日台断交半世紀

断交から50年、民意が作った日台友好

政治・外交

2022年は東アジアにとって多くの節目が訪れる年である。5月15日の沖縄本土復帰50年。1997年の返還から「50年不変」の約束のちょうど半分にあたる25周年を7月1日に迎えた香港。9月29日にやってくるのは、日中国交正常化と、日本と台湾の断交、それぞれの50周年である。その中で日台(華)断交50年の意味を考えたい。

1972年、レコードのA面からB面になった台湾

「日中国交50年」と「日台断交50年」は合わせ鏡だ。1972年、中華人民共和国はレコードでいえばA面になり、中華民国(台湾)はB面になった。1950年代から60年代にかけては、A面とB面は逆であった。蒋介石から毛沢東へ、主役は切り替わった。国際連合から中華民国は姿を消し、米国や日本など主要国とも次々と外交関係を失った。中国の「本家争い」は、中華人民共和国の勝利で決着した。決着を見届けたかのように、蒋介石は75年に、毛沢東は76年に相次いで世を去った。

ところが、いま日本人の私たちの眼前にある日中、日台の景色は、50年前と比べて、まったく違うものになっている。日中間で叫ばれた「日中友好」よりも、近年は「日台友好」の方が、耳にすることが多くなった。2000年前後から、歴史問題や尖閣諸島問題、反日デモ、軍事拡張、レアアース制裁などを巡って緊張関係が続いた日中関係と比べて、日台の相互感情の良さは年々明らかになっている。

内閣府が行なっている「外交に関する世論調査」(2021年度版)で、中国に対して「親しみを感じない」(43.5%)、「どちらかといえば親しみを感じない」(35.4%)の中国否定派グループは、「どちらかというと親しみを感じる」(17.2%)、「親しみを感じる」(3.4%)の中国肯定派グループを、8対2で圧倒している。中国の対日世論も総じて良好とは言い難い。これは近年、基本的に変わらない日中世論の客観的構図である。

台湾に対する圧倒的な日本人の好意

一方、日本人の台湾観を調べた調査は、対称的な結果を示している。

台北駐日経済文化代表処ホームページより
台北駐日経済文化代表処ホームページより

台湾の対日窓口である台北駐日経済文化代表処は、定期的に日本で世論調査を行なっており、今年3月に発表された内容によれば、「もっとも親しみを感じるアジアの国・地域」という問いに対して、「台湾」と回答した日本人は46.6%に達した。韓国15.8%、シンガポール12.5%、タイ7.9%、ベトナム3.1%、中国3.0%を大きく引き離して断然トップだ。

台湾における対日世論も極めて良好で、日本の対台湾窓口「日本台湾交流協会」が行なっている世論調査でも、対日好感度は他を圧して高いというデータが蓄積されている。

公益財団法人日台交流協会発表資料より
公益財団法人日台交流協会発表資料より

外交関係を結んだ相手とは疎遠になり、外交関係を切った相手と親密になる——よく考えれば不思議なことである。この現実は私たちに何を問いかけているのだろうか。それはやはり「民意」の大切さではないだろうか。

台湾を可視化した民主化

日中関係はエリート同士の関係からスタートした。田中派・大平派に象徴される自民党の親中派、外務省のチャイナスクール、朝日新聞などのメディアが「日中友好」を担った日本側の主役だった。これに対して、中国側も、党・政府・官制メディアが対日交流の窓口となった。一方で、当時の台湾は日本社会でほぼ忘れ去られた存在になった。無理もない。当時の台湾は蒋介石・蒋経国の親子による独裁体制でイメージは最悪だった。

台湾は「日中友好」の輝きの前に完全に影に隠れた存在となった。その後、1980年代に入ると台湾経済は「アジアの四小龍」と呼ばれるほどの高度成長をスタートして注目を少しは集めたが、それでも台湾は日本でほとんど目立たなかった。

その流れを覆したのは、台湾自身の変化だった。李登輝氏が総統職にあった1990年代、台湾では民主化が動き出した。党外勢力だった民進党も勢力を拡大し、台湾の民主主義が活気づいた。すると、日本の中で「新しい台湾」への関心が高まり始めた。私は1990年代から2010年にかけての時期を「台湾が可視化された時代」だと位置付けている。

ただ、それでも台湾はマイナーな存在であった。私が朝日新聞の特派員だった時代も含めて2010年ぐらいまでは、新聞社内では「台湾のニュースで一面トップになるのは、4年に一度の総統選挙だけだ」と言われていて、実際に私が台湾に赴任していた07年から10年までの間で、一面トップ記事を書いたのは08年の総統選挙だけだった。

流れを変えた東日本大震災

日台の接近を決定的にしたのは、本サイトでも取り上げてきた東日本大震災による台湾の義援金だった。当時200億円とされた金額は、最近の円安のレートで換算すれば300億円になる。世界でダントツの金額が、台湾の民衆からの小額募金を中心に集められ、日本に届けられた。結果として、これが戦後の日台関係における最大のレガシー(遺産)となった。

台湾の民衆の優しい思いやりが、日本人を心の底から感激させたのである。それからというもの、「日台友好」を叫ぶ声が日本で広がり、相互交流は年々活発化している。この3年間はコロナで往来が途絶えたが、相手の存在を懐かしむ日本人の「台湾ロス」と台湾人の「日本ロス」はそれぞれの社会でよく語られる言葉となった。

外交とは畢竟(ひっきょう)、国と国との関係をマネージメントし、良好な相互感情に支えられた二国間関係を作り出すことに究極の目的がある。日本は民主主義国家であるので、世論が支持しない外交政策を政府が実行できる道理はない。かつてのODA(政府開発援助)の大盤振る舞いによる日本の対中友好政策は、日本の中国観が良好だった時代だから成立しえたのである。

その意味では、いまの日中間で良好とは言えない相互感情や首脳の往来も難しい外交関係をみると、結果としては残念なところの多い半世紀であったと総括できる。一方、皮肉なことに台湾とは、外交関係がない中で、実りの多い結果を残している。

安倍追悼ムード一色になった台湾

その代表例が、安倍晋三元首相の死去に対する台湾社会の反応である。

台湾の高雄市で9月24日、安倍氏の銅像の除幕式が行われた。安倍氏に対して、台湾社会では日本以上といってもいい追悼の動きが続いている。「台湾有事は日本有事」と語ったことや、台湾がワクチン不足に困っているときに当時の菅義偉首相に働きかけてワクチン支援を実現させたことなどが評価されてのことである。

一方、日本でも2020年の李登輝元総統の死去は非常に大きく報じられた。政治家の評価については、日本での評価と台湾での評価にズレがある場合もある。日本での李登輝評価は台湾より高いし、台湾での安倍元首相の評価は日本よりも高いだろう。それは無理からぬことで、それぞれの視野に入る外国政治家の姿は、本国のありようと異なっていることが当然だ。ただ、少なくとも、尊敬の念を抱ける政治家が相手の国にいることは、相互理解の深化には大きな意味を持つことになる。

日台の50年の関係にも、さまざまな紆余(うよ)曲折があり、起伏や対立もあった。ただ、ここ数年の動きを見るだけで、日台関係の再定義とも呼べる動きが進んでいることは分かる。

日本政府が毎年公表する外交青書ではかつて台湾を「重要な地域」と呼ぶだけだったが、昨今は「台湾は、日本にとって、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有し、緊密な経済関係と人的往来を有する極めて重要なパートナーであり、大切な友人である」(2021年度版)と大きくアップグレードされた。この表現は岸田文雄首相の国会演説などでも踏襲されている。

お互いが必要とする隣人へ

米中新冷戦という世界的潮流があり、中国の脅威増大という地域の不安要因もあるため、台湾との関係強化は追い風を受けている。一方、近年の日本の台湾重視は台湾自身が強くなり、日本にとってなくてはならない隣人になったことも大きい。

台湾の巨大半導体製造企業TSMCの工場は日本が4000億円を払ってでも熊本に進出してほしいものになり、日本の地方自治体は観光客について台湾人を中国人以上にあてにしている。一人当たりのGDPも台湾は2028年に日本を追い抜くと言われる。雁行(がんこう)型で日本がアジアの国々を先行して引っ張るという関係性は、過去のものになった。

日中関係で唱えられてきた「平等互恵」という言葉が、逆に、日台関係を形容するのに最もふさわしい時代になった。日台友好のトレンドは当分続きそうだ。それは、外交や国家による制約を、50年という時をかけて民意の力で打ち破った証しではないだろうか。

バナー写真=日本台湾交流協会に設けられた安倍晋三元首相を悼むメッセージボード。弔問客によるメッセージでいっぱいになった(AFP=時事)

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