イラン・イスラエルの緊迫と元皇太子
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久しぶりに懐かしい名前に出会った。
クロシュ・レザ・パーレビ。かつてイランに君臨した故パーレビ国王の長男で、ホメイニ師率いるイスラム革命で両親とともに国を追われ、18歳から米国で亡命生活を送っている。
64歳になった元皇太子が、6月13日のイスラエルによるイラン攻撃を受けてメディアで発言したのだ。「軍と警察、治安部隊に訴える。体制から離反し、国民に加われ」。イランのイスラム体制打倒を訴えるメッセージである。
パーレビ王朝は元々、彼の祖父のレザ・ハーンが英国の支援で1925年に創設し、国名をペルシャからイランに改めた。父モハマド・レザ・パーレビが第2代国王に就くと、米国資本の助けを借りて近代化を推進。1963年にはヒジャブ(イスラム教女性のスカーフ)着用禁止など、脱イスラム化にかじを切り欧米化路線を強引に進めた歴史を持つ。
パーレビ王政下で米国との蜜月時代を謳歌(おうか)し、1970年代の米国の中東政策の二本柱は、イランとイスラエルといわれていた。
1948年のイスラエル建国を受けてアラブ諸国が対イスラエル戦争に突入する中、パーレビ国王はイスラエルを国家として承認。同盟関係を結び、イスラエルから兵器を購入し、農業分野などの技術者を招き、直行便が就航するなど、緊密な関係を築いている。
中東で最も強固な同盟を誇ったイラン・イスラエル関係だが、1979年のイスラム革命で劇的転換点を迎えることになる。
ホメイニ師は米国を「大サタン」と呼び、400日以上に及ぶ米大使館人質事件を引き起こして敵対した。80年代から90年代にかけてイランを訪れると、「アメリカに死を」というスローガンと共に、目立っていたのは「イスラエルは消滅させねばならない」というスローガンだった。
革命によって王政を倒し、「イスラム法学者による統治」という壮大な実験に乗り出したものの、イランが信奉するシーア派はイスラム世界ではしょせん少数派に過ぎない。2つの聖地メッカとメジナを擁する大国サウジアラビアを頂点とするスンニ派諸国が、中東では圧倒的影響力を誇っていた。
ホメイニ師ら指導部は、イスラム世界でサウジに対抗して新生イランの存在感を示すため、預言者ムハンマドが昇天したとされる「岩のドーム」がある第3の聖地エルサレムの解放を提唱。第3次中東戦争(1967年)以降、エルサレムを占領しているイスラエルを国家として認めず、「地図上から抹殺する」と公言し、対立することになる。
対するイスラエルが、イランに突き付ける最大のカードは「核」だ。イスラエルは建国直後からフランスの協力を得て核開発を進め、CIA(米中央情報局)は1968年時点で核保有国になったとの結論を出したといわれる。
イスラエルの核戦略の特徴は、その曖昧さだ。1986年にはディモナ原子力施設内の地下施設で核兵器製造に従事したユダヤ人核技術者の内部告発を、英紙が施設内の写真付きで報じたが、それでもイスラエル政府は核保有を肯定も否定もしないまま今日に至っている。
ただイスラエル以外の中東の国家が核兵器保有への動きを見せれば、徹底してたたきつぶしてきた。1981年のイラク、2007年のシリアといずれも建設中の原子炉を爆撃して破壊。今回も核開発の噂が絶えないイランの核関連施設を爆撃することで、「イスラムの核」を未然に防ぐ挙に出たといえる。
イスラムのリーダーとして聖地エルサレム解放とイスラエル消滅を掲げるイランと、中東唯一の核保有国としての軍事的優位を断固維持するイスラエル。かつての同盟国同士はそれぞれの事情で憎しみを募らせ、引き下がりそうにない。
バナー写真:イスラエルの攻撃を受けたイランの国営テレビから立ち上る煙=2025年6月16日、イラン・テヘラン(AFP=時事)