「民族浄化」のおぞましさ
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かつて中東特派員のバッグには、メモ帳、カメラ、テープレコーダー、地図、短波ラジオが必需品だった。それがスマホなどの機器の普及で大きく様変わりした。特に携帯カメラを装着することで、相手の表情を含め取材過程の全てを記録に留めることが可能になり、予期せぬ効果を生んでいる。
ドキュメンタリー映画「壁の外側と内側」(8月30日から東京・渋谷のユーロスペース。順次全国公開)の試写を見て、そう感じた。朝日新聞特派員として中東各地に駐在経験のあるジャーナリスト川上泰徳氏が昨年夏、メモ帳を携帯カメラに持ち替え、パレスチナとイスラエルを取材した過程を撮影したものだ。
イスラエルはパレスチナのガザ、ヨルダン川西岸両地区との間に分離壁を建設し、往来を厳しく規制している。ガザ地区のイスラム組織ハマスが2023年10月、この分離壁を越えてイスラエル領に攻撃を仕掛け、イスラエル軍の報復攻撃によるパレスチナ側の死者は6万人を超えた。2年近くたっても終結の道筋は見えていない。
川上氏はイスラエル(内側)から壁を越えてヨルダン川西岸地区(外側)に入り、今年の米アカデミー賞を受賞して話題となった「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」の舞台、マサーフェル・ヤッタなどを訪れる。
住民が羊の放牧で生計を立てるこの地は、イスラエル軍によって一方的に軍事地域に指定され、ある日突然、大型重機がやってきて住宅や学校が破壊される。がれきと化した住宅の傍にテントを張り、生活を続ける住民の言葉を、携帯カメラは克明に記録していく。
この映像に、1990年代前半の旧ユーゴスラビア内戦で取材したボスニア・ヘルツェゴビナの小さな村コザラツの風景が重なった。
この村は1992年にセルビア人武装勢力の攻撃を受け、イスラム教徒が大半を占める住民たちは村を棄てて逃れていった。1993年3月に訪れたコザラツは、ごく少数のセルビア人が住む住宅を除き、完全にがれきになっていた。これまで取材した紛争地の中でも突出した酷さだった。砲撃だけであそこまで完全に破壊できるのだろうか。後から旧住民らに取材すると、コザラツを制圧したセルビア人勢力は、イスラム教徒住民が戻って来られないように1軒1軒爆薬を仕掛け爆破していったという。ある地域から特定の民族を排除する「民族浄化」の手法の一つである。
川上氏の映像にある、住民の目の前で住宅や学校を破壊する行為によって、住民は再びここに戻って来られなくなる。戻ろうとする彼らの気力さえ失わせる。その意味でまさにヨルダン川西岸地区においてコザラツと同じ「民族浄化」の手法を取っているといえる。
さらにガザ地区においても、空爆や砲撃で、住宅、病院、オフィスなどをがれきの山に変えるイスラエル軍の行為は、「民族浄化」の一環ではないのか。トランプ大統領がぶち上げた、パレスチナ住民を移住させ、ガザ地区を高級リゾートとして再生する計画を、「現地を理解しない絵空事」と受け止めてきたが、イスラエル国内にはパレスチナ住民の国外移送論が依然として根強くくすぶっている。
220万ともいわれるガザ地区の全員を一掃するのは不可能としても、住宅やインフラを徹底的に破壊し尽くすことで、一部の住民たちの心が折れ、「もうここで生活を続けることはできない」というあきらめの気持ちを抱かせる効果は生まれるかもしれない。
イスラエルは国際世論の非難をよそに、ガザ地区で、そしてヨルダン川西岸地区で、着々と「民族浄化」を遂行している。川上氏の映像を観ると、そう思えてきた。
バナー写真:イスラエルの攻撃で前夜に死亡した親族を弔うパレスチナの人々=2025年7月29日、ガザ(AFP=時事)