私の最後の試合であると思われたくありません。五輪に5回出場すること自体に価値があるとしても、五輪は全てのアスリートにとって最高の場台。少しでも良い成績を残せるよう、毎日を最高のコンディションでいるよう努めています」
五輪が終わった後は何をするつもりなのか?
台湾では少なからぬ人が、盧はイメージも人柄もよく、政界に入るだけの財力もあると見ているが、盧は「台湾の政治はレッテルを貼られやすい。一旦、政党色が付いてしまうと、本当にやりたいことができなくなってしまう。台湾の政治がもっとシンプルになれば、それもいいかもしれないですね」と述べた。
しかし、今、盧には1つの夢がある。それは台湾に本格的なテニスの拠点を作るということだ。
「長年、国際大会で学んだ経験とエネルギーをもってこの台湾に貢献したいと思っています。台湾のテニス人口は少なくはない。しかし、テニスを続ける中でテニス以外のことに費やす時間とエネルギーが多すぎる。私はもっと若い選手に刺激を与えたいし、もっと良い練習環境を整えれば、台湾のテニス選手にはもっと多くのチャンスがあるはずです」と話した。
台湾の男子No.1テニスプレーヤーは、東京五輪でプロ生命が燃え尽きる最後の瞬間まで、徹底的に粘り強く戦い続けるだろう。ラケットを置いた後の未来は、彼の心の中ではもう定まっているようだ。

間もなくプロ生活を終える盧彦勲は、最後まで楽観的に、そしてテニスへの情熱を絶やさないと決めている
本文中の写真は全て盧彥勳氏提供
バナー写真=米マイアミ大会に参戦する盧彦勲。37歳になった今も台湾テニス界をけん引している、2021年2月(Photo by David Gray / AFP)
(※1) ^ プロテクトランキング=離脱前の最後に出場した大会から3カ月間の平均ランキングを、実際のランキングとは別に「プロテクトランキング」として保有し、復帰後にプロテクトランキングを使って大会にエントリーできる制度
(※2) ^ ワイルドカード=主催者の推薦による出場。若手選手や故障明けの選手に使われることが多い
(※3) ^ ATPチャレンジャーツアー=男子プロテニス協会(ATP)が運営するATPワールドツアー(いわゆる「ツアー公式戦」)の下部ツアー。大会によるが、概ね世界ランキング50〜400位の選手が出場する。チャレンジャーの下位にはITFワールドテニスツアーがある
(※4) ^ バブル方式=選手を含める大会関係者と外部との接触を遮断し、大会全体を泡で包むように運営する方式。