日本の年中行事

如月(2月): 初午、針供養、雛市

文化 暮らし 社会

日本は古来、春夏秋冬の季節ごとに大衆参加型のイベントが各地で行われてきた。これらを総じて「年中行事」と呼ぶ。宗教・農耕の儀礼を起源とする催事から、5月5日端午や7月7日七夕などの節句まで、1〜12月まで毎月数多くのイベントがあり、今も日本社会に息づいている。本シリーズではそうした年中行事の成り立ちや意義などを、文化の成熟を示す例として紹介していく。

子どもに大人気だった「初午」

日本では商売の売り上げが落ちる2月と8月を「二八=にっぱち」と呼んで嫌う。師走から1月にかけては忙しいが、2月に入ると商業活動が停滞し、商人は暇となる。

江戸時代も事情は同じだったようで、2月最初の午(うま)の日=初午を稲荷神社の祭礼の日とし、景気の悪さを払おうとする年中行事があった。初午の起源は、豊作を祈願する祭りだったという説がある。それが五穀豊穣の神である稲荷と結びつき、江戸時代にイベントとして定着したらしい。

太鼓売りの行商人が姿を現す1月25日頃になると、子どもたちはソワソワし始めた。親にせがんで太鼓を買ってもらい、稲荷までたたいて歩いていくのが慣例だった。初午はとりわけ子どもに人気の行事だった。

太鼓売りに群がる子どもたち。大きな太鼓は客引き用で、太鼓売りはこれをたたいて耳目を集め、手に持っている小さい方を売る。『江戸府内絵本風俗往来』 / 国立国会図書館所蔵
太鼓売りに群がる子どもたち。大きな太鼓は客引き用で、太鼓売りはこれをたたいて耳目を集め、手に持っている小さい方を売る。『江戸府内絵本風俗往来』 / 国立国会図書館所蔵

幟(のぼり)を売る業者もいた。幟を持った子を先頭に、続く子どもたちは太鼓をたたいて、お稲荷さんに向かう。江戸の至る所で見られた光景だった。子どもにとっては信仰というより遊びだったのである。

絵馬も江戸府内で売られていた。購入した絵馬に願掛けし、稲荷神社に奉納するのである。

初代・歌川国貞(1786〜1864)が、絵馬を奉納に行く母と子を描いている。東国(関東)稲荷の総社・王子稲荷(東京都北区)に向かう姿で、同社は江戸に大小あった5000近くの稲荷のなかで、とりわけ人気があった。参道には縁日もたって賑わった。

王子稲荷に参詣に向かう親子たち。中央と左の女性が絵馬を持っている。また、左の女性の隣には、幟を担いだ少年の姿。『王子稲荷初午祭ノ図』 / 国立国会図書館所蔵
王子稲荷に参詣に向かう親子たち。中央と左の女性が絵馬を持っている。また、左の女性の隣には、幟を担いだ少年の姿。『王子稲荷初午祭ノ図』 / 国立国会図書館所蔵

王子稲荷の初午は今も健在で、2023年は2月5日に開催される。「凧(たこ)市」ともいわれ、縁起物の凧が売られることでも有名だ。江戸がたびたび大火に見舞われたため、「凧は風を切って揚がることから火事除けのお守りにと、民衆が同神社の奴凧を火防の凧とした」ことによる(北区ホームページ)。

稲荷によっては二の午、三の午も開催する。王子稲荷は2月17日が二の午で、今年は三の午はない。京都の伏見稲荷大社は2月5日の初午だけで、二の午はなし。旧暦の2月は現在の3月に当たるため、3月に初午を行う稲荷もあり、地域によってさまざまである。

変容した形で現在に伝わる「針供養」

「針供養」も現在まで続く年中行事だ。折れたり曲がったり、さびたりした針を豆腐などに刺して供養する信仰である。全国の神社仏閣をはじめ、和裁や洋裁を学ぶ学校でも行われる。日程は2月8日が多いが、初午と同様、旧暦に合わせて3月に実施するケースも少なくない。

豆腐に刺して針を供養する。こんにゃくなどに刺すケースもある。PIXTA
豆腐に刺して針を供養する。こんにゃくなどに刺すケースもある。PIXTA

針供養の起源は、2月8日が「事始め」だからという。

新年に向けて神を迎える準備を始めるのが、前年12月8日。正月も終わり後片付けを終えるのが2月8日。この日に人の生活が再び本格的に動き始めることから、事始めと呼ぶ。
ただし、「日常」とは農作業のことだったので、慎みをもって針仕事は休むものと考え、使っていた針を供養したのである(『暮しに生きる日本のしきたり』丹野顕/講談社)

一方、1690(元禄3)年に出版された職業を図解する辞典『人倫訓蒙図彙』(じんりんきんもうずい)には、「女中方年中つかい、又は折れたる針の恩徳ふかき也。供養せざれば地獄に落る、此故にはかなき女童おどろき銭をとらるゝなり」とある。

女中や少女たちに、「供養しないと地獄に落ちる」と半ば脅しをかけ、カネを払わせる者がいるなど、うさんくさい話もあったようだ。

下の画像は『人倫訓蒙図彙』に掲載されたもので、頭に針の刺さった人形を持った人物がいる。この男が女性を脅してカネをまきあげた人物で、おそらく針を製造する職人か、裁縫業者と思われる。古い針を回収し、さらに新しい針を売りつけて儲けていたわけだ。

僧侶に針を渡している男。これらの針は、おそらく女性から「代わりに供養を頼んでやる」と、カネをとって集めたものだろう。『人倫訓蒙図彙7巻』国立国会図書館所蔵
僧侶に針を渡している男。これらの針は、おそらく女性から「代わりに供養を頼んでやる」と、カネをとって集めたものだろう。『人倫訓蒙図彙7巻』国立国会図書館所蔵

なお現在、針供養が行われている代表的な神社仏閣は、東京・浅草寺の淡島堂、愛知県名古屋市の若宮八幡社、大阪市天王寺区の太平寺など。

なかでも和歌山市の淡嶋神社は、有名かつ重要である。針供養は、そもそも淡嶋神社のご祭神・少彦名命(すくなひこのみこと)を信仰することから始まったという説がある。少彦名命は裁縫の神でもあり、少彦名命を祀(まつ)ることを「淡島信仰」という。同神社の針供養は、豆腐に針を刺すのではなく、お祓(はら)いをしたのち、針塚に埋める。原型はこちらだった可能性が高い。

浅草寺の淡島堂は、その名の通り淡嶋神社とつながっている。紀州の淡嶋神社で生まれた針塚に埋める供養が、僧侶・淡島願人(あわしまがんにん)によって江戸に伝わり、浅草寺では豆腐に刺す形に変わったと考えられているのだ。信仰が時代と場所を変え、変容した例として興味深い。

浅草寺淡島堂(PIXTA)
浅草寺淡島堂(PIXTA)

十軒店の雛市は人混みでごった返す

桃の節句が近づく2月25日からは、各所で雛人形を販売する「雛市」が開催された。とりわけにぎわったのは十軒店(じっけんだな / 東京都中央区日本橋室町)だった。普段は別の商品を販売している者が、この時ばかりは急造の人形業者となり、十軒店の通りに幾重もの仮店舗が立ったという。

十軒店の雛市の様子。左に積まれた箱に人形が入っている。この店は普段は別の商売をし、雛市の期間だけ人形業者に場所を貸していた。『画本東都遊』東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
十軒店の雛市の様子。左に積まれた箱に人形が入っている。この店は普段は別の商売をし、雛市の期間だけ人形業者に場所を貸していた。『画本東都遊』東京都立中央図書館特別文庫室所蔵

雛市は完全な売り手市場のため、業者が高値をふっかけることもあったという。雛市の期間中だけで「十両か十五両ほどもうけたという」(『図説 浮世絵に見る江戸の歳時記』河出書房新社)から、法外な価格もあったろう。

一方で、値切る客もいたようで「人形商人と客のかけ引きもこの雛市の名物であった」(同)という。

如月は年中行事の少ない月である。理由は冒頭に述べた通り、多忙な正月が終わり、商業活動が停滞したためである。

だが、初午や針供養などの信仰はしっかりと大衆に根付き、特に子どもと女性に愛され、現在にその形を留めている。時代を超えて文化を伝えるのが、女性と子どもであることを感じさせる。

〔参考文献〕

  • 『暮しに生きる日本のしきたり』丹野顕 / 講談社
  • 『図説 浮世絵に見る江戸の歳時記』佐藤要人監修、藤原千恵子編 / 河出書房新

バナー画像 : (左から)『東京開化名所記 王子稲荷社』(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)。初午の時期は、稲荷の使いとされる狐を描いた絵が制作された / (中)『巨泉おもちゃ繪集』(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)。初午に奉納される絵馬や、縁日で売られた狐のお面 / (右)『東京の四季 年中行事と近郊の行楽地』(国立国会図書館所蔵)に掲載されている、昭和初期の東京・元赤坂の豊川稲荷初午大祭

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