コラム:私の視点

「日本人ファースト」と「外国人フォビア」

政治・外交 社会

参議院選挙の投票日が間近に迫っている。民主主義の祭典の一つである「議会選挙」のレースを懸命に走ろうとする政党や候補者が、テレビ・ラジオの政見放送やネット配信動画などを通じて有権者に政策やビジョンを語りかける。

そこで最大の武器となるのは、言葉である。そう、候補者や政党代表が有権者に向けて発信するメッセージだ。その言葉の内容いかんこそ、国民を投票所に向かわせる効力があるとされている。

そして、今回の参院選で目立つのが「日本人ファースト」というスローガンである。最近、多くのメディアや有識者が取り上げる言葉だが、これがかなり一人歩きしているように感じられる。

「〜ファースト」という言葉は、緩やかに、また無意識のうちに世界の多くの地域で使われている。「~ファースト」という表現(例えば「America first」や「Japanese first」など)は、20世紀以降、特定の国や集団の利益を最優先するスローガンや政策として語られてきた。二つの世界大戦を経ていったん下火になったものの、21世紀に入って急速に復活してきたようだ。今回の参院選での「日本人ファースト」も、グローバル化や移民問題、経済安全保障への関心が高まる中で、日本の利益や国民を優先する考え方として一部の政党や運動で用いられている。

これにより、社会的な分断をもたらしたり、多様性を損なったりするのではないかという議論が活発化している。「日本人ファースト」は、ヘイトスピーチ(人種、国籍、宗教、性別などが異なる集団や個人を標的とする攻撃的言説)の文脈の上で語られることが少なくない言葉だが、そうした負の面があまり意識されずに流布しているようにも見える。

2024年末時点で日本に住む在留外国人は過去最高の376万9000人を数えた。在留資格別では、「永住者」が最も多く、次いで「技能実習」、「技術・人文知識・国際業務」、「留学」などが続く。外国人労働者の受け入れによって労働投入量が増加し、潜在GDP成長率を年平均で0.13~0.14%程度押し上げる効果があると試算されている。これは日本経済の成長力維持にとって無視できない規模である。

ところが、一部の候補者は、日本に住む外国人について、「異国で暮らす選択をしたのは当人なのだから、自己責任やリスクも併せて背負わなければならない」と主張している。ここで彼らの言う「一般市民」には、日本で暮らす外国人が含まれていないのだろうか。

こうした言説をめぐって私が特に関心を持つのは、日本で暮らす言葉や文化の異なる外国人コミュニティー(外国人労働者や留学生コミュニティーなど)への影響だ。「日本人ファースト」が現実となった場合、果たしてその政策がどのように使われ、それによってどんな社会になっていくのか。外国人フォビア(恐怖、嫌悪)につながることはないのか、注意を払わねばならない。

気がつけば、私が日本に来てから今年で30年目になる。その間、外国人またはイスラム教徒という理由で嫌な思いをさせられたことはほとんどない。秩序を尊重し、また多様性を認める寛容な日本社会のおかげである。

一方、対立がまん延する今の国際社会では、「異国人」に対する誤解や偏見、ステレオタイプの理解が拡大しており、逆に世界各地の人々の間で「和」を大切にする日本社会に対する期待と関心が高まっている。

21世紀は、過去・ 現在・未来を同時に生きなければならない「複合の世紀」である。そこで必要なのは、過去に学びながらも、地平線の向こうに明るい未来を展望することであろう。監視や排除が「~ファースト」をもたらすという考え方がいかに不毛であるかを、時間をかけて訴え続ける以外に道はない。

バナー写真:参院選が公示され、街頭演説に集まった人たち=2025年7月3日、東京都港区(時事)

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