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世界を制したゴルフクラブ—鍛造アイアンの逸品にして先駆者、燕三条・遠藤製作所の信念

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「燕三条」は新潟県の燕市と三条市にまたがる、金属加工業が集積したエリアの総称だ。大小さまざまな企業がひしめく中、世界有数の技術で多くのゴルファーに人知れず貢献し続けている企業がある。1960年代からクラブ製造に注力する遠藤製作所(燕市)のものづくりの信念とは。

世界を制した燕の技術

優れた金属加工技術によって世界に知られる新潟県の燕三条。江戸時代の和釘づくりから発展した産業は、スポーツ界をも力強く支えてきた。この地には熟練の技術を持つ、世界屈指のゴルフクラブのヘッドメーカーがある。

その会社の名は『遠藤製作所』。松山英樹も同社がヘッドの製作を手がけたクラブを愛用しており、2021年にマスターズ・トーナメントを制覇した時には、「燕の技術が世界を制した」と地元メディアが沸き立つことになった。

2021年にゴルフ4大大会のひとつ、マスターズ・トーナメントを制覇した松山英樹(2021年4月11日、アメリカ・ジョージア州) 時事
2021年にゴルフ4大大会のひとつ、マスターズ・トーナメントを制覇した松山英樹(2021年4月11日、アメリカ・ジョージア州) 時事

しかし同社は、広く世間に認知されているわけではない。というのも、ゴルフ製品のほとんどをOEMで他社に納入しているからだ。遠藤製作所でつくられたヘッドは世界でもトップクラスの品質を誇るが、他社ブランドとして販売されるため脚光を浴びることは少ない。

1950年、ミシン部品のメーカーとして創業した遠藤製作所は、その後キッチン用品に業務を拡大。68年からはゴルフに携わるようになる。ゴルフクラブのシャフトを手がけていた会社から、アイアンのヘッドを製造するよう依頼されたのが、そのきっかけだった。

創業者の遠藤栄松さん(故人)は、自著『燕よ 再び大きく羽ばたいてくれ』(新潟日報事業社刊)の中で、次のように述べている。

『当時、クラブ作りのノウハウを持っている日本の企業はほとんどなかったように思う。ゴルフクラブの市場はアメリカのメーカーが独占していた時代だった』

同社はキッチン用品の製造技術を応用してヘッドづくりに取り組んだが、事業はなかなか軌道に乗らなかった。新技術の開発が失敗に終わったり、仕上げに欠かせない研磨をする工場が見つからなかったりと生産性が上がらず、赤字が続く。

しかし遠藤さんは、ゴルフ事業からの撤退は一切考えなかった。

『利益は出ない状況だったが、私は我慢強くゴルフヘッドの製造技術を高めていった。ゴルフ分野は、将来大きく成長するような予感がしていたのである』

当時の日本は、高度経済成長と列島改造ブームの真っただ中。各地に次々とゴルフ場がオープンし、競技人口が増え始めていた。

そして1970年代後半、ゴルフ事業飛躍の契機が訪れる。ゴルフ部門を持つ日本有数の企業がクラブ市場に参入しようと、遠藤製作所にOEM生産を依頼してきたのだ。

遠藤製作所は、この大企業が契約する超一流プロのアイアンづくりに関わることになった。この時の経験を遠藤さんは自著の中で次のように回顧している。

『そのプロは当時、三種類の外国製アイアンをそのときの条件や体調に合わせて使い分けていた。私たちは試合が終わると、それぞれのアイアンの利点と欠点を話し合う場を設けてもらった。当社のスタッフは、その話の中で出てくる彼の言葉と格闘するのが常だった。当社が意気込んで製作したプロトタイプを持ち込んでも、ダメのひと言で終わることもしばしばだった』

超一流プロが口にする感覚をヘッドに反映させることは難しく、いつ終わるとも知れないダメ出しが続く。だが、対話を重ねる中で開発スタッフはクラブづくりの本質をつかみ、ついにプロを満足させるアイアンを生み出した。このモデルは1986年に発売され、たちまち大ヒットとなった。

金属加工産業で知られる新潟県燕市に本社を置く遠藤製作所。ゴルフ事業はタイでも展開している 写真提供:遠藤製作所
金属加工産業で知られる新潟県燕市に本社を置く遠藤製作所。ゴルフ事業はタイでも展開している 写真提供:遠藤製作所

「鍛造」で培ってきた信頼

業界で確かな地位を築いた遠藤製作所には、ゴルフ事業を始めた時からこだわってきた技術がある。「鍛造」だ。

ヘッドは金属を加工してつくられるが、そこには「鋳造」と「鍛造」という代表的な製法がある。鋳造は熱して液体状にした金属を型に流し込むもので、一方の鍛造は金属に圧力を加えることで成形する技術だ。

鋳造でも鍛造でも基本的に同じ形のヘッドをつくることができるが、プロやアマチュア上級者に好まれるのは鍛造ヘッド。というのも強い圧力を加えることで金属は密度が高まり、強度が上がるからだ。

2018年に5代目の代表取締役社長となった渡部大史(わたべ・たいし)さんは次のように語る。

「飛距離はそれほど変わりませんが、インパクトの瞬間の打球が吸着するような感覚は、金属をたたいてつくる鍛造ヘッドならでは、だと思います。男子のツアープロはほとんどが鍛造ヘッドを使っています」

5代目社長を務める渡部氏。ビールメーカーを経ての入社と異色の経歴を持つ 写真提供:遠藤製作所
5代目社長を務める渡部氏。ビールメーカーを経ての入社と異色の経歴を持つ 写真提供:遠藤製作所

上級者になるほど好まれる鍛造ヘッド。しかし、その製造には大がかりなプレス機が必要で、鋳造に比べてコストや手間がかさむのが、メーカーにとって頭の痛いところだ。

それでも遠藤製作所は、ゴルフ事業の立ち上げから鍛造にこだわってきた。その理由について創業者、遠藤栄松さんは自著に『鍛造こそが素材の良さを引き出す加工方法であり、鋳造ヘッドにはない「打感の良さ」と「ボールコントロールのしやすさ」がすぐれているという信念に基づくものだ』と記している。

鍛造ヘッドの製造で肝となるのは質のいい金型をつくることだが、その難しさについてゴルフ事業部ゴルフ部の部長、小谷松利光(おやまつ・としみつ)さんは次のように語る。

「質のいい金型をつくるには腕のいい職人が必要で、ゴルフ事業を始めた時、創業者が一番苦労したのもそこだったと聞いています。金型はノウハウの塊(かたまり)のようなところがあり、膨大な経験やデータを持つ私たちの金型の精度は、競争相手である台湾、中国のメーカーに負けないものだと自負しています」

ヘッドはCAD(コンピュータ支援設計)を用いて基本設計されるが、物を言うのは膨大なデータの蓄積と経験だ 写真提供:遠藤製作所
ヘッドはCAD(コンピュータ支援設計)を用いて基本設計されるが、物を言うのは膨大なデータの蓄積と経験だ 写真提供:遠藤製作所

高度成長を迎えた1970年代、日本は2度のオイルショックに見舞われ、上昇気流にあったゴルフ事業は経費削減の逆風にさらされることになった。

業績が落ち込む中でも、遠藤製作所は攻めの姿勢を崩さない。同社は1975年、質の高い鍛造工場を持つ『株式会社協鍛』を子会社化し、2年後の77年には、自社ブランド『エポンゴルフ』を設立。遠藤栄松さんが『「遠藤なしには良質なクラブは生み出せない」という存在になることが目標』と書いたように、そこには数ある下請けのひとつには終わらないという強い意志があった。

現社長の渡部さんは、エポンゴルフの意義を次のように語る。

「OEM生産をする中で弊社には多くのノウハウが蓄積されるので、それをエポンで試したり、逆にエポンで試した素材や製法を供給先に提案したりしています。B to Bの企業間取引でなく、B to Cで直接お客さまと向き合うことで、弊社で培った製法を取引先に提案しやすくなるメリットがあると考えています」

こうした技術への飽くなき向上心が、先に記したトッププロとの商品開発に生きたことは間違いない。

エアハンマーによる鍛造と、鍛造プレス機を用いるヘッド製造の様子。金属を成形する型の精度がものづくりの生命線となる 写真提供:遠藤製作所
エアハンマーによる鍛造と、鍛造プレス機を用いるヘッド製造の様子。金属を成形する型の精度がものづくりの生命線となる 写真提供:遠藤製作所

海外ブランドと戦うための決断

1990年代に入ってチタンが脚光を浴びるようになると、難度の高いこの新素材の加工に取り組み、量産化に成功。国内有数の大企業から依頼されて生産したチタン合金鍛造ヘッドは空前のヒットとなり、有名メーカーからこぞって商談を持ちかけられるようになった。「チタンヘッドなら遠藤」という評価も定着。日本のチタンヘッドはその多くが遠藤製作所でつくられていた。

数々のヒットを飛ばし、業界を牽引(けんいん)してきた遠藤製作所。現に日本では、同社ほどの規模を持つ鍛造ヘッドメーカーは見当たらない。だが、80年代半ばから急激に円高が進み、また鋳造技術が進歩したことで、中国や台湾メーカーとの熾烈(しれつ)な競争に巻き込まれることになる。

こうした中で、創業者の遠藤栄松さんは大きな決断を下す。製造部門を海外に移すことを決めたのだ。すでに日本では、大手製造業を中心にアジアへの進出が始まっていたが、燕三条ではまだ少なく、「おそらく失敗する」という声がささやかれていた。

遠藤製作所が新天地に選んだのはタイ。製造コストを抑えられるのはもちろんだが、対日感情が良く、政治情勢が比較的落ち着いていることも大きかった。

海外での生産を軌道に乗せるだけでも至難の業だが、遠藤製作所はタイ進出とともに長年の課題を解消する。研磨とメッキの内製化だ。アイアンヘッドの研磨は高度な熟練を要するため、しばらくは大量の不良品を出し続けたが、粘り強い指導によって水準をクリア。これによって遠藤製作所は、煩雑なヘッドづくりのすべての工程を社内で行えるようになった。

ゴルフ部の部長、小谷松利光さんが語る。

「一部の特殊工程を外部に依頼することもありますが、素材の調達から完成まで、すべての工程を一貫生産できることが弊社の強みのひとつです。新潟の本社では営業と製品開発を行っていますが、ここではマスターモデルと呼ばれる基準となるものをつくってデータ化するところまでを担当し、そこから先の溶接、研磨、メッキ、塗装といった工程はすべてタイで行っています。日本にはウチ以外にも鍛造ヘッドをつくっている会社がありますが、規模は小さく、分業で行っていると聞いています」

エポンブランドではドライバー(左)も製造・販売している 写真提供:遠藤製作所
エポンブランドではドライバー(左)も製造・販売している 写真提供:遠藤製作所

鋳造の技術が上がってきたいまも、プロやアマチュア上級者が愛用するのは鍛造ヘッド。創業当時からこの技術を追求してきた遠藤製作所は国内無敵といっても過言ではなく、タイに製造拠点を移した現在も、燕三条仕込みのクオリティは揺らいでいない。

そんな遠藤製作所のライバルとなるのが、アメリカ大手からもOEM生産を受注する台湾、中国のメーカー。規模では彼らに及ばないが、渡部社長は自社製品の質に絶対の自信を持っている。

「クライアントからよく言われるのは、ウチに頼めばいい製品ができて、不良品もほとんどないということ。台湾、中国のメーカーも技術は上がっていますが、それでも担当者が何度も現地に足を運んで品質の確認をしなければいけないということは、よく耳にします。遠藤に任せれば安心という信頼に誠実に応えていくこと、そこをこれからも大事にしていきたいと思います」

品質第一を貫き、時代の荒波を乗り越えてきた遠藤製作所。表舞台で輝くことは少ないが、陽のあたらない場所でもベストを尽くす彼らの仕事が、日本のゴルフを支えている。

バナー写真:ヘッドづくりの基本となるマスターモデルは熟練の職人の手作業で削り出される 写真提供:遠藤製作所

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