日米同盟の理念とは何か
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先般の石破茂首相の訪米は、日米関係を、安全保障面でもまた経済面でも、当面安定した軌道にのせる上で寄与したことは疑いない。とりわけ、トランプ米大統領側に不規則あるいは予想外の発言がなかったことは、トランプ氏も、対日関係を揺るがすようなことはできるだけ差し控えるとの考えであることを暗示したものといえよう。
しかしながら、議会乱入事件関係者への恩赦、トランスジェンダーの「女子」競技への参加禁止措置、不法移民の子供への米国国籍拒否、世界保健機関(WHO)からの脱退や気候変動に対処するパリ協定からの離脱、一方的関税措置の導入など、トランプ政権の政策は、米国政治の大きな転換を示唆している。
大きな転換とは何か。そもそも米国は、宗教の違い、人種の違い、言語・文化の違いを超えて、人々が、信教の自由や民主主義、連邦制、三権分立などの政治的理念を、米国の本質的属性(アイデンティティ)とみなしてきており、いわば、「理念」によって立つ国であった(日本のように、日本人の血統とか日本語、日本文化を身につけているかといった、文化的、歴史的伝統の共有を国のアイデンティティとして重視する国とは大きく違う)。
それがゆえに、米国は従来、国際社会において米国の理念を訴え、それを共有する国と連帯して理念に反する者と闘ってきた(他方、戦後の日本は、固有の伝統を守りつつも、「平和主義」を奉じて、米国を中心とする西側民主主義国と「理念を共有する国」であることを国のアイデンティティとして強調してきた)。
けれども、トランプ政権は、米国政治を強く彩ってきた伝統的な「アイデンティティ政治」の主な要素である人種や性(ジェンダー)に関する理念よりも、「アメリカ」という国家への忠誠や、強さの象徴たるフロンティア(開拓)精神を、政治理念の中心に置く傾向にある。そこでは今や、多様性や寛容性よりも、平和主義とは裏腹の愛国心、闘争心、開拓者精神が重んじられる。
そういう状況下で、伝統と「平和主義」に生きる日本が、果たして、米国と理念を共有し、同盟を強化できるか疑問がある。なぜなら、同盟には戦略的考慮ももちろん必要であるが、その基礎を支える思想や理念に基づく連帯感がなければならないからである。
米国自身が建国の理念よりも目先の国家的利益を重視し、他国との連帯を軽視しがちな時に、日米同盟の維持強化といっても、(いわゆる軍事力の増強を超えて)真の信頼と連帯を両国民同士の間で強化できるのであろうか。また、共有すべき「理念」とは一体何なのか。
このことが重要なのは、広く世界を見れば歴然としている。本来、日本と米国との理念の共有と連帯の強化は、類似の理念を持つと見られてきた欧州主要国との連帯と連動するものでなくては、世界的意味を持ちにくい。ところが、現在、欧州ではグローバリズムヘの反逆や欧州統合への反発が重なって、自国中心主義、政治の右翼化が顕著になりつつあると同時に、欧州としての一体感が揺らぎつつある。こうした状況下では、日米同盟の根本的「理念」についても、日本の「平和主義」と併せて、改めて真剣に議論しなければならないのではあるまいか。
バナー写真:ホワイトハウスで会談し、握手するドナルド・トランプ米大統領(右)と石破茂首相=2025年2月7日、米ワシントン(時事)