コラム:私の視点

政党支持率から読む高市政権

政治・外交

高市早苗内閣の支持率下落が、7月ごろから話題になっている。ただし、内閣支持率というものは、高市政権に限らず、短期的に大きく変動することがある。これに対して、政党の支持率は、一般により時間的に安定した動きを示し、政党間競争の大きな構図や流れをつかむのに適している。

本稿では、内閣改造や与党役員人事という高市政権の「仕切り直し」を控えたこのタイミングで、長期的な政党支持率の推移を振り返り、今後の政局の展望を考えたい。

自民支持率を引き上げた高市首相

図1は、NHKの世論調査(調査方法に一貫性のある2004年7月~26年8月)による、自民党と野党第1党に対する各支持率の動きを示している。野党第1党は、衆院の議席数をもとに、民主党(政権担当時を含む)、民進党、立憲民主党、中道改革連合を指す。

図1「自民党と野党第一党の支持率の推移」

まず直近の半年(26年3~8月)を見ると、自民党支持率は35%強といったところである。この数値は、1990年代以降でながめても高めの水準となっている。小泉純一郎政権の後半や第2次安倍晋三政権期の水準にも劣っていない。

自民党は、岸田文雄政権の後期から石破茂政権期にかけて大きく支持率を落としたが、高市氏が復調させた形である。「首相人気に比べ、自民党人気は低い」といった主張をよく耳にするが、高市氏が自民党の支持率を引き上げたことは疑いない。

現在の自民党支持率の水準を維持することができれば、来年の統一地方選も同党にとって悪くない結果が予想されよう。単発の選挙と異なり、全国一斉に多くの自治体で実施される統一地方選では、国政レベルの政党のイメージが比較的強く結果に影響すると考えられるからである。

2013年から慢性的に続く野党不人気

これに対し、最近の野党第1党の支持率は悲惨というよりない。最新の調査(2026年8月)では、中道改革連合の支持率は1.7%しかなく、参院の立憲民主党(2.8%)、公明党(2.2%)と合算したとしても6.7%にとどまる。

野党第1党の不人気は、最近になって始まったことではない。図1から見て取れるように、低支持率は民主党が政権を奪われた直後の13年から慢性的に続いている。13年1月から最新調査までの、野党第1党支持率の平均値は6.7%にすぎず、ごくたまに調子の良いときでも10%少々であった。この間、党名を変更してみたり、他党と合流してみたり、主要野党はさまざまな試みを行ってきたが、支持層を広げるという意味ではほとんど効果がなかったと言ってよいだろう。

昨今、選挙制度改革を期待する向きもあるが、野党の惨状を見れば、政権交代が起きない根本的要因を選挙制度に求める議論には無理がある。野党第1党の支持率が1%台でしかない状況で、仮に新しい選挙制度を採用して政権交代が起きようものなら、その新制度こそ民意をねじ曲げていると言わなければならない。

現行の選挙制度の下でも、民意に沿う形で政権交代は起きている。それは09年8月の衆院選においてであったが、同月の民主党支持率(29.0%)は自民党(26.6%)を上回っていた。さらにさかのぼれば、両党の支持率はすでに07年夏ごろに接近しており、そこから12年まで、5年間ほどは名実ともに「2大政党」が競り合う時代であった。

かつては第1野党が自民離反層の受け皿に

ここで重要なのは、2000年代には、自民党と民主党の支持層にかなりの重なりがあったと見られることである。特に政権交代が起きた09年には、自民党支持率の減少と民主党支持率の増大が同時に起きたことを図1は示している(統計学的に説明すると、同年における両党支持率の相関係数は-0.93にもなり、きわめて強い負の関連性が認められる)。これが示唆するのは、当時、自民党から離れた有権者の相当部分を、民主党が新たな支持者として吸収していたということである。

ところが、民主党政権の誕生からほどなくその流れは逆転を始め、第2次安倍政権発足(12年12月)後には、自民党が支持者を完全に取り戻すことになる。それ以降、自民党と野党第1党の支持率の増減に関連性はほとんどなくなる(相関係数がゼロに近づく)。

例えば、第2次安倍政権期でも、一時的であれ自民党支持率が落ちる局面はあった(例えば安保法制が争点化した15年前半)が、その際に野党第1党への支持は伸びていない。また石破政権期の24年秋から翌年の夏にかけて、自民党支持率は顕著に下落したが、対する立憲民主党は党勢を伸ばすどころか、むしろ支持を減らしてさえいる。

言い換えると、近年では自民党からの離反者は、無党派になるか、あるいは野党第2党以下に流れているということである。実際、図2に示した通り、24年秋から新興勢力である国民民主党、ついで参政党の支持率が大きく伸びており、これらが自民党からの離反者の受け皿となっていたことがうかがえる。

図2「国民民主党と参政党の支持率の推移」

したがって、その離反者が高市政権誕生とともに自民党に帰ってきたとき、国民民主・参政両党の党勢は停滞することになる。図2からも、高市氏が自民党総裁に選出された25年9月以降、両党の支持率がはっきり落ちていることが分かる。

政党間競争ではうまく立ち回った

こうしてみると、高市自民党はこの間、政策過程においてさまざまな問題が指摘されつつも、政党間競争の面では実にうまく立ち回ってきたと総括してよい。

もっとも、ここから高市首相が長期政権を築いていけるかは、まだ予断を許さない。高い人気で始まった政権が、思わぬ問題で足をすくわれ、自滅した例はある。図1を改めて見ると、2009年の民主党政権誕生につながる自民党支持率の下落は、06年末から顕著になっている。その契機には、当時の安倍総裁が、郵政民営化に反対して離党していた議員(野田聖子ら)を自民党に復帰させ、世論の反発を招いたことがあった。

高市首相は今月中にも内閣改造・党役員人事を行う見込みだが、そこで「裏金議員」の処遇を誤るなどした場合、世論の風向きが変わる可能性もある。自民党の外にほぼ対抗勢力のいなくなった高市政権にとって、鬼門があるとすれば、それは政権党の運営であろう。

バナー写真;左から小川淳也・立憲民主党代表、高市早苗首相、玉木雄一郎・国民民主党代表(いずれも時事)

自民党 高市早苗 支持率 政党支持率