「目標なき」改革の時代:1993年と比較する
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近年の日本政治の展開は、1990年前後のそれと似たところがある。
いずれの場合も、政権党の「政治とカネ」をめぐるスキャンダル(リクルート事件、政治資金不記載問題)の露見が発端となって、政治不信が大いに高まり、それが新党を台頭させるエネルギーとなって、それまでの安定的な一党優位体制を揺さぶることになった。1993年と2024年の衆院選では、いずれも自民党が過半数割れの歴史的大敗を喫している。
だが、この外見的な類似性の一方で、1993年と2024年(ないし参院でも与党が過半数割れに追い込まれた2025年)には大きな違いもある。
明らかな違いは政局的な帰結、すなわち前者が政権交代につながったのに対し、後者では自民党政権が途切れなかったことである。言い換えれば、前者では非自民勢力の多くが連立政権樹立に合意できたのに対し、後者ではその合意に達しなかった。昨年の参院選後、立憲民主党を中心に玉木雄一郎国民民主党代表を首班に推す動きが見られたが、最終的にその構想は陽の目を見なかった。
なぜこうした違いが生じたのか。2025年秋の政局では、玉木の「優柔不断さ」、すなわちリーダーとしての資質が問題視されることが多かった。玉木は「内閣総理大臣を務める覚悟はある」と強調する一方で、安全保障やエネルギー政策の面で距離のある立憲民主党との連立に難色を示した。これに対し、立憲の安住淳幹事長は「きれいごとでごまかしているうちは本当ではない」と決断を迫ったが、最後まで両者の溝は埋まらなかった。
一方、1993年の場合、日本新党の細川護熙代表が7党1会派で構成される連立政権の首班に就くことを決断している。この連立政権には、当時まだ非武装中立論を明示的に捨てていなかった日本社会党まで含まれていた点に留意すべきだろう。いくら立憲民主党が国民民主党に比べて左派的といっても、自衛隊や日米安保条約を否定しているわけではなく、(自民党出身者である)細川と社会党ほどの政策的距離はない。とすると、やはり2025年の政権交代が挫折したのは、もっぱら玉木の度量の狭さゆえだったのだろうか。
しかし筆者は、2025年の政局に際して、責任を押し付けられた玉木の境遇が気の毒に思えて仕方なかった。筆者の見るところ、昨年の非自民政権樹立失敗の背景には、野党リーダー個人の資質というより、もっと構造的な要因がある。それは、非自民勢力がまとまるための争点、あるいは「大義名分」の不在である。
1993年の場合、「政治改革の推進」が非自民勢力糾合のための旗印となった。その際、改革の中身についてもある程度のコンセンサスがあり、それは(政治資金制度改革に加え)選挙制度改革の必要性であった。
当時、政治学業界でもマスメディアの論調においても、「55年体制」の悪弊をもっぱら衆議院の選挙制度・中選挙区制に帰す議論が有力であった。自民党政権による非効率的なバラマキ政治も、醜い与党内の派閥抗争も、政権交代の不在も、後を絶たない汚職事件も、みな中選挙区制が元凶だとされた。
新たな選挙制度のあり方については意見の幅があったものの、中選挙区制の廃止自体に異を唱えることは、当時の世論の期待感からも政治家にとって困難であった。ゆえにその1点の実現のために、従来の保革イデオロギー対立を棚に上げて、多くの党派がまとまり得たのである(そして、選挙制度改革が実現した途端に、唯一の結節点を失った細川政権は瓦解した)。
2020年代に、そうした合意争点は存在しない。今回も選挙制度改革は政界での論点に一応なっている。だが、改革の中身については、社会でも政界でもコンセンサスはまるでなく、ゆえに党派間の離合集散を促すような争点になっていない。
ある党は衆院の定数削減を公約し、ある党は中選挙区連記制の採用を訴え、またある党はジェンダー・クオータ制の導入を主張しているが、それぞれバラバラに持論を唱えているだけで、現行制度(小選挙区比例代表並立制)の大枠を崩すべきかどうかという点を含め、共通の目標が存在していない。
なぜ今日は、具体的な政治改革の目標が存在しないのか。その最大の理由は、中選挙区制廃止という明示的な目標をすでに実現してしまったことにある。日本政治の悪弊の自明な元凶であったはずの中選挙区制は、すでに廃止されて久しい。にもかかわらず、「政治とカネ」の問題が消えたわけではなく、「政権交代可能な政党システム」も実現しているように見えない。
では、次にどのような選挙制度に改めれば、日本政治は改良されるのか。政治学者を含め、この点についてもはや誰も確信を持っていない。
改革のモデルとして、外国に範を求めるのが難しくなったことも大きい。1990年前後では、特に議院内閣制の母国である英国の統治制度(ウェストミンスター・モデル)が改革の目標に置かれた。新選挙制度に小選挙区制が導入されたのもそのためである。
だが、「先進民主主義国」であるはずの欧米諸国は昨今、経済的に苦しみ、政治的にはポピュリズムの嵐にのみ込まれ、いまや模範とすべきかはなはだ怪しまれている。安定的な2大政党制の国であった英国も、今日では急進右派ポピュリスト政党に席巻されようとしている。
「目標なき改革の時代」に、大義名分を欠く野党勢力が一時的であれ、まとまって自民党に対峙することは難しい(なお「政権交代」そのものはもはや目標にできない。政権交代それ自体への社会の期待感は、民主党政権の挫折を経て消え去ってしまった)。
共通する大目標がない以上、「小異」であっても認めてしまえば、「野合」との誹(そし)りを免れない。そう考えれば、玉木が首班指名という「毒まんじゅう」に飛びつかなかったのも十分理解できる。自民党政権持続の要因について、1個人の性格に帰責しているうちは、次の政権交代を見ることはできまい。=文中敬称略
バナー写真:組閣後の記念撮影を終え、首相官邸の庭で新閣僚と乾杯する細川護熙首相(右から3人目)=1993年8月9日、東京・首相官邸(時事)