日本で読める台湾文学

台湾LGBTQ文学 : ジェンダー平等を語る言葉と物語

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台湾は2019年5月、アジアで初めて同性婚を法制化した。しかし、台湾文学は40年前からこの日に向けた準備を始めていたといえる。ジェンダー平等を語るための言葉を模索し、物語を社会に発信し、言論空間を拡げ続けてきたのだった。『孽子』『ある鰐の手記』『次の夜明けに』『向日性植物』を紹介する。

台湾LGBTQ文学の礎 『孽子』

台湾のLGBTQ文学の金字塔といえば、白先勇の小説『孽子』(げっし)(※1)だろう。1977年に雑誌『現代文学』で連載開始、1983年に単行本として出版された。その後、映画、ドラマ、演劇にも翻案され、今や古典的名著といえる。

『孽子』(げっし) 白先勇 著/陳正醍 訳、国書刊行会、2006
『孽子』(げっし) 白先勇 著/陳正醍 訳、国書刊行会、2006

物語は、高校3年生の李青が、学校で同性と性的関係を持ったことにより退学処分を受け、退役軍人の父親から勘当され家を追い出される場面から始まる。居場所を失った李青は街をさまよい、台北の新公園(現:二二八平和紀念公園)のゲイコミュニティーに流れ着く。人目を忍びながらも、長老の保護のもと、同じ境遇の少年たちと共に過ごし、自分の生き方を模索する。

華人社会では「伝宗接代」といわれる父から息子への男系の家の継承を重視する伝統がある。ゲイであることは受け継がれてきた血統を断絶させる親不孝と見なされ、タイトル「孽子(罪の子)」にも表されている。

『孽子』は、同性愛者がカミングアウトすれば、家に居続けることすら許されなかった1970年代の台湾社会における、ゲイの青年の葛藤と絶望、台北のゲイコミュニティーの証言者でもある。同時に、この時代に同性愛の物語を描き発表することの緊張感、作家の気迫と覚悟に圧倒されずにいられない。

LGBTQ文学の定義は難しい。『孽子』以前もLGBTQ小説が台湾になかったわけではない。だが『孽子』は、男性同性愛者が一人称で語り、同性愛を語ることの主体性を可視化したという点で、台湾LGBTQ文学の礎となった作品だと見なされている。40年前、同性婚法制化に向けて確かに踏み出された一歩を私たちはここに目撃する。 

自己否定するしかなかった90年代:『ある鰐の手記』

戒厳令解除後、民主化へと激動の転換を遂げていった1990年代、台湾、女性、先住民族などの権利獲得運動も熱気を帯び、さまざまなアイデンティティーを語る文学が生まれた。LGBTQも主体を獲得するための言葉と物語を求めて多数の文学を生み出していく。邱妙津のレズビアン小説『ある鰐の手記』や紀大偉のクィアSF小説『膜』(※2)などが有名な文学賞を受賞したこともあり、80年代に計13篇しかなかったLGBTQ小説は、90年代には215篇も発表されるに至った(※3)

(左)『台湾セクシュアル・マイノリティ文学[1]長篇小説 邱妙津『ある鰐の手記』 』、作品社、2008(版元品切れ)。(右)『台湾セクシュアル・マイノリティ文学[2]中・短篇集紀大偉作品集『膜』 』、作品社、2008(版元品切れ)
(左)『台湾セクシュアル・マイノリティ文学[1]長篇小説 邱妙津『ある鰐の手記』 』、作品社、2008(版元品切れ)。(右)『台湾セクシュアル・マイノリティ文学[2]中・短篇集紀大偉作品集『膜』 』、作品社、2008(版元品切れ)

『ある鰐の手記』(台湾では1994年に刊行)は、台湾大学に通うレズビアン拉子(ラーズ)の物語だ。レズビアンとしての葛藤と絶望に加え、ゲイの友人との友情も描かれている。拉子は、女友達を愛する自分に苦しみ、「私は女を愛する女だ。それが蜜のように顔を濡らす涙の源泉…中略…全世界が私を愛してくれてもだめ。私自身が私を憎んでいる」(※4)と、レズビアンであることを認めながらも、自分を憎み、否定し続ける。物語には、時折、鰐(ワニ)の寓話が挿入される。自らを鰐という非人間に戯画化し、不正常、異類として差別される孤独な同性愛者の姿を重ねたのだ。

本書には、村上春樹やジャン・ジュネなどさまざまな文化記号が散りばめられており、村上春樹『ノルウェイの森』が台湾のLGBTQ文学にいかに受容されたのか、その一端もはめ込まれている。

作者の邱妙津は、1995年に25歳の若さで、留学先のパリで自ら命を絶った。『ある鰐の手記』は、多くの作家たちに影響を与えたばかりでなく、「拉子」「鰐」は、中国語圏でレズビアンの代名詞となっていった。邱妙津が台湾社会の変化を見届けることはかなわなかったが、李屏瑤『向日性植物』、李琴峰『独り舞』などオマージュともいうべき作品が多数生み出されている。

個人から社会の物語へ:『次の夜明けに』

2003年、台北で第1回台湾LGBTプライドパレードが開催され、翌年、台湾の法律で初めて性的指向について明文化したジェンダー平等教育法が施行された。

『次の夜明けに』徐嘉澤 著/三須祐介 訳、書肆侃侃房、2020
『次の夜明けに』徐嘉澤 著/三須祐介 訳、書肆侃侃房、2020

台湾LGBTQ文学は、個人の物語にとどまらず、社会をも語り始めていく。徐嘉澤『次の夜明けに』(※5)(台湾では2012年に刊行)は、新聞社に勤務する林呂春蘭の夫が二・二八事件の衝撃により彫像のように物言わぬ廃人になり果てた場面から始まる。その後、林家は高雄へと転居し、2人の息子・平和と起義、さらに起義のゲイの息子・哲浩へと続く林家三代の物語を縦軸に、美麗島事件(1979年)、美濃の反ダム建設運動(1992-2000年)、葉永鋕少年事件(2000年)(※6)、高雄タイ人労働者暴動事件(2005年)、第1回高雄LGBTプライドパレード(2010年)など南部の視点から台湾現代史を織り上げていく。

哲浩は、自分の思いに従い生きていくと決め、大学2年時にゲイであることを家族にカミングアウトする。その時そしてその後、父・起義は、息子にどう向き合ったのか。30年前の『孽子』にも思いをはせながらお読みいただきたい。

歴史と人々の記憶、思いが脈々と受け継がれ、今の台湾社会が創り上げられてきたことを、台湾屈指のストーリーテラーが巧みに語る本書は、台湾現代史を知るための作品としても傑作である。

等身大のレズビアン文学の誕生:『向日性植物』

李屏瑤『向日性植物』(※7)(台湾では2016年に刊行)は、台湾の2018年「高校生愛読書ベスト10」にも選ばれたレズビアン小説だ。

『向日性植物』李屏瑤 著/李琴峰 訳、光文社、2022
『向日性植物』李屏瑤 著/李琴峰 訳、光文社、2022

主人公の「私」は、台北の名門女子高に入学後間もなく、先輩の小游に思いを寄せ、付き合うようになる。だが小游には、親に引き裂かれた元恋人の小莫がいた。3人は台湾大学に進学し、それぞれの道を歩み始め、再会する。引かれ合いながらも苦悩し揺れ動く青春の日々を描く、みずみずしくフラットな筆致からは、台湾社会と文学のジェンダー平等への誇り高き歩みが溢れ出るようだ。

自己否定せずには書けなかった『ある鰐の手記』から四半世紀を経て、本書には、等身大のレズビアン文学が誕生するまでに至る社会の変化、LGBTQコミュニティの歴史が随所に埋め込まれ、それに伴う感覚、感情、言動のアップデートも描出されている。

ちなみに本書では、レズビアンを拒絶するのは、本人ではなく小莫の父親で、その父親も台湾大学か政治大学の名門校に合格することを条件に受け容れる妥協案を示す。学歴重視の台湾社会の一端が垣間見られると同時に、LGBTQ文学と台湾大学の特別な関係も気になるところだ。いずれにせよ、レズビアンの登場人物が自らの存在を否定し、自殺する必要はもうなくなった。

ただ主人公、小游、小莫の3人全員がハッピーエンドを迎えたとは言い切れない。これはレズビアンが「私はこの世界の本質に適合していない(※8)」からなのか、それとも三角関係は成立しないという普通の恋愛小説として描かれた結果なのか…。ぜひ読んで確かめていただきたい。

ジェンダー平等を語る言葉と物語を社会に届け続けて40年、21世紀の台湾LGBTQ文学は、L(レズビアン)、G(ゲイ)については、生存権と人権を獲得した。自殺、社会、家からの放逐を語る必要はもうなくなったのだ。だが、今回触れられなかったB(バイセクシュアル)、T(トランスジェンダー)、Q(クィア)が、どのような言葉と物語をもって主体性を獲得せんと「次の夜明け」を描いてきたのか、それともまだ描いていないのか、LG文学のさらなる深化とともに注目していきたい。

バナー写真=prathanchorruangsak / PIXTA

(※1) ^ 陳正醍訳、国書刊行会、2006。

(※2) ^ 紀大偉著、白水紀子編・訳、黄英哲、垂水千恵編『台湾セクシュアル・マイノリティ文学[2]中・短篇集――紀大偉作品集『膜』【ほか全四篇】 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 2)』作品社、2008年所収。

(※3) ^ 許剣橋「九○年代台湾女同志小説研究」国立中正大学修士論文、2002年。

(※4) ^ 邱妙津著、垂水千恵訳、『台湾セクシュアル・マイノリティ文学[1]長篇小説――邱妙津『ある鰐の手記』 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 1)』作品社、2008年、23ページ。

(※5) ^ 三須祐介訳、書肆侃侃房、2020年。

(※6) ^ 2000年に、屏東の中学に通う葉永鋕さんが女の子っぽいことを理由にいじめられ、変死体で見つかった事件。

(※7) ^ 李琴峰訳、光文社、2022年。

(※8) ^ 1994年、台北第一女子高校に通う女子生徒2人の心中事件が起こった。2人が残した遺書には「私たちはこの世界の本質に適合していない」という一文がある。『向日性植物』李琴峰解説、103ページ。

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