今度こそ「戦後」は終わった、のか?
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2月8日に実施された衆院選は、自民党の歴史的圧勝に終わった。野党については、新興のチームみらいが気を吐いた一方、それ以外は「高市旋風」の前に軒並み苦戦を強いられた。一昨年の衆院選、昨年の参院選で急伸した国民民主党や参政党も、今回は自己目標にはるか及ばない不本意な結果に終わっている。
だが、これらの党は暴風に耐え抜いたというべきだろう。本当に悲惨な目にあったのは、リベラル派に分類される諸勢力であった。議席数で見ると、共産党が選挙前8から4へ、れいわ新選組が8から1へと激減している。社民党は、選挙前と変わらず議席ゼロに終わった。立憲民主党が公明党と組んで急遽(きゅうきょ)結成した中道改革連合も惨敗を喫し、立憲出身者に限ってみれば、前職144人のうち21人しか生還できていない(しかもこのうち6人は自民党の比例名簿が不足したことの「おこぼれ」による復活当選であった)。
かくして、護憲平和主義に依(よ)って立つリベラル、ないし昭和期の用語でいうところの革新勢力は、全体としてかつてないほどに縮小してしまった。
以上の選挙結果を受けて、にわかに語られるようになったのが「戦後の終焉(しゅうえん)」論である。選挙後、例えば猪瀬直樹参院議員は「『戦後』の呪縛から解き放たれた」と書き(2月10日公開のnote)、政治学者の山口二郎氏も「戦後政治の土台が本当に崩れた」とコメントしている(『毎日新聞』電子版 2026年2月17日)。
戦後日本政治は保革対立、すなわち憲法や防衛問題をめぐる「保守」派と「革新」派のイデオロギー対立を主旋律としてきたが、その一翼を担った勢力が壊滅したことで、今後は根本的に異なったゲームにならざるを得ない、というのである。
しかし改めて考えてみると、「戦後の終焉」が主張されたのは今回が初めてというわけではまったくない。むしろ時代の節目ごとに何度となく語られてきたことに気がつく。
最初期の例としては、「もはや戦後ではない」と謳(うた)ったことで有名な、1956年発表の『経済白書』がある。これは当時の目覚ましい経済復興を反映したキャッチフレーズであったが、政治的な意味での「戦後」の図式はその前年の自由民主党結成、日本社会党統一によって、むしろこの時期に確立したといってよい。すなわち、改憲再軍備を宿願とする自民党と、護憲非武装を党是とする社会党が対峙(たいじ)する、いわゆる55年体制の成立である。この政治的対立構造は、経済面での好調を背景に、長期にわたって惰性的に続いていくことになる。
1980年代に入って、この引き延ばされた「戦後」を自覚的に終わらせようと試みたのが、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘政権であった。同政権は行政改革の一環として国鉄分割民営化を実現したが、「それが日本の政局を大きく変えた」と中曽根はのちに振り返っている。「国鉄労働組合がつぶれ、それが総評の崩壊、社会党の没落につながった。55年体制を支えていた一方の政治勢力が解体され、総決算路線の一番大きな改革となった」というのである(『毎日新聞』2005年11月20日)。
その後1990年代に入ると、冷戦が終結し、国政では衰退した社会党が自民党と連立政権を組むなど、保革対立の枠組みがいよいよ崩れたように見えた。憲法9条や防衛政策ではなく、旧来型政治経済システムの「改革」をめぐって諸政党が競争する時代の到来である。そのゲームを勝ち上った民主党は、護憲平和主義を前面に押し出すことなく、政権担当能力を地道にアピールして、2009年についに政権を奪取するという偉業を成し遂げた。2011年に東日本大震災が起きた直後には、「『戦後』が終わり、『災後』が始まる」(御厨貴)とも主張された。
だが、それでもやはり日本政治の「戦後」は終わっていなかった。民主党政権が倒れ、第2次安倍晋三政権の時代になると、「戦後レジームからの脱却」を掲げる首相が憲法や集団的自衛権といった問題を積極的に争点化したことから、政党間で保革イデオロギー対立が再燃した。その過程で、民主党(民進党)や立憲民主党は、共産党などとともに、旧社会党を彷彿(ほうふつ)とさせるような護憲平和主義的アピールに傾斜するようになった。「ネオ55年体制」という、まさに「戦後」的な対立図式に日本政治は逆戻りしたのである。
では、革新勢力が衆院から一掃された今回こそ、不可逆的に「戦後」は終わったといってよいのだろうか。この点、筆者はなお半信半疑である。護憲平和主義の正当性は憲法9条に裏打ちされており、その信奉者がなお社会にそれなりに存在する以上、革新政党はいずれまた再興されるのではないか。これまでの政治史の展開をふまえれば、そう思わずにいられない。
換言すれば、「不可逆的な戦後の終わり」を筆者が信じられるのは、9条改正問題に一定の決着がつけられたときである。高市早苗首相は、今衆院選での与党大勝をもって、宿願の改憲発議に向けた地ならしを自ら行った。首相は、これから「国論を二分する政策」を推進するとも宣言している。
要するに、今衆院選は即「戦後の終わり」を意味するものでないにせよ、結果として「戦後の終わりの始まり」となる可能性は十分ある。望むと望まざるとにかかわらず、そうした岐路に立っていることを、われわれは自覚しておくべきであろう。
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