公安調査庁:日本最高のインテリジェンス機関の知られざる実力

海外諜報機関と対等な関係を築いた伝説の男:日本最高のインテリジェンス機関「公安調査庁」の知られざる実力【第1回】

政治・外交

中国の軍事的脅威が増し、米中の確執が激しくなるにつれ、日本のインテリジェンス機関の重要性が増している。中でも日本最高のインテリジェンス機関である公安調査庁は今後、ますます日本の命運を握る存在となっていく。陰謀と策略が渦巻く諜報の世界における公安調査庁の活動は秘密のベールに包まれているが、米国CIA(中央情報局)や英国SIS(秘密情報部)といった海外諜報機関からも一目置かれている、その知られざる実力とは? 全3回にわたって作家麻生幾氏がその内幕の一端を明かす。

スパイ映画さながらの接触

ロンドン中心部にある王立公園ハイド・パークを見下ろす高級ホテル「ザ ドーチェスター」。古代ギリシャ神殿のラージ(支柱)を思わせる装飾が並び、重厚感溢(あふ)れる広大なロビーの片隅で、X氏は指示されたフィナンシャル・タイムズの1面を膝の上に広げたままダークシーグリーン色の椅子に座っていた。

間もなくして現れたのは、黒い縁のメガネを掛け、トレンチコートを着た、まったく目立たないサラリーマン風の男だった。男は軽く挨拶の声を掛けただけでX氏を正面玄関の外へと誘った。玄関に滑り込んできた2台の乗用車のうち1台の後部座席に腰を下ろしたX氏は奇妙に思った。2台の車は形も色もまったく同じなのだ。助手席に座ったその“サラリーマン風の男”が言った。「あなたは安全です。もう1台の車はカモフラージュです」──その直後、急に視界が暗くなったことに気づいた。

理由はすぐに分かった。すべての窓が黒い布状のようなもので覆われ、運転席との間も遮蔽(しゃへい)物で仕切られたのだ。外の景色を見ることなく車に乗るのは気分がいいものではなかった。記憶では1時間は走行したような気がした。

車のエンジンが切られ、ドアが開けられると、すぐ目の前にまたしてもドアがあった。それは一軒家の玄関のように思えた。現在地を知られない手段を徹底的に講じているんだなとX氏は理解した。

奥のリビングで待っていたイギリス人の二人の男たちはいずれも満面の笑みでX氏を迎えながら、クラブチェアが並ぶ応接室へと案内した。カーテンは閉められているが、ラグジュアリーな気分にさせる空間だった。

SISの担当者をも驚嘆させた中国のインサイダー情報

対面する形で座った一人の男は自らを「ブラック」という名前だけで自己紹介し、もう一人は「レッド」と名乗った。ブラックは日本からの来訪に感謝の言葉を並べたが、その挨拶は長くはなかった。すぐに本題に入った。

テーマは事前に知らされていたので、X氏は流暢な中国語で語り始めた。ブラックもレッドも中国語が堪能だった。X氏が口にしたのは、中国共産党中央指導部の動向に関する、自らがつかんだ最新情報である。

ブラックとレッドは真剣な表情でうなずきながら耳を傾けた。ときどきツボを押さえた質問を発したり、驚愕(きょうがく)する表情を何度か見せたが、それ以外は黙って聞き入った。

X氏の“講義”はランチとアフタヌーンティーを挟んで夕方過ぎまで続けられた。最後の1時間で、イギリス人たちが強い興味を示したのは、中国指導部の“奥の院”にどうやってアセット(協力者)を確保し、運営(情報収集と管理)できたのか、という点だった。また、アセットからの情報提供はどのような手段で行われ、コンタクト(接触)の方法、特別な通信手段があるのかなど、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。

実はそれらに関する質問は、数週間前、在日英国大使館での打ち合わせでは受け付けない約束となっていた。つまりルール違反だった。X氏はもちろんそれを分かってはいた。

ただ、「中国は将来、安全保障上の大きな脅威となるので互いの協力が必要だ」というイギリス人たちの熱い言葉に突き動かされ、“参考”として説明した。

すべてが終わった時、二人のSISの中国担当者は迎えた時よりも笑顔にあふれ、公安調査庁調査第二部第二担当参事官の肩書きを持つX氏に言葉を尽くして感謝の言葉を投げかけた。

ホテルまでの送りの車の後部座席は夜になっていたこともあり、より一層闇に包まれたが、迎えの時よりもずっと早くザ ドーチェスターに到着した。車から降り立った時、X氏は嫌なことを思い出した。実は、X氏は日本から公安調査庁のナンバー2である佐藤道夫次長(検察官、後に参議院議員)を帯同していた。その佐藤から頼まれていることがあったのだ。

X氏は案内してくれた助手席のSIS要員に、ホテルのバーに付き合ってくれ、と頼んだ。躊躇(ためら)う表情を浮かべるSIS要員を、一杯だけ、と半ば強引に車から連れ出した。バーには佐藤がそわそわした様子で待っていた。SIS要員は困惑の表情を浮かべたが、佐藤が丁寧な振る舞いで迎えた。

実は佐藤がX氏に頼んだことは、「一生に一度でいいから、本物のジェームズ・ボンドであるSIS要員をこの目で見たい」という子供じみた願いだった。もともと佐藤はX氏と共にセイフハウス(高度に安全が確保された場所)での“講義”に加わりたいとSIS側に希望していた。だが、SISは、佐藤が政府指定職(最高幹部)であるにもかかわらず、“部外者”と認定し、即座に却下していたのだ。

国交断絶時から中国諜報機関員を監視

3日後、X氏は今度はパリを訪れた。X氏にセイフハウスを用意したのはフランスのSISにあたる「DGSE(対外治安総局)」だった。またしても佐藤はその場に呼ばれることはなかった。X氏から“講義”を受けたDGSEの中国担当者は4名で、今度は「A(アー)」から始まる仏語のアルファベットだけで彼らの名前を知らされた。

X氏がDGSE担当者から受けた質問の量はSISからのそれの倍以上だった。さらにその2日後、X氏はドイツのミュンヘンへ招聘(しょうへい)された。同じく海外情報収集機関である「BND(連邦情報局)」で“講義”を行ったのだった。

1990年代後半に実際に繰り広げられたこのエピソードは、インテリジェンスの世界では、肩書よりも専門家だけでの「秘密のシェア(共有)」がいかに重要かを物語るもので、かつX氏のスパイマスター(管理官)としてのプロフェッショナル性に極めて高い評価を与えていたことの証左だった。

そもそもX氏が公安調査庁で対中国インテリジェンスを開始したのは、終戦直後の空気がまだ残り、新橋駅(東京)周辺にはまだ闇市や屋台がひしめいていた、そんな頃だった。公安調査庁の当時の活動は、予算がまだ少なく、新たに対外情報機関として発足していたCIAから借り受けた車を使っていた。

その頃、日本と中国はまだ国交断絶状態にあった。だが、中国は医療協力や経済交流というカバー(偽装)で諜報機関員を多数送り込んできていることを若きX氏はすでにつかんでいた。そして、それら諜報機関員が日本に仕掛けているエスピオナージ(諜報戦)をX氏は監視し続けるだけでなく、日本におけるCIA、BIS(SISに対して公安調査庁が昔、名付けた略称)やBNDとの対中「JOOPE」(ジョイントオペレーション=共同作戦)の最前線に常にいた。

海外情報機関との共同作戦

その初期の一例が、1950年代末の共同作戦だ。経済団体にカバー(偽装)した、中国の中央調査部や統一戦線工作部などの諜報機関要員だらけの代表団が近々来日し、東京・神田にある「山の上ホテル」に宿泊することが分かった。BISはシンガポール支局からイギリス人観光客(BIS要員とその家族で構成)をコメット機(民間機)で日本に送り込み、山の上ホテルでの大規模盗聴作戦を実行した。中国諜報機関の動静はその時からすでに西側諸国にとって脅威になりつつあったからだ。

その時の共同作戦の日本側の代表がX氏だったのである。公安調査庁のみならず政府高官からもX氏がレジェンド(伝説的人物)として高い評価を受けてきたのは、海外からの評価が極めて高かったことがその大きな要因だ。X氏の功績の大半は、海外情報機関との共同作戦の歴史そのものと言えるかもしれない。

2000年代のCIAとの共同作戦でも、在日中国大使館の敷地内で行われたある式典に参加した同国の駐在武官が座ったパイプ椅子をどうしても入手したい、とCIAがX氏に頼ってきた。指紋を採取するためだ。その式典に潜り込んだX氏は、式典終了後、駐在武官が座ったパイプ椅子を密かに会場から運び出し、CIA側に手渡した。その成功によってその駐在武官が海外での非合法工作に関与していたことが分かり、別の疑惑に乗じて訴追するに至った。

定年を迎えたX氏を日本国家は手離さなかった。品川区のビルにNGO(非政府組織)というカバーのもと、国家予算で運営する個人事務所を開設。そこでの毎朝の日課は、十数紙の中国と台湾の新聞に目を通すことだった。そしてX氏は不定期に中国に関するレポートを公安調査庁に報告し続けた。それらの多くは、政府最高のインテリジェンス会議「内閣合同情報会議」で頻繁に披露された。それもこれも、イギリスやフランスが驚嘆したように、長年、中国共産党中央に「協力者」を確保し、その時もまだ運営していたからだ。

中国共産党指導部ディープスロートの正体

なぜX氏は中国共産党中央指導部に何人もの協力者を獲得できたのか──ある日、ルール違反を承知で好奇心に耐えかねた私は、X氏に近い関係者に聞いてもらったことがあった。その時、X氏は答えを一つ語ってくれた。だが残念ながら、その関係者から後日、その答えを聞かされた私は今ではすっかり失念してしまった。

ただ次の言葉だけは覚えている。それはまた幼稚な質問だったが、どうやって協力者から情報を得るか、その手段について同じ関係者から尋ねてもらった時のことだ。X氏は日本にいながら得ることができる、とまず言い切ったという。私は、まさか電話を使うわけはないと思った。中国では電話は厳しい監視の対象となっているからだ。

X氏はひと呼吸置いてからいつもの関西弁で関係者にこう答えたという。

「協力者がその監視を指揮する総責任者の一人やったら、なんも問題ないやろ」

海外の機関から「クランデスタン・サービス」(秘密情報機関)と認定されている公安調査庁の知られざる実力を支えてきた一人がX氏であったことは間違いない。

※本稿は史実に基づいています。

バナー写真:法務省、最高検察庁、東京高等検察庁、東京地方検察庁、東京区検察庁、公安調査庁、東京保護観察所などが入る中央合同庁舎第6号館(東京都千代田区霞が関)時事通信フォト 画像加工:nippon.com

インテリジェンス 諜報機関 公安調査庁