「鎌倉殿」の史跡を巡る

鎌倉歴史文化交流館:北条氏展を開催、発掘物や史料から「時代」を読む(4)

歴史 文化 暮らし

「鎌倉殿」の史跡巡りの取材で、貴重な情報源となっているのが鎌倉歴史文化交流館だ。コロナ禍で残念ながら様々なイベントに制約が生じているものの、2022年は大河ドラマに合わせ「北条氏展」を開催。「武家の都」の情報発信を続ける交流館の活動を紹介する。

手狭でも「知恵」で勝負

鎌倉歴史文化交流館は市内でも有数の閑静な高級住宅地、扇ガ谷(おうぎがやつ)にある。英国の著名な建築家ノーマン・フォスター氏の事務所が設計した財界人の別荘が鎌倉市に寄贈されたのを契機に、改修工事を施し、2017年に開館した。人造大理石をふんだんに使い、大きな窓から自然光を取り入れたベージュ色の低層建築は周辺の環境ともよく調和している。この建物自体を見学に来る建築家も多いという。

鎌倉歴史文化交流館を裏庭から望む(筆者撮影)
鎌倉歴史文化交流館を裏庭から望む(筆者撮影)

歴史的な遺構や遺物が地下に数多く眠っている古都・鎌倉では、市教育委員会文化財課が発掘の記録と分析を行い、交流館はその成果を一般公開する「市立博物館」の役割を担っている。ただ、交流館の建屋は元来、住居として建てられたため、博物館(展示室は本館3室、別館1室)としては手狭なのは否めない。それを補うため、青木豊館長(元国学院大学教授)は「教育活動にも力を入れて来た」と言う。

夜間講座で自ら講師を務める青木豊館長(鎌倉歴史文化交流館提供)
夜間講座で自ら講師を務める青木豊館長(鎌倉歴史文化交流館提供)

毎週土曜日に学芸員が展示を解説するギャラリートークのほか、お寺の住職によるトークセッション、「古文書を読む」「絵巻物を読む」などの夜間講座、「お香を嗅ぐ」といった子供向けワークショップ、小学校への「出前授業」-。コロナ禍のため、現在はほとんど中止となっているが、かつては教育メニューが目一杯行われていた。

かつての「ギャラリートーク」の様子、中央で説明しているのが大澤泉学芸員。現在はコロナ禍のため中止(鎌倉歴史文化交流館提供)
かつての「ギャラリートーク」の様子、中央で説明しているのが大澤泉学芸員。現在はコロナ禍のため中止(鎌倉歴史文化交流館提供)

そうした中で2月には数少ないイベントとして、シンポジウム「北条義時とその時代」を開催。源頼朝の挙兵を支えた北条氏の地元(現在の静岡県伊豆の国市)から、文化財調査員を招いた企画だ。筆者も応募したが、抽選から漏れるほどの盛況だった。

発掘物から「情報」を引き出す

一口に発掘と言っても、現代のように都市機能が整備され、現に居住者や事業者のいる場所で掘り起こす機会は限られ、「武家の都」の全貌はまだまだ解明されていない。鎌倉市では、文化財埋蔵地域で新たに造成や建て替えをする場合に限り、地権者に発掘調査を義務付けている。

過去の建築物の跡である遺構が出てきたら、文化財課は写真を撮ったり、実測図を描いたりして入念に記録を残す。国や自治体の指定史跡でない限り、土地はその後地権者の元に戻り、遺構はなんと取り壊される運命にある。

「開発と保存は相反する」(青木館長)のであり、苦労して得た貴重な遺構記録の分厚い報告書と破片のような大量の出土品が、同課から交流館にもたらされる。さらに目利きの学芸員たちが出土品をふるいに掛けていく。

青木館長にとって展示とは何か。「出土品や遺構は無尽蔵な情報を秘めています。そこから研究によって情報を引き出し、人々に歴史的な意味合いを伝えることが一つ。さらに見栄えがして、美しく視覚に訴えるものであることが大事です」

交流館の常設展に展示されている数々の陶磁器は、宋・元時代の中国のほか、瀬戸・常滑・渥美など国内焼き物産地との海上交易が盛んだったことをうかがわせる。また新善光寺跡から出土した白磁の壺(つぼ)は岩穴式墳墓「やぐら」から、無傷で見つかった逸品だ。

(左)武家屋敷跡から出土した輸入青磁酒会壺(しゅかいこ)、(右)新善行寺跡から出土した白磁の四耳壺(しじこ)=いずれも鎌倉市教育委員会所蔵
(左)武家屋敷跡から出土した輸入青磁酒会壺(しゅかいこ)、(右)新善光寺跡から出土した白磁の四耳壺(しじこ)=いずれも鎌倉市教育委員会所蔵

学芸員という仕事

出土品を遺構データや史料と付き合わせながら、「情報を引き出す」目利きに取り組んでいるのが4人の学芸員。その一人、大澤泉さんは「小さいころから鎌倉時代の勉強や歴史に関わる仕事がしたかった」というから、交流館はまさに天職だ。2019年にユニークな「鎌倉グルメ in 中世」展を企画。出土品の大半は日常生活から出てくる廃棄物であり、「食」にまつわる物が多い。「飲んだり食べたりが好き」でもあり、身近なテーマとして着想した。

2019年の企画展「鎌倉グルメ in 中世」(鎌倉歴史文化交流館提供)
2019年の企画展「鎌倉グルメ in 中世」(鎌倉歴史文化交流館提供)

武家屋敷跡からは鮑(アワビ)など貝類や魚の骨がよく出土する。大澤さんはそこから当時の豊かな食文化だけではなく、社会・経済の姿も透けて見えてきたと話す。「鮑は一様にとても大きなサイズ。自家消費のために自分で採ってくるのではなくて、業者が規格のそろった物を集めて、上級武士が購入していたのではないでしょうか。人口何万人という都市の食生活を支えるには流通経済がしっかりしていないと駄目です」

武家の間では酒宴の儀礼も盛んだったようで、「かわらけ」と呼ばれる使い捨ての小皿のような酒器も大量に出土。「当時使い捨ては、けがれていないという神聖な意味合いがあり、フォーマルな酒宴では当たり前だったようです」。1221年の承久の乱を経て、西国への支配権を拡大した北条泰時以降の鎌倉は経済的にも繁栄。頼朝が鎌倉入りした1180年当時の農村風景とは打って変わり、都市化が進んでいたと考えられる。

北条氏展

交流館は2022年、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送に合わせて、企画展「北条氏展」を開催している。第1期「伊豆から鎌倉へ」は、「史伝 北条義時」(小学館)を上梓し、若手研究者として注目される山本みなみ学芸員が主に担当したが、3月26日で終わる。

伊豆の地で、源氏方の佐々木経高が平家の家人の山木兼高邸に火矢を放ち、源平合戦が幕を開いた。「是源家、平氏ヲ征スル最前ノ一ノ箭ナリ」と吾妻鏡(1180年=治承4年=8月17日分、左ページ)に記されている(国立公文書館所蔵)
伊豆の地で、源氏方の佐々木経高が平家の家人の山木兼高邸に火矢を放ち、源平合戦が幕を開いた。「是源家、平氏ヲ征スル最前ノ一ノ箭ナリ」と吾妻鏡(1180年=治承4年=8月17日分、左ページ)に記されている(国立公文書館所蔵)

現在は4月9日から始まる第2期「鎌倉武士の時代」の準備が進んでおり、「頼朝挙兵」から、いよいよ「鎌倉殿の13人」に迫っていく。今回は鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館と合同の催し。国宝館は「武芸」に焦点を当てるのに対し、交流館は「行政官としての武士」を取り上げる。

頼朝に率いられた東国の武士は、武力で幕府を立ち上げたが、権力を握った後は行政能力として、和歌や音楽、文筆を含めた教養が求められた。一見すると和歌は貴族のものであり、武士には無縁に思えるが、「朝廷との政治交渉手段として、嗜み(たしなみ)がないと、お話にならない重要な能力の一つでした」と大澤さんは話す。

果たして、どんな展示となるのだろうか。「みな、とにかく忙しいです」と青木館長が言うように、スタッフたちは準備に余念がない。

バナー写真:鎌倉歴史文化交流館の正面入り口(筆者撮影)

●道案内

鎌倉歴史文化交流館:JR鎌倉駅西口から徒歩10分。開館時間は午前10時~午後4時、日曜・祝日は休館。入館料は4月1日から改定し、一般400円(3月までは300円)、小中学生150円(同100円)。電話番号は0467-73-8545

●イベント

北条氏展:第1期「伊豆から鎌倉へ―北条氏の軌跡をたどる―」(1月4日~3月26日)、第2期「鎌倉武士の時代―幕府草創を支えた宿老たち―」(4月9日~6月11日)、第3期「(仮)北条義時とその時代」(時期は未定)、第4期「(仮)北条義時の子供たち」(時期は未定)。

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