国家の「ソフトパワー」とは何か:その偽善と真実
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米国のトランプ大統領は、開発途上国の福祉、教育、社会開発などに関連する予算や人員を大幅に削る政策を打ち出した。また、地球温暖化をはじめ環境問題を主管するパリ協定から脱退し、環境問題についての米国の国際的影響力に水を差す行動をしている。加えて、ハーバード大学はじめ、米国の大学への外国からの留学生の入学条件を厳しくする措置を打ち出した。
こうした措置や政策に対して、米国や日本の知識人の多くは、米国の「ソフトパワー」による国際的影響力を減退させるものだと批判的議論を展開している。しかし、それは100%正しいのか。
そもそも、「ソフトパワー」も一つの政治力であり、その有効性は軍事力や経済力といった「ハードパワー」がしっかりしているという裏付けがなければならない。
トランプ氏は、米国の経済力、軍事力を高め、米国の「国益」にそって使用することを強調している。言ってみれば、ソフトパワーに拘泥する前に、まず、ハードパワーの強化、効率化を図ろうとしている。その限りにおいて、トランプ氏のやろうとしていることは、完全に間違っているとは言い難い。
加えて、近年における国際社会の変化に目を向けねばなるまい。米国のみならず、日本でも欧州の大半の国でも、知識階級の社会的、政治的影響力は減退し、いわゆるポピュリズム、あるいは大衆迎合主義がまん延しつつある。
ソフトパワーは、思想、文化、倫理と連動しており、情緒的、感情的議論から離れがちである。したがって、大衆社会では、ソフトパワーの効果は、実はそもそもパワーレス、すなわち虚弱になっている。
しかも、トランプ氏の言う「アメリカ第一主義」は、米国人の愛国心をくすぐっている。考えてみれば、一国にとっての最大のソフトパワーは、国民の愛国心ではないか。そうとすれば、トランプ氏の政策は、その意味での米国のソフトパワーを弱めるどころか、強化するのに役立っている面もあるといえる。
ただ、そこには、一種の偽善が絡んでいることにも注意せねばなるまい。
トランプ氏の「アメリカ第一主義」で米国民の愛国心が強化されるとして、その愛国心は、米国の持つどういう主義、主張を守り、強めることに向かうのであろうか。
それは、自由、人権なり、民主主義なのであろうか。それとも、西部劇なみの開拓精神なのであろうか。そのいずれであるにしても、そうした価値、理念、思想は、まさにソフトパワーの核心を成すものなのではあるまいか。
だとすれば、そうした価値や理念を脇において、「アメリカ第一主義」を唱えるのは、偽善も甚だしいということになる。言い換えれば、「アメリカ第一主義」で軍事力や経済力を強めても、それは、いかなる理想、いかなる主義を実現するためのものなのかが問われる。
そう考えると、平和主義を唱え、戦争はしないという多くの 日本人の主張も、では、人権、民主、自由が奪われることに対しても戦わないのかという問いに、何と答えるのかという疑問に直面する。その戦いもソフトパワーで行い、軍事力は一切使わないというのは、米国の場合とはいささか違った次元で、ある種の偽善につながりかねないように思える。
バナー写真:米大統領専用機内で取材に応じるトランプ大統領=2025年7月1日(AFP=時事)