自然のリズムを捉え、その感動を文様に託す―木版摺更紗の人間国宝・鈴田滋人
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秩序のなかに光る手の痕跡
布一面に、幾何学的なパターンが端正なリズムで連なる。図案のもとになったのは、秋から冬にかけて蔦(つた)の紅葉した姿と、その背景にあった柵。
文様は均質で機械的に繰り返されているようにも見えるが、そうではない。線にはわずかなかすれがあり、色にも微妙な濃淡がある。そこには明らかに、“手の痕跡”が刻まれている。

反復する図柄の中にも、手仕事ならではの微妙なゆらぎや濃淡がある
そんな「華蔦(はなづた)」を手がけたのが、木版摺更紗の人間国宝・鈴田滋人さんだ。計算された反復が生む秩序と、手仕事のなかで生じる揺らぎ──その重なりが作品一点ごとに異なる表情を与え、こんなにも見る者をひきつけるのだろう。
「墨の濃淡はどうしても出ますよね。ただ、リズムを壊すような変化だったら困る。ある程度なら、手作業の味とも言えるんですけど。なるべく正確に、きちんと版を押すようにします」
木版摺更紗は木版で文様の輪郭を布に押し、その線に合わせて型紙で色を入れる。さらに別の木版を使って線を加え、文様以外の部分に色を染める「地染め(じぞめ)」を施すなど、いくつもの工程を重ねて仕上げていくのが特徴だ。
木版摺更紗は、一つの図案から複数の作品を制作することもできる。だが、鈴田さんの作品はすべて一品ものだ。
「同じ作品をいくつも作れそうでしょう。でも、型の世界っておもしろいんです。同じものを作ろうとすると、どうしても最初の時のような緊張感がなくなって、質が落ちる。新作も、本当に気に入った仕事なんてごくわずかで、もう二度と見たくないっていうようなものも、たくさんあるくらいです」
版を打つ回数は、着物1作品につき1500回から、多いと3000回ほどにもなる。

木版に墨をつけ、布につけた目印に合わせて繰り返し押し、文様の輪郭を描いていく「地型版打ち」の工程
「何列目のどの位置に、どの版をどういう向きに押すのか。決められたデザイン通りに版を打ちます。一つも間違えられず、作業に入ると集中しっぱなしです。誰かやってくれないかなと思いますけど、頼めないんですよ。やっぱりここはもうちょっと柄を詰めて、代わりに別の場所の幅を広げた方がいいなと、作業しているうちに全体が整理されて、見えてくるんです」
あらかじめ設計された文様を正確に版打ちしつつも、鈴田さんはまるで絵を描くように、制作の最中に全体の構成を微調整していく。父・照次さんから受け継いだ技法だが、こうした構成の組み立て方には鈴田さんならではの個性が表れている。
父から受け継いだ木版摺更紗
照次さんは、途絶えていた「鍋島更紗」の復元に取り組んだ人物だ。
「仕事をするときはもうピリピリしていて。家の中は全部、父を中心に回っていました。あれだけ集中しないとできない仕事なんだと知ったことが、私にとっては大きな財産です」

父・照次さんの作品 木版摺更紗着物「麦穂文」 1977年制作
インドや東南アジアから伝来した模様染めの綿布を模して江戸時代には日本各地で「和更紗」が作られるようになった。鍋島更紗は佐賀・鍋島藩で発展し、木版と型紙を併用する独特の技法を特徴としていた。廃藩置県によって大正初期にその制作は途絶えてしまった。照次さんは1959年、秘伝書や文様を収めた見本帳と出会ったことをきっかけに研究を始めた。東南アジアやインドにも赴いて復元に取り組み、「木版摺更紗」と名付けて、1972年に発表した。
「これだけの技術を残して、父は発表から10年ほどで亡くなりました。まだやりたいことがたくさんあっただろうなと思いながら、後を継ぎました」
当時、鈴田さんは武蔵野美術大学で日本画を学んでいた。それでも父が残した仕事を前に、家業を継ぐ道を選んだ。
「父のようにはなれないから、自分の世界を持ちたいと東京で絵を描いていたんです。けれど父が体調を崩して、周りから『もうそろそろ帰ってこい』と。育った環境っていうのがどうしてもあるんで。親とは違うことをしたいと思いながら、なんてことない、同じ土俵にいたんでしょう」
大学時代、鈴田さんは家業を継ぐ意識はないまま、アルバイトとして父の仕事を手伝っていた。鍋島更紗の復元にも関わり、木版摺更紗の技法はある程度身につけていた。
「もっと聞いておけばよかったと思うこともあります。でも、残してくれた資料がたくさんあったので、それを見ながら想像力を働かせて。そうやって自分なりに考えて工夫することが、おもしろい仕事につながるんじゃないかと思っています」
鈴田さんはその資料を手がかりに、自らの表現を探っていく。
自然のリズムを文様に
作品の制作は、スケッチから始まる。木版摺更紗は、木版と型紙によって文様を反復しながら画面全体を構成していく。そのため、どのような文様をつくるかが作品を大きく左右する。
木々や草花など身近な自然をスケッチし、そこから形を抽象化して文様へと落とし込んでいく。
「『スケッチは細かく描きすぎないほうがいい。もっと全体を見なさい』って。それが、父から私への唯一のアドバイスだったような気がします。あの言葉は、そのものが持っているリズムを捉えなさいということだったんだと思います」
リズムを捉える──それは、どのようなことなのだろうか。
「植物なら群生しているところを見ると分かりやすいんですが、例えば、葉っぱ1枚を一つの文様として捉える。それが繰り返されることで枝になり、さらに広がって木になる。そうした反復のなかで、大きな世界がつくられていくんです」
水の流れや魚の鱗(うろこ)にも、自然のあらゆるものにリズムがあるという。深く観察しないと見えることのないそのリズムに気づいたとき、文様の連なり、つまり作品全体の図案がうまく展開していくのだと鈴田さんは話す。
「ものを見るということは、感じることです。3次元のものをスケッチして、文様として2次元に落とし込むということは、自分が最もひかれたところを選ぶ作業でもあります。人に伝えるためには、整理して単純化しないとなかなか届かない。言葉も同じですよね」
鈴田さんが生み出すそのリズムには、心地よい“間”が存在する。
「更紗は文様を隙間なく詰めていく仕事が多いんです。でも僕は、そこに空間表現が欲しいなと思って、それで、技術的に少し工夫しながらやり始めました。日本画でいうと“構図”です。文様を繰り返しながらも、単純に並べるんじゃなく空間に変化をつけていく。すると、同じ型でも見え方が変わる。そこがおもしろいんです」
その“間”を初めて強く意識して制作した作品が「群羽葉(むれはよう)」だ。もとの図案は、文様が隙間なく詰まった構成だったが、下図をいったん切り分け、文様と文様の間の幅を5ミリずつ広げながら構成を見直していった。

同じ文様でも、隙間なく詰めたものと、空間を取ったものとでは異なったリズムが伝わってくる
このような試みを重ねながら、鈴田さんは“間”を生かした絵画的な構成を確立していく。そして2008年、重要無形文化財「木版摺更紗」の保持者に認定された。
とにかくいいものを作りたい
照次さんが復元した木版摺更紗を、自らの表現として発展させてきた鈴田さん。その技法は現在、息子の清人さんへと伝えられている。
鈴田さんは、自身が父の仕事を手伝いながら学んだように、大学卒業後に実家へ戻った清人さんにも、仕事を通して木版摺更紗の技法を伝えてきた。ただ、鈴田さんにとって、伝統技法を受け継ぐことは、それをそのまま守り続けることではなさそうだ。
「伝統を途絶えさせてはいけないという考えはあまりなくて、この技法を使って、表現としてどんな可能性があるか。そこを見ています」
その姿勢は、自身の制作にも向けられている。
「72歳になりましたけど、とにかくいいものを作りたいっていう欲はいっぱいあります。じゃあ、いいものって何かって言われると、私にとっては“自然との出会い”なんですよね。感動したり発見したりすると、人に伝えたくなるでしょう。だから、山に行ったり、庭を見たりしながら、なるべくスケッチをしています」
便利になり、遠くにいる相手ともすぐにつながれる時代になった。それでも、こうして実際にその人のもとを訪ねて話を聞き、景色を見て、その土地の空気を感じる。そうして一つのことに向き合うことの大切さについて、鈴田さんは話した。
「これからは、時間をどう使うかがもっと大事になってくるんじゃないかなと思います」
何千回もの版打ちを重ねる鈴田さんの仕事もまた、時間をかけることの意味を静かに物語っているように思える。
取材・文:杉原由花、POWER NEWS編集部
写真:サカタマサキ
バナー写真:染め上げた布の横に立つ鈴田滋人さん








